君は運命の虜②

「でさ、その子がごきげんよう!って。んな挨拶されたのあたし生まれて初めてでさー。さすがは女子校だよな」

「……きみは」



 HR、一限目の終了を以てようやく自由の身になった頃に、彼女は話しかけてきた。内容は取るに足らない他愛もない話。公立校から転校してきた身にとって、私立校の出来事すべてが新鮮なようすらしい。とどのつまり内容が問題ではない。

 疑問はそう——


「ん?ごめん、よく聞こえなかった」

 私の疑問など端から頭にないらしい。流れるように世間話を始める。クラス中がこちらに視線を向けているだろうことは、わざわざこの目で見なくとも想像するに容易で、あるいは私の表情が間の抜けた驚き顔だというのもまた然りだった。

 格好つけたモノローグも帳消しになったじゃないか。順当に恥ずかしい。自分が思ったことを口に出さないタイプで良かった。


「きみは——なぜここにいるのかな」

「おいおい、あたしはもう一年馬酔木組の一員だぜ。仲間外れにしようったってそうは問屋がおろさねーよ。何だ?ごきげんようって言えるようになればいいのか?待ってろ。明日にでもあたしの通り名が『ごきげんようのこてっちゃん』になってるだろうよ」

「平日13時半のテレビ番組みたいな名前じゃなくても、クラスに在籍している事実は変わらないよ。現にお友達多いでしょ。だから、そういう意図の発言じゃない」


 むしろ。

「クラスの仲間外れはきみじゃなくて、私だよ」

 仲間外れ。

 仲間から外れた人間。

 逆に言えば——私を外している人同士はみなということ。

 たちは、同じであるきみに忠告をしたはずで。

「さっき、お友達に忠告されたんだろう。私とは関わらないほうがいいって」

 よかったね。恐れず身を案じてくれる、お友達がいて。


「私の家の生業が、——……反社会的勢力ヤクザだって」



「うん。そうだけど?」

 無垢に、無軌道に、さも当たり前のように、真藤こてつはあっけらかんと答える。悪いことの分別がつかない子供という年でもないだろうに——いや、それは私がつまらなく成長しすぎただけなのかな。13歳はもっと子供じみていてもいいのだろうか。恐怖しない理由が、慣れではなく無垢であっても、まだいいのだろうか。


「……恐怖を感じないのなら、危機感を持ったほうがいい。きみが知らないだけで、世間には触れてはいけない悪意がはびこっているから」

だから理性的な判断だと言えるのだ。クラスメイトが私と距離を置くのは。

「怖いよ。うん、——怖い。あたしはそれについて、知識もなにもねぇし。ひととせは何が好きで何が嫌いかも分からない。だからどこで地雷を踏みぬくか分からない。ほら、できたての友達って、地雷原を探り探り進むよ—なもんじゃん?」

「そういった恐怖ではなくてね、私は何も気にしないから、きみも無理をすることはないんだし、だから」

 思わず立ち上がって反論する。自身の諭そうとする口上とは裏腹に、心拍数のBPMが酷く取り乱しているのを感じていた。


「あたしはひととせと一緒にいたい。近くにいると安心する。居心地がいいんだ」

 目をそらさずに、むしろ射抜くような眼差しで見つめられる。照れずに言い切れる日本人が果たしてどれだけいるのだろうか。眩しかった。

 ああ、この目だ。昨日と同じ目だ。

 唯一違うのは目線の高さだけ。私とさして変わらない身長で、目線の位置もちょうど同じくらい。逃れられないな、と思った。逃れられないし、


「ひととせは、嫌か?あたしのそばは」

 ハンカチを洗っただけで謝りを入れる彼女のことだ。ここで嫌だと言ったら、きっと今後一切距離を置いてくれるのだろう。口も聞かないでいてくれそうだ。

 しかし、否定的な一言は最後まで口から出せなかった。思ってもいないことは流石に言えやしないのだろう。でまかせは得意なほうだと自負してたんだけどな。


「い、嫌じゃ——……ないよ」

 私の答えを聞いた彼女は、それはそれは花が咲いたように——ああ、花が咲いたようにってこんな笑い方なんだと感心するほどに——満足げな笑みをしてみせた。

 真藤こてつは——こてつは、地雷原を渡りきることに成功したのだ。

「じゃあさ、次の移動教室まで一緒に行こうぜ!友達だから!」

 そのまま手を引かれ、遠巻きのクラスメイトをかき分け、教室を後にする。いきなりだったから筆記用具も何も持たなかったけれど、引き返す気にはならなかった。


 

 幼稚園の同伴以外で親と繋いだ以来の他人との握手。こてつの手がハンカチ以上の温度で包んできて、握力と言うよりは言いようのない安心感で掴んできて、そして、

 疑いようもなく震えていた。

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