呪殺屋のお仕事
日本在住
第1話 呪殺屋 上神司の流儀
凍てつく空気が、顔に針を刺すように張り付いて耳に噛み付く。そんな極寒の朝でも、上神司は日課の散歩を欠かさない。
最寄りのコンビニに入店すると、暖房と店員の明るい挨拶に出迎えられた。
「ホットコーヒーのMを一つ」
司は財布を取り出しながら言うと、店員は、
「はい、いつものですね。」
と笑顔で返事をする。
このコンビニの店員とは顔見知りである。特にこの店員は夜勤が多く、司はよくこの店員からコーヒーを買う。
司は迷わずにコーヒーメーカーに向かうとカップをセットして完成を待つ。その横を、おそらくこれから仕事であろう、作業着やスーツを着た男たちが横切る。
出来上がったコーヒーを手に取ると、今度は喫煙所に向かう。
先ずは、コーヒーを一口。
唇に感じた熱は、首元から腹へ下っていくと、じんわりと全身へ染み渡る。
ズボンのポケットからタバコを取り出すと、火をつける。まだ薄暗い景色を、小さな火種が照らした。
すると、隣に作業着を着た中年の男がやってきて、タバコを吸い始めた。
髪の毛はモジャモジャで、仏頂面のその男に、司は話しかけた。
「これから、お仕事ですか?」
司の声はしゃがれており、低音が効いている為、威圧感を与えることも多い。専ら、タバコのせいだろう。
そのせいか、作業着の男は一瞬驚いた表情をしたが、
「はい、仕事ですけど」
と答えた。
喫煙者の特権である「喫煙所トーク」の始まりである。
「随分早いんですね、まだ5時半だ。格好から見るに、現場仕事の方ですか?」
「ええ、土木ですよ。作業の準備をしないといけないのでね。寒くても暗くても、関係ありません。」
そういうと作業着の男は笑顔になり、肺に溜め込んだ煙を勢いよく吐き出した。
「それは、随分と大変そうですね。この寒さで働いていただいている作業員の方々には、頭が上がりませんよ。」
「なに、家族のためです」
男は哀愁を纏った。
一瞬の沈黙の後、司が言う。
「そういえば、今日は東小学校の前の道路、通らないほうがいいですよ。いつも通っていますよね。」
作業着の男は目を見開いた。
「なんで知っているんですか?」
男のタバコから灰がポロリと落ちる。
「いえ、なんとなく。とにかく今日は通らないほうがいい。家族のことを思うなら、ラジオでも聴きながら、大きく迂回しましょう。時間も余裕がありそうだ。」
「何ですかお兄さん、占い師か、超能力者か何かなんですか?」
「まあ、信じるかどうかはあなた次第ですがね」
司はニタリ笑うと、タバコをふかした。
「いいね、お兄さん面白いから、信じてみようか。」
作業着の男はそういうとタバコを灰皿に落として軽トラックに乗り込むと、コンビニを後にした。
【相変わらずお人好しだな。】
軽トラックを見送る司の頭の中で雑音のような男の声が囁く。
司はまだ高温を保つコーヒーを飲み干すとカップをゴミ箱に捨て、ポケットに手を突っ込んで歩き出した。
司も仕事をしなければ。
司の仕事場兼自宅である古びたアパートに着くと、机に積まれた封書の山を見る。
仕事の依頼だ。
司はこの封書の山から選定して、「受けられる仕事だけを受ける」スタイルを取っていた。
そんな司の仕事とは、「呪殺家」である。
その名の通り、呪いを使って人を殺め、報酬を得る。
上神家は代々続く霊能一家で、「呪殺家」を受け継いできた。お得意さんは、ほとんどが裏社会の人間で、組織に都合が悪い人間、時には政治家をも手にかけていた。
呪いと聞くと、丑の刻参りや、蠱毒と言ったものを想像するかもしれないが、上神家は少し変わっている。
上神家に生まれた子供は、物心つく前に、一体の式神が与えられる。
その式神を使役することにより、霊障を引き起こすのだ。
司と名付けられたこの男は、近年稀に見る霊能力の強さを持っており、それに付随して、彼に憑く式神もまた、強力であった。
司は生まれ持って霊感が強く、式神に頼らなくても、この世ならざる存在を認知したり、簡単な予知夢を見ることができた。
この男の誕生に一族は喜び、子孫を絶やすまいと息巻いたが、もう上神家は司1人しか残っていないし、生涯独身を貫くつもりだ。
なぜなら、司はこの仕事が嫌いだからだ。
式神を使えば、人を殺すことなど、蚊を叩き潰すより簡単なことである。司は幼い頃から、式神を用いた人の殺し方を教えられた。最終学歴は小学校卒業で、それ以外の人生は、呪いと向き合ってきた。
その中で感じた違和感。
人の命とは、そんなにも軽いものか。
司は、親の仕事現場に立ち会ったことがあるが、依頼があればすぐに式神を使わせ、人を殺し、何事もなかったかのように食卓に座るその姿に、違和感を感じ続けていた。
「お前は優秀だから稼いで家を大きくしろ。」
「お前の遺伝子を後世に繋げていけ。」
「誰が死のうとお前には関係ない。」
そう言われ続けた。
小学校時代の友人であったゆーちゃんは、ある日学校を休んだ。翌日その理由を聞いてみると、お母さんが急死したらしい。その時、ゆーちゃんは泣いていた。
人が死ぬと、悲しむ人がいる。
幼い司は理解した。
人の命を奪うという事は、部屋に入ってきた虫をことごとく叩き落とす様な、単純な話とは訳が違うのだ。
その思いは成長しても変わらず、呪術を会得した司は、まず一族を皆殺しにした。
『こんな家業は、俺の代で終わりだ』
人の命を札束としか見ていない人間達とは分かり合えないし、分かり合おうとも思わなかった。
いまだに、後悔はしていない。
司は、机に向かい合って一服すると、封書を一通一通読み進める。
数が多い為、読むだけでも時間がかかる。
一族を皆殺しにした際に、ほとんどの得意先とは縁を切ったつもりだったが、今でも毎日、郵便受けは満杯だ。
『今日は、全部ダメだな』
最後の一通を後ろに投げ捨てると、司はタバコを咥える。
司には仕事に対する絶対の信条があった。
1::対象者が更生の余地のないクソ野郎であること。
2:同情すべき事情があること。
3:司自身が調査を行い、事実の裏付けが取れること。
以上3点が揃って初めて、司は仕事を請け負う。
今回のは、全てダメだ。
皆んな私利私欲が丸出しで、自分本位な奴らばかりだ。
『どいつもこいつもクズばっか』
椅子にもたれかかりながらタバコを吸う。
『まあ、それは俺も同じか…』
「こんな仕事嫌いだ」と思いながらも、この仕事しかできない。
白い煙が部屋に充満した。
時計を見ると、もう12時も近い。
司は椅子から立ち上がって背伸びをすると、いつも昼食をとる食事処に向かった。
古びた店構えのその店が好きだった。
店主は齢70を超える老人であるが、曲がった腰で必死にフライパンを振る姿は、頼もしささえ感じられた。
何より、店の中でタバコが吸える。
司は店の最奥部の角の席に座ると、唐揚げ定食を注文した。「あいよ」と返事をした店主は背を向けて厨房へ向かった。
料理を待つ間、天井角に取り付けられたテレビを眺める。
「今朝6:00ごろ発生した大型トラックの横転事故ですが、現在も交通規制が続いており、復帰の目処は立っていません。
また、死傷者についても-」
頬杖をつきながらテレビを眺めていると、突然、
「ここの席いいかな?」
と野太い声が聞こえた。
声の主に顔を向けると、司は
「もちろんですよ。刑事さん」
と快諾した。
この肩幅が広く、いかにも腕っぷしが強そうな男は、刑事の坂崎である。
1ヶ月ほど前にこの食事処で知り合って以降、よく声をかけてくる。
「いやー朝から大変なことが起こってるねー」
お手拭きで顔をゴシゴシ擦りながら、坂崎は他人事のように言う。
「みたいですね。警察の方々も大変なようで」
司もまた他人事である。
坂崎は、カツ丼を注文すると、いつものように馬鹿でかい声で司に話しかけてきた。
「上神さん、お仕事の方は順調ですかな?」
「まあぼちぼちですよ」
声はでかいし、いかにもガサツだし、司はこの男が苦手だった。
一方的に会話を展開してくる坂崎に嫌気がさして、司は問う。
「刑事さん、前から思っていたのですが、なぜ私にそう話しかけてくるのですか?」
坂崎は、先程までの笑顔から真面目な顔になると、口を開いた。
「上神さん、ついに聞かれてしまいましたね…
正直に言うと、あなたに興味があるんですよ。
というのも、ここ一年単位の自殺者や事故の死亡者、犯罪の被害者…その携帯電話を調べてみると、ある電話番号とやり取りしているんですよ。
もちろん、全員ではありませんがね。ほんの一部です。
で、その番号というのが、上神さん、あなたの携帯の番号なんですよ。
なぜ、それまで一切面識の無かったあなたと出会った数日後にその人が亡くなるのか、不思議でしょうがなかった。もちろんこれは、あなたを疑っているわけではありませんよ?
これはあくまでも『刑事の勘』ってやつですわ。」
坂崎は言い終えると、じっと司を見つめた。
司がどう返答するか、気になっていた。
「そんなことがあったんですか。
そうですねぇ、自分は人とすぐに仲良くなれる方で、よく、連絡先を交換したりするんですよ。
喫煙所で世間話が盛り上がったとか、よく行くお店の店員とかね。ほら、実際に、私とあなたも、もうお友達になりましたよね。
しかし、そんな不幸が続いているとは知らなかった。私には、ご冥福をお祈りするしかありません。」
その返答に、坂崎はニヤッと口角を上げると、
「ガハハ!そうでしたか。
確かにあなたには怪しいところなんて一つもありませんしな!」
と豪快に笑い飛ばすと、いつのまにか机に置かれていたカツ丼にがっついて、あっという間に平らげてしまった。
「ふう、ご馳走様でした。
では上神さん、またお会いしましょう。」
そういうと、坂崎は会計を済ませて店から出て行った。
【あいつ、気づき始めてるぞ】
頭の中で、雑音が響く。
だが心配ない、「呪いで人を殺す」とは「不能犯」であり、即ち罪には問われない。
今日の坂崎の話し方には、どこか凄みがあったが、警察がどれだけ捜査しようと、司に捜査の手は及ばない。
司は気を取り直して、冷めかけた唐揚げにかぶりついた。
その時、ポケットのスマホが着信音を放った。
画面を見ると、見知らぬ番号だった。
司は画面を睨みつけながら唐揚げを飲み込むと、
「もしもし、上神ですが」
と応答した。
「あ、あの、上神さんですよね。あの、お仕事の依頼が、したくて…」
司は目を見開くと、思わず握っていた箸を落としてしまった。
電話の主は若い女の声で、微かに震えている。
そして1番の疑問は、
「誰からこの番号を聞いた?」
低音の効いた鋭い声に、電話の相手は一瞬息を飲んだが、
「それは、言えません。でも、は、話だけでも、聞いていただきたくて。」
相変わらず弱々しいその声の主に対して、どう返答するか悩んだが、司は、
「分かった。15時ちょうどに駅前の喫茶店。1番奥の席だ。1分でも遅れたら、俺は帰る。」
そう言い放つと、一方的に切断した。
本来仕事の依頼は、司が手紙を受領し、納得した内容のものだけに司から連絡を取るようにしている。
相手からの電話など初めてだし、ありえない。
『何かがおかしい』
首を傾げるとタバコを咥えて火をつけた。火種がジリジリと紙を燃やす。
ひとまず定食を食べ終えると、司は待ち合わせ場所の喫茶店に向かうことにした。
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