第五章 『五人の仲間』

マジプシャン・ゾーイ

 勇者アルマは五人の仲間とともに、夜の怪物『月の獅子公』を討ち倒した。『五芒の神殿』に乗り込み直接怪物と対峙した、その戦いこそが『明けの獅子狩り』である。

 あまりにも有名な物語だ。六人は命を賭してこの世を守り抜いたのだと、赤子から老人まで皆が知っている。


――彼らは皆、その戦いで討ち死にしている。

 それを知らぬのは、勇者アルマとともに戦った五人の仲間たちだけだった。


 彼らはすべからく己の死のみを理解した。『月の獅子公』の居城――『死者の丘』に聳え立つ『五芒の神殿』にて、獅子公の手先と戦い、勝ち、そしてそれぞれの理由で命を落とした。

 彼らは勇者アルマを信じて、散っていったのだった。


 しかしその後、勇者アルマまでもが『月の獅子公』と相討ちになったことは知らない。知る由もない。

 各々に「必ず帰る」と言葉を交わした勇者アルマだが、帰る機会は永遠に失われていたのだ。


 勇者アルマの死後、魂だけとなった五人の仲間の力によって、『五芒の神殿』は永久に閉ざされた。名工の武具を持つ力自慢でさえ、その戸を打ち破ることはできない。

 ここは『死者の丘』。死する者達の寄る辺。

 夜の怪物『月の獅子公』亡き後でも、それは決して変わらなかった。その力は怪物のものではなく、その土地のものであったのだ。


 彼らは『死者の丘』の頂上、『五芒の神殿』で待っている。その身が朽ち果てようとも獅子公が倒されようとも。

 彼らの勇者の帰還を信じ、誓いの成されるその時まで。



 アルマ・アルマットは、その五人の魂を天に還すために産まれたようなものだった。永久に閉じられた『五芒の神殿』、それを開くための鍵である。


 彼は、当時の勇者アルマとだいたい同じ齢になってから、命じられるがままその神殿に向かった。勇者アルマの衣装を着込み、一人死者の丘を登り、神殿の門を叩いた。

 いっそ開かなければよかったというのに。

 門はまるで彼自身を受け容れるかのように、開いた。厳かで虚しいほど清浄な空気が流れ出で、アルマ・アルマットの青色の髪を揺らした。


 アルマ・アルマットには、この奥に待つだろう彼らの記憶なんて何一つ無かったのだった。




 一人目はマジプシャン・ゾーイだった。

 灰褐色の豊かな髪がステンドガラスを通した光の波に煌めいていた。生きた人間のように赤い唇が神秘的な微笑を形作る。アルマ・アルマットよりも幾分幼いだろうが、その表情からは超然とした余裕が窺えた。

 晒された額に埋め込まれた大ぶりの蛋白石。その底にゆらめく闇の残滓さえなければ、彼女の姿は生前のまま美しい、と言っても過言ではない。


「アルマ」


 閉ざされたままの彼女の瞼がわずかに震えた。あまりの歓喜に怯えるように。彼女は盲目の魔術師だった。


「僕達は、ずっと待っていた……。君を、君のことをずっと。ずーっと」


 アルマ・アルマットは無言のまま頷いた。ゾーイはふふふ、と笑みを漏らす。


「――君のお陰で死ぬのが怖くなった。だけど最後には、死んでもいいと思えて死んだ。君のためなら。君と、仲間と、あの馬鹿と。それから、この世界のためになるのなら、ね。前も言ったけど、こんな気持ちになれるなんて思ってもなかったよ。アルマ、聞いて。僕は、僕は――」


 一瞬、ステンドガラスの光のなか、額の蛋白石が虹色に輝いたように錯覚した。


「僕は、生きててよかった」


 アルマ・アルマットは、まだ年若い彼女の壮絶な半生を知っている。勇者アルマの代替として教えられたためだ。


 しかし何をもってして彼女はその生に光を見出したのか。それだけはアルマ・アルマットには分からないのだ。

 ただ、彼女の満面の笑顔は、今の彼にはあまりにも眩しかった。


「ね、アルマ、これを持って行ってよ。僕の使っていた、『導きたる生者の杖』さ。……死者である僕が持っているなんて、なんだかおかしいものね」


 ゾーイが杖を両手で掲げると、それは光に包まれ、ゆっくりとアルマ・アルマットの目の前に移る。

 アルマ・アルマットは恐る恐るといった動作でそれを取る。ひんやりとした手触りの細身の杖は、彼の手には余った。杖の頭には、ゾーイの額にあるような蛋白石が収まっている。


「よくこれをパタンと倒して、道標としたよね。あはは、よくここまで来れたと思うよ」


 おどけたように肩を竦める。一挙一動が瑞々しく、底抜けに明るい。まるで生を謳歌する子どもみたいに。

 アルマ・アルマットはベアトリーチェのことを思い出そうとする。ゾーイとさして歳が変わらない頃の、彼女の姿を。しかしステンドガラスの鮮やかな輝きに惑わされてうまくいかない。


「君が君の望むとおりに生きられますように。そして導かれますように。――僕の、最期の言葉を聞いてくれた君へ」


 アルマ・アルマットははっと目を見開いてゾーイを見た。彼女はただ柔らかく微笑んでいる。


「――ね、僕、好きな人がいたんだ。あの馬鹿のことだよ。ね、アルマ、気付いてたでしょ。内緒だよ。これからもずっと」


 やがてゾーイの姿が、おぼろげになっていく。ステンドガラスにきらめく、儚い銀色のあぶくのように。


「なにかあったら、それを使ってね。僕が君のために残せる、最後の魔法だよ。ね、アルマ――」


 その言葉に応えたのはアルマ・アルマットではなく、彼女の最期の魔法、『導きたる生者の杖』だった。アルマ・アルマットの手の中で一瞬だけ震えたかと思えば、頂きに湛えた蛋白石が鮮やかな虹色の光を発した。ゾーイはそれに柔らかく目を細めると、そのまま溶けるように消えていった。

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