第2話 オビュリシカ王国勇者創成学園レンフィーマ・アカデミー

 オビュリシカ王国勇者創成学園こと、レンフィーマ・アカデミーとは、王宮からの信頼も厚いレンフィーマ卿が創立した、魔族を倒す術を授け、国土の防衛とそれらを排除する実力を持った〈勇者〉を生むことを目的とした学び舎である。


 こうした戦闘技術を授ける学校はレンフィーマ・アカデミー創立当時より複数あったが、この学園は王国一、否、世界一の学園と呼ばれて久しい。


 その理由は単純で、世界を脅かし続けた魔族の首魁こと魔王〈ガンバス〉を討伐した勇者ヴィヴォールの出身がこのレンフィーマ・アカデミーだからである。五百年ほど昔の話であるが、それ以来、この学園は王国公認の元、毎年二千人以上の生徒を国内外問わず受け入れる、世界で最も有名な学園となった。


 現在では、時代に合わせて複数の学部を持つ。その範囲は勇者創成部、魔術学部、戦士養成部、魔族研究部、総合戦術学部、国際研究学部、国際総合政治研究部、未来デザイン学部など、多岐に渡っている。


 そしてその敷地は王国の外れとはいえ、シャルダン山脈を含む広大な土地を含み、五つの校舎とそれに付随する実験施設、資料館などに加えて、七つの寮を保有しており、規模においても世界一と言って差し支えない。


 そんなレンフィーマ・アカデミーは由緒正しい貴族の出、或いはその推薦状が複数枚と、ちょっとした筆記試験(魔術による不正防止付き)をクリアすれば入学できる。そういう意味では、かなり裾野の広い学園である。ただし、生まれた瞬間、そもそもこの学園の門を潜れない人間がいる。


 ——女の入学を禁ず。断固として。絶対に。あり得ないから。


 入学案内に堂々とそう書きつけられている。


 つまり、レンフィーマ・アカデミーとは女人禁制、男しか入学を許されない禁断の学園である。


 そんな学園の、見上げるほど大きな門の前に、大魔術師ライカ・ダゲレオの妹、リコット・ダゲレオは立ち尽くしていた。


 今日はまた、姉の最期の願いを聞かされたあの日のような快晴で、昼前なのにうっすら汗が噴き出そうなほど。風に混じる草木の香りも心地よい。だが、そんな中で、リコットは顔を真っ青にしていた。


 そんな彼女の様相は、以前とは大きく異なっていた。


 長く伸ばしっぱなしだった金髪は短く、肩程もない。着たこともない肩幅のしっかりした、レンフィーマ・アカデミーの生徒である証たる、かっちりした制服を着て、あたかも男の装いでもってそこにいたのだ。極めつけは、鞄の中の一通の封筒。彼女はそれを取り出し、改めてその表に視線を走らせる。


 ——転入届 リガッタ・ゲダール


 リコット・ダゲレオ、否、今の『彼』の名前こそ、リガッタ・ゲダール。そしてこの封筒は他ならぬレンフィーマ・アカデミーの転入届。裏面には、当然アカデミーを示す紋章が描かれている。


「……おれは、レンフィーマ・アカデミーの生徒、リガッタ・ゲダールだ」彼は、男にしてはやや高い声でそう呟いた。


 だが、何故、彼、もとい彼女がここにいるのか。どうして性別を偽り男装でもって、異なる名を纏って学園の門の前に立っているのか。それは、他ならぬ姉、大魔術師ライカ・ダゲレオから極めて重要な密命を帯びているからである。


『お願い。これは、リコットにしか頼めない大事なことなの』


 姉の言葉が蘇る。だが、それでも、リガッタはこの門を潜ることを躊躇っていた。入学案内の細則がやはり引っかかるのである。いくら服装を偽っても、彼は彼女である。


 とはいえ、彼がそうして見上げても、この門は変化することなどない。ましてや、今日は調子が悪そうだから帰っていいよ、などと声をかけてくれるわけでもない。彼を乗せて来た馬車は当にここを後にしていて、今は一人だった。仕方なしに、門の奥をリガッタ・ゲダールは覗き込む。


 門は、その扉を開け放っていた。故に先に続く花々に彩られた庭園と、さらにその向こうにある七階建てほどの巨大な建造物が見える。


 そう、それこそがこのレンフィーマ・アカデミーの校舎。この国でそれこそ唯一、王宮に匹敵する大きな建物。名前だけは聞いたことがあったが、自分がそれを見る人が来るとは思ってもみなかった。


 リガッタはもう一度、例の封筒、転入届を見た。彼の立場は季節外れの転入生。真っ赤な封筒は、この学園の花形『勇者創成部』の生徒の証であるという。


 何度触っても、見つめても、彼の手の中に、確かに転入届はある。だが、果たして自分はこの門を通れるのか。リガッタはただ、開け放たれた門を前に硬直した。女である自分がこの門を通った時、どんな厄災が訪れるのか。それだけが恐ろしい。


 故にこうしてリガッタは、もう随分と長いことこの門の前でじっと突っ立っているのである。


「君が、噂の転入生かな」


 その時、彼に声をかける女がいた。


 はっとして顔を上げると、いつの間にか門の向こうに一人の『女』がいた。生徒ではないだろう。装飾の控えめなブラウスの上に、真っ白なローブを纏った女。しかも、胸は大きく開けており、そうするだけの大変豊かな双丘が溢れていた。リガッタは色々漏れ出そうになったものを、口を固く閉じることで防いだ。同じ人間とは思えない、凄い大きさだと思った。肩が凝るとかそういう次元ではない。あれで前屈みにならず、堂々と胸を張っているあたり、自分とは背筋の量が違うのだと感じる。否、生きていて楽しそうだと何故か思った。


「聞こえてるかな?」からかうような声。


「は、はい、大丈夫です!」


 慌ててリガッタは返事をした。その反応に、満足そうに女は頷いた。


「じゃあ、早くおいでよ。例の転入生だろう。君の話は聞いている。名乗ってごらん」


 そう促され、リガッタは、本日何度目かの、封筒に刻まれた自分の名前を確認した。リガッタ・ゲダール。それが、今のわたし、否、おれの名前だ。


「——リガッタ・ゲダール」


 そう名乗って、しかし、彼は足が動かなかった。その様子に、女は目を細めた。


「どうしたのかな。もしかして、君……」


「いえ! 本物です! 本物! 大丈夫です! 性別は男です!」


 リガッタは慌てて叫んだ。そして、足を踏み出そうとする。だが、その瞬間に女が言う言葉を、リガッタは聞いてしまった。


「一応言っておくけどね、もしも君に『資格』がなければ、その門は千本の槍を左右から伸ばして対手を貫くし、加えて一万の魔族を処刑してきた〈ハキリソンの断頭台〉の刃が落ちてくるようにもなっている。この門を潜るとき、資格がない人間は絶対に死ぬし、門は絶対に殺すよ」


「ひいっ!」


 リガッタの足が完全に止まった。否、跳び退って、門から距離を置いたのだ。資格なんてないに決まっている。リガッタは女である。女は入学できないと、入学案内にも書いてあった。顎をガクガクと震わせながら、リガッタはその門の上辺を見、確かに呪文が刻まれていることに気付く。


 ——資格無き者を今ここで斬首しよう。われが処してきた魔族にその名を連ねるがいい。わが主の命に従い、わが生涯に懸けて必ずその首を落とすことを誓う。


 ——ウルアンの魔丘にて散った千人の同胞達よ、誇るがいい。今君たちの思いは次の世代をフィルマータ・アカデミーで迎える栄誉を預かっている。勿論、資格無き者は殺せ。どこに逃げようと、ヤンメル騎兵団の誇りに懸けて、殺せ。


「……嫌だ嫌だ、絶対に死ぬ奴じゃん」青褪めて、小声でリガッタは怯えて呟いた。


「どうしたの? おーい」女が手を振っている。


 リガッタの視線は、門の呪文と女の間を行き来する。


 ——逃げよう。


 そう思った。だが、体を大きく捩ろうとしたとき、首から下げた大きな箱がチャキ、と鳴った。これは、リガッタへ、姉が持たせてくれた最新の魔導具である。中にはまだ誰も知らない精巧な魔術が詰まっているはず。だが、魔術の気配は一切外に漏れていないのだ。その仕組みや機構はまさに一級品。ライカはその技術や知識の粋を集めてこれを作り、妹に託したのだ。それを、『リコット』は思い出した。


「ほんと、最悪」


 リガッタはぼそりとそういった。


「なに、大丈夫? 気分でも悪いのかな?」女が声をかけるが、これはリガッタに聞こえていなかった。


大きく深呼吸。そして、目を瞑ったまま彼は一歩を踏み出し、門の向こうへ足を踏み入れる。心臓の鼓動が荒ぶる。呼吸の回数はどんどん増え、背中は汗でびしゃびしゃに濡れている。


 ――これで死んだら、姉をわたしが呪ってやる。


 リガッタは目を瞑ったまま、そうして一歩二歩と進み、門を通って、学園に足を踏み入れた。踏み入れることができた。目を開ける。両手も両足もついていて、血の一滴も出ていない。それに安堵していると、快活な笑い声がリガッタの耳に入る。


「そんなに怖がらなくてもいいのに。何か心配事でもあった?」


 女はリガッタの怯え切った様子を笑った。どうやら自分は無事である。そのことを理解したリガッタもまた、引きつった笑いで、いいえ、大丈夫です、と答えた。


「安心して。君のことはきちんとこの『学園』に伝わっているからさ。さあ、わたしが君をざっくり案内する先生、ベダ・ウィルダック。治癒が専門。よろしくね」


 そういってベダは手を差し出した。勿論、握手を求めていることはわかる。だが、リガッタは逡巡した。ベダの顔を盗み見る。素敵な笑顔。男だったらその体形込みであっという間に好きになっていたかもしれない。当然、ここで断ればあらゆることを疑われるだろう。そう判断した瞬間、差し出された手を素早くリガッタは握る。でも、なるべく優しく。


「は、はい……リガッタ・ゲダールです。今日からお世話になります、先生」そう言って、リガッタは手を離す。


「ふむ。小さいがいい手をしている。さあ、学園を案内しよう」


 どきりとしたが、先生は『それ』に気付かなかったようで、すぐに彼に背を向けて校舎に向けて歩き出した。ひとまず安心である。


 リガッタの伸長は百六十センチメートル。小柄な男子生徒と言い張ればなんとかなるはず。顔つきは、ダゲレオ家の方針で鍛えられたお陰でなんとかなると信じている。とはいえ、手の小ささだけがリガッタの気がかりであった。おそらく、制服付属の手袋で誤魔化しが効いたのだろう。リガッタは内心胸を撫でおろしていた。


 ――第一の関門『資格無き者を絶つ勇気の蘭顎』は突破された。


 門の向こう、学園の庭園には薔薇を始めとした花々が咲き乱れ、その香りを存分に放っていた。それを肺一杯に吸い込んで、なんとかリガッタ・ゲダール、否、リコット・ダゲレオは何とか気を落ち着けた。


 こうして、ダゲレオ家の次女、リコット・ダゲレオは今、架空の貴族の名家ゲダール家の次男、リガッタ・ゲダールとして、性別を偽り、由緒正しいオビュリシカ王国勇者創成学園レンフィーマ・アカデミーへの『不正入学』を果たしたのである。


 目的は当然、ただ一つ。リガッタは改めて、首から下げた魔導具『キャメラ』を一瞬だけ見遣る。


 この『キャメラ』で、姉である大魔術師、ライカ・ダゲレオ最後の望みを叶えるのだ。

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