6
終わった。全てが終わったのだ。
歩希は急いで在影の元へと駆け寄った。
「大丈夫か、在影!?」
「お、おぅ……なんとか、な」
在影は極めて平静を装っていたが、急に駆け上がる太腿の痛みに苦悶の表情を示した。歩希は自分の着ていたシャツを脱ぎ、それを在影の太腿に巻き付けて止血した。
「これで、どうだい?」
「……まぁ幾分かマシにはなったな。まだ大分痛いけど」
多少の痛みは伴ったが効果はあった様で、在影の顔から笑顔が戻って来た。歩希も釣られて笑みを溢した。
「それより歩希、川内谷の様子は?」
「そうだった!」
在影の方に気を取られ、麗美の事を失念していた。歩希が立ち上がって麗美の様子を見てみると、未だに床に突っ伏しながら、「うぅ…あぁ…」と低い唸り声を上げていた。両手で頭を覆い、苦痛からなのかその表情は苦悶に歪ませながらのた打ち回っていた。
「か、川内谷さん、しっかりして!もう全て終わったよ!」
急いで歩希は麗美の下まで駆け寄り、彼女の両肩を優しく掴んで宥めてみた。しかし、今の麗美には言葉が届いておらず、歩希の腕を払い退けた。
「頼むから、いつもの君に戻ってくれよ!」
もう一度、歩希が麗美の肩を掴んで語りかけるも、やはり聞く耳持たずであり、両手で歩希の身体を吹き飛ばした。
「うっ!」
遠くに吹き飛ばされた歩希は、近くの棚に激突する。激突した衝撃で、棚から幾つかのガラス瓶が床に落ちて割れた。運良く、歩希に当たる事は無かった。
「畜生……一体、どうしたら」
思わず歩希らしからぬ、汚い言葉が洩れ出てしまった。それ程までに切羽詰まっていたのだ。
相変わらず麗美は呻いていた。しかし、その声量は次第に大きくなっており、「やめて」や「来ないで」などと言葉を発し始めていた。もはや半狂乱である。
もう麗美は戻らないかもしれない……。
不安や絶望といったドス黒い何かが、歩希の頭の中を少しずつ塗り潰していった。これ以上、友人がおかしくなるのを見ていられなくなり、歩希はギュッと目を閉じた。すると、
「麗美っ!」
突然、在影が叫び出した。その声は生物保管室の窓ガラスを大きく揺らし、棟全体に響き渡った。何事かと思い、歩希はゆっくりと目を見開いた。そして、その目に映った光景に驚愕する。
麗美の身体を在影が抱きしめていたのだ。
在影は痛みを我慢しながら、麗美の下まで這いずった血の跡が残っていた。しかし、抱きしめているその顔はとても穏やかであった。
一方、麗美の方はいつの間にか唸るのを止めていた。そして、何が起きているのか分からないといった表情をしながら、口をパクパクとさせている。
「あり…かげ…?」
「あぁ、俺だよ。麗美」
小さな声で麗美が呟く。その声は唸っていた時の声とは違く、いつもの麗美そのものの声であった。
まさに奇跡であった。在影の心の叫びは、麗美の固く閉ざされた扉をこじ開けたのである。
歩希も足元をふらつかせながら、二人の近くまで駆け寄った。
「あぁ、本当に良かった!いつもの川内谷さんだ」
「歩希、君?……そっか、私。二人に、凄く迷惑を、掛けちゃったんだね」
歩希の姿を認識した麗美は、ニッと笑って見せた。しかし、その目からは一筋の涙が伝っていた。
「あ、あれ?どうしてかな?なんで涙なんか流れてくるんだろ?」
「良いんだよ。今は存分に泣いて良いんだ、麗美」
在影が更に強く麗美を抱きしめた。それがトリガーだったのか、麗美はまるで子供の様に泣き叫び出した。
その二人の姿を見て、歩希は心の底から安心した。
〜
ものの3分くらいであろうか。もう麗美の目から涙が出てくる事は無かった。精神的にもとても安定している様に見えた。
「ありがとう、在影。もう大丈夫だよ」
「……うん、分かった」
そう言って二人は少しだけ距離を作った。すると麗美が何かに気付き、大きく息を吸い込んで驚いた。
「ちょっと、怪我してるじゃない!」
麗美の視線は在影の左太腿にあった。顔から血の気が引いており、オロオロし始めた。
「えっ、あぁこれかい?男の勲章ってやつかな」
「何バカなこと言ってるのよ!……本当に大丈夫なの?」
「……うん。歩希に応急処置してもらったからね」
確かに太腿の血は止まっていた。しかし、応急処置で巻いた歩希のシャツは、痛々しい程に紅く染まっていた。
「そうだったんだ。ありがとうね、歩希君」
「いや、当然の事をしたまでだよ。大した事はしてない」
麗美が感謝を述べると、途端に下を向きながら悲しい表情をし始めた。ややあってから、麗美が重たい口を開いた。
「……私が、撃ったのよね。在影の太腿」
「!?」
あまりの衝撃的な発言に、歩希も在影も身を前に乗り出した。思わず在影は麗美の両肩を強く掴んでいた。
「覚えてるのかっ!?」
「えっ?う、うん」
「その時の事、教えてくれないかな、川内谷さん」
二人の気迫さに麗美は気圧されたが、何か覚えていないか考え込んだ。必死に思い出そうとするも、その顔にはあまり期待出来そうになかった。
30秒程経ってから喋りだした。
「その、具体的な事はあまり覚えてないの。誰かに意識を乗っ取られてたみたいで」
「乗っ取られる?」
歩希が訝しんだ。それに対して麗美は何も言わずに、ただ一回だけ頷いた。
「それで唯一覚えてるのが、誰かに『撃て』って命令されたこと位しかないの。それも二回」
「……」
歩希と在影は互いの顔を見やった。互いに目を大きく見開き、その表情はどう言う意味だと言いだけであった。
歩希が一つ訊いてみた。
「川内谷さん、命令されたって事はその声を聞いたんだよね。どんな声だった?」
「どんな、声……?」
麗美の顔がまるみる内に暗くなる。……覚えてないだろうか。
重い口が開かれる。
「その……分からないの」
「分からない?」
怪訝そうに言ったのは在影であった。
「完璧に分からない、ていう意味じゃないの。なんて言うか子供や老人、男女関係なく色んな人が一斉に喋っている様な声だったの」
「……そうか、なるほど」
麗美の言っている意味を理解した歩希は、大きく息を吐いた。在影も下を向きながら、歯を食いしばりながら拳を床に叩きつけた。
どうやら、相手はかなり巧妙な手を使って麗美を操っていた様子だ。明らかに常人の域を超えた技術を持っている。そんなのが敵だなんて……。
「ごめんね、あんまり役に立てなくて」
「ううん、謝らないで川内谷さん」
「そうだそうだ。俺らにとっちゃあ、こうやって生きててくれてるだけで凄く助かってるんだからさ」
「ふふっ、二人は優しいね」
少し控えめに微笑んだ麗美は、何の気なしに在影の手を取った。それに対して在影は身体をビクッと震わせたが、直ぐに受け入れた。
なんだか甘ったるい、良い雰囲気であった。しかし、ここで歩希がある疑問が浮かび、一つ行動起こしてみる事にした。
「んんっ!」
「!?」
軽く咳払いをしてみたのだ。すると、二人は直ぐに自身の手を引っ込め、顔も互いに反対の方向を向いた。
歩希は一瞬にして確信した。
「えーっと、君達は"付き合っている"という認識で合ってるのかな?」
少し冗談めかしく歩希が言うと、二人は何も言わず、ただただ顔を赤らめた。図星だ。これはこれで面白い。
数秒してから麗美の口が開いた。
「……うん、実は付き合ってたんだ」
「……」
恥じらいながらも、麗美は言い切った。在影はというと何も語らず、ただその言葉を聞いて身体が震え出した。
「そうだったんだ、全然気が付かなかったよ。……在影、お幸せにね」
「う、うるせぇよ!」
歩希が
在影の視線は床に落ちている一丁の銃、麗美が持っていた
「コイツは随分古いタイプの
在影は一度構えてみたり、至る所を見回した後、慣れた手つきでマガジンを取り出した。
「俺達が扱っていい代物じゃない。ここに置いておこう」
そう言って、本体とマガジンをそっと置いた。正直、もう二度と扱いたくないと歩希は心の底から思った。……何せ、二人の命を奪ったのだから。
「そろそろ、ここを離れないか」
「そうだな。いつまたアイツらが来るか分からないしな」
歩希の提案に、在影が大きく反応を示した。麗美も発しはしなかったが大きく頷いた。
在影を支える為に、歩希と麗美が左右から支えてあげた。そして、いざ動こうとした瞬間、麗美は血相を変えた。
「えっ……そんな、嘘よ……」
麗美が見た物。それは瞬と萌恵の死体であった。二つの肉塊はさっき見た時よりも、大きな血溜まりを作っていた。
在影もそれを見て、急いで捲し立てた。
「見るな、麗美!君がやったんじゃない!君は──」
「まさか、そんな……本当に私……!」
何度も在影は否定するが、麗美の耳には既に届いていなかった。呼吸は徐々に乱れ、目の焦点が合わなくなってくる。
『──』
「!?」
突然、麗美は身体を仰け反りながら大きく息を吸い、一気に瞳孔が開いた。
「川内谷、さん?どうしたの?」
恐る恐る歩希が訊いてみた。しかし、歩希が欲しい反応は返ってこなかった。その代わり、違う反応が返ってきた。
「あああぁぁぁーーー!」
麗美は今までに無い程の絶叫をした。その絶叫は窓ガラスにヒビが入る程である。思わず歩希と在影は麗美から離れ、その場に
麗美の絶叫は十秒程続いた。そして、絶叫が終わると暫く立ち尽くしていた。何もせず、ずっと空中を見上げている。
「一体、何がどうなってるんだ」
歩希がそう吐き捨てながら立ち上がった。在影も立膝を突いて麗美を見上げた。
「麗美、あの二人は君がやったんじゃない。違う人物が君の身体を使ってやったんだ。だから──」
在影が諦めずに麗美を宥めていたが、やはり麗美には届いてはいなかった。それどころか、麗美は視線を徐々に下げ、次第に床に落ちている
「マズイッ!」
視線に気付いた歩希は、急いで銃を取ろうと駆け出した。しかし、それよりも早く麗美が動き、華麗にスライディングをしながら取り、チャッと銃口を歩希に向ける。
歩希は仕方なく在影がいる所まで後退した。
「しまった、迂闊だった」
身体を壁に預けながら、在影はそう言った。その言い方はやけに焦っている印象であった。
「どういう意味、在影?」
視線は麗美から外さずに、歩希が在影に訊く。すると、在影は壁に拳を叩きつけてから答えた。
「さっき俺が拳銃を見てた時の事を思い出してくれ。あの時、あの拳銃はオートマチックの銃だって言っただろ」
『オートマチックだから、いちいち引き金を引く必要もない』
確かに在影は言っていた。しかし、銃に詳しくない歩希は、一体それが何を示しているのか見当もつかなかった。
「だから、どう言う意味なんだ?」
「あの拳銃はマガジンだけ外しても、"本体にはまだ一発分残ってる"んだよ」
「何だってっ!?」
そう。オートマチック拳銃は、マガジンを抜いただけでは全ての弾を抜いた事にはならない。弾を取り出すには一発撃つか、もしくは本体上部にある
在影はマガジンは抜いたものの、それから撃ってもいないし遊底をスライドさせてもいない。だから焦っていたのだ。……さて、どうするか。
歩希は短い時間で様々な思案をしてみた。しかし、どれも有効な手段にはなり得なかった。やはり、自分達の武器は"言葉"しか無かったのだ。
歩希は両手を上げながら口を開いた。
「もう止めよう。こんな事したって何にもならないよ」
するとどうした事か、麗美の手が震えて始めた。銃がカチャカチャと忙しなく鳴る。動揺しているのか、それとも麗美自身が戦っているのか。どちらにせよ、歩希の言葉で麗美の動きが鈍くなったのは確かである。
「歩希の言う通りだ。例えその銃を撃っても、何も変わらない。そこにあるのは、ただ後悔という名の地獄だけだ」
在影が追撃する。立っているのが辛いのか、語り掛けながら苦悶な表情していた。
一方、やっと在影の言葉が届いたのか、麗美は苦しそうに唸り声を上げ始めた。しかし、左手をこめかみに当て、さっきよりも震えている銃の照準を在影に合わせる。
在影は臆せずに、ただ一言だけ添えた。
「麗美、一緒に帰ろう」
ゆっくり優しく言うと、麗美はゆっくりとその銃を下げ始めた。身体を屈め、銃を床に置こうとしている。あと少し……あともう少しだ。
『──』
「……かはっ!」
あと数ミリと言う所で、突如として麗美が喀血した。あまりの不測の事態に、歩希と在影は直ぐに動く事は出来なかった。
「川内谷さん!」
「麗美っ!」
漸く理解した二人は身体が勝手に駆け出していた。それはまるで、麗美に吸い寄せられる感覚である。
しかし、麗美の身体はそれを拒んだ。しっかりと立ち上がり、銃口を自身の顎にくっつけて、引き金に指を掛けていた。それこそまるで、誰かに操られているかの様に。
「やめろっ!バカな真似はよせっ!!!」
在影が今まで聞いた事が無い、部屋全体を揺らす大声を咄嗟に出した。勢い余って体勢を崩してしまい、床に激突して這いつくばった。しかし、それでも進むのを止めなかった。太腿に走る激痛に耐えながら、無理にでも身体を這いずった。
一方、歩希は何故か嫌な予感が過った。いつかの時を思い出していたのだ。それ以上歩みを進めるのを止め、相手の様子を伺った。
「麗美、ダメだよ。お前は俺達と一緒に帰らなくちゃ。生きなくちゃいけないんだ」
右腕を麗美の方に伸ばしながら、今にも泣き出しそうな声を出す在影。少しずつではあるが、その距離をジリジリと縮めていく。
しかし、それに比例するかの様に麗美も後退していく。銃を持つ手は震えており、目の焦点も微妙に合っていない。どう見ても精神が錯乱していた。
もうダメだ……きっと麗美は助けられない。そう諦めかけたその時、
「……あり、かげ」
「麗美っ!」
首を絞められている様な、か細い声が聞こえた。その声は恋人の名前を呼んでいた。二人共、彼女の意識がまだちゃんとある事に安堵した。一縷の希望が見え始めた。
しかし、それも束の間であった。
麗美のトリガーに掛かった指が、強く押し込まれそうになっていたのだ。それに気付いた歩希は「止めろっ!」と声を放った。
「た……け、て……」
乾いた破裂音が鳴り響いた。その銃声は残酷で、残虐で、無慈悲であった。
歩希達の目の前には一輪の赤い花が咲いていた。しかし、瞬きをした刹那、もうその花は跡形も無く散っていた。
麗美は背中から倒れ込んだ。そして、それっきり動く事は無かった。……そう、二度と。
その光景を目の当たりにした歩希は立っていられなくなり、遂には膝から崩れ落ちた。そして「うっ……うっ……」と咽びながら、自身の無力さを痛感したのだった。
一方、在影は何も発せずに麗美の下までゆっくりと這いずった。そして、彼女の頭をスッと持ち上げた。
「おい、嘘だろ……。冗談はやめてくれ。起きてくれよ、麗美」
在影が顔を横に振りながら言うと、その目から一粒の涙が溢れた。すると、今まで我慢してきた分の涙が止めどなく溢れ出した。もはや止める事など出来ない。
在影は脇目も振らずに喚き散らかした。
「クソォォォーーー!!!」
在影の咆哮は棟全体、いや、大学全体に轟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます