第44話 我こそは、、、

 ~魔王城 円卓の間~


 奇跡が起きた。

 絶体絶命の戦場で、我が推しアルミルが歌い出した伝説の楽曲『リビドーレイン』。

 その歌声に呼応するかのように、雲一つなかった荒野の空が瞬く間に分厚い雨雲に覆われ、視界を奪うほどの豪雨が降り注ぎ始めたのだ。


 水晶玉に映る映像の中で、これまで余裕綽々よゆうしゃくしゃくだった魔人カボネが、急に挙動不審になり怯えだした。


『ど、どういうことだ!? なぜ急にこんな厚い雲が……雨が……! ま、まさか、さっきの歌で天候を操ったとでもいうのか!?』


 動揺するカボネ。それもそのはず、奴は「雨天時の雷」だけが唯一の弱点だと言っていた。自分で死亡フラグを立てて回収するとは、律儀な悪役だ。


 そして、この勝機を逃すまいと、満身創痍だったアスナさんが前へ出る。

 雨に打たれながら、彼女は勝利を確信したように不敵に笑った。


『すごいぞ! すごいぞアルミル! そなたの歌が雲を呼び、雨を降らせた! これぞまさに、伝説の天響詠喚師てんきょうえいかんし様の再来ぞよ!』


 アスナさんが杖を高く掲げる。

 雨粒が魔力に反応してバチバチと弾ける。


『さぁ魔人よ、さっき自慢げに語っておったな。雷魔法が弱点だと。

 ならば教えてやろう。ワラワの最大の得意魔法は、その雷魔法ぞよ!!』


 彼女が最後の魔力を振り絞り、天に向かって杖を振り下ろした。


『穿て! ネオサンダーキャザー!!!』


 カッッッ!!!

 水晶玉の映像が白飛びするほどの閃光。

 大地を揺るがす轟音と共に、天から降り注いだ極太の落雷が、水浸しになったカボネを直撃した。


『ぐあぁぁぁぁーーー!!!』


 断末魔の叫び。

 一瞬で全身を黒く焼かれ、黒煙を上げて地面に墜落するカボネ。

 勝った!

 俺は心の中でガッツポーズをした。

 ゆっくりとカボネに近づき、トドメを刺そうと杖を構えるアスナさん。

 その時だ。


 ブツッ。


 唐突に水晶玉の光が消え、映像が途絶えた。

 円卓の間が静寂に包まれる。


「えっ? あ、あれ?」


 いいところだったのに!

 おそらくカボネがダウンしたことで魔力が切れ、中継魔法も維持できなくなったのだろう。

 だが、最後のアスナさんの様子を見る限り、こちらの勝利は揺るぎないはずだ。

 ふぅ、一時はどうなることかとヒヤヒヤしたが、一安心だぜ。


 俺が胸をなでおろしていると、魔人サミットの進行役であり、俺の側近でもあるビニルが、髭を撫でながら口を開いた。


「おやおや、やられてしまいましたなぁ。まさかカボネ殿が後れを取るとは。

 ……ですがまぁ、あのままカボネ殿が倒されたとしても、大勢に影響はありますまい」


「ん? どういうことだ?」


「指揮官を失った魔物や魔獣は、制御を失い暴走します。理性なく暴れまわるあの数を前にしては、すでに体力を失った人間どもに勝ち目は万に一つもないでしょう。結果として全滅。我々の勝利ですな」


 なっ!?

 そうだ、まだ大勢の魔族軍が残っていた!

 制御不能になった怪物の群れなんて、統率された軍隊よりタチが悪い。

 まずい。非常にまずい。


 俺が焦りで冷や汗をかいていると、今まで黙ってサミットの末席に座っていたポームが、ガタッと椅子を鳴らして立ち上がった。


「おじい様!」

 彼女はまっすぐビニルを見据えて言った。


「私を、私を今すぐあの場へ転移させてください。この世界を行き尽くしたおじい様なら、それくらいできるでしょう?」


「ふむ? まぁ、座標はカボネ殿の中継で割れておるゆえ可能ではあるが……なぜじゃ? なぜポームが行く必要がある?」


 ビニルが怪訝な顔をする。

 俺にはわかる。ポームはアルミルたちを助けに行きたいのだ。

 だが、ここで「友達を助けに行く」なんて言えば、魔族の裏切り者として処罰されかねない。


 ポームは拳を強く握りしめ、震える声で――しかし、はっきりと言った。


「カボネ殿の不甲斐ない姿、見ていられません。私が……私がカボネ殿の後を引き継ぎ、魔族軍を束ねて人間軍を殲滅してまいります!」


 嘘だ。

 彼女の目が「必ず守る」と叫んでいる。


 しかし、孫バカのビニルはその嘘を真に受け、パンと手を叩いて喜んだ。


「そうか! そうかそうか! やはり我が孫娘よ、魔族の誇りを忘れておらなんだか!

 うむ、すでに『勝ち確』の戦場ではあるが、指揮官としての初陣にはもってこいじゃな。行って参れ! ホレッ!」


 ビニルがポームに向かって掌をかざす。

 空間が歪み、薄いモヤが発生してポームを包み込む。


 消えゆく寸前、ポームが俺の方を一瞬だけ見た。

 『行ってきます』と、そう言った気がした。


 ポーム……。

 お前、わかっているのか?

 あそこで魔族軍の前に立てば、アルミルたちにお前の正体がバレる。

 魔族であることを隠して築いてきた友情が、壊れてしまうかもしれないんだぞ。

 それでも、お前は……。


---


~ ピンカー平野 国境付近 ~


 雨は上がり、雲の切れ間から光が差していた。

 黒焦げになり、地面に這いつくばって虫の息となっている魔人カボネ。

 アスナは冷徹な目でそれを見下ろし、杖に魔力を込めた。


「終わりじゃ、魔人」


 とどめを刺そうとした、その時。

 アルミルがアスナの腕を掴んだ。


「待って! 逃がしてあげてください、アスナさん!」


「なっ!? 正気かアルミル! こやつは魔族だぞ! 数多の人間を殺し、味方たちをも手にかけた仇じゃ! 情けは無用、ここで生かしておいては必ずまた脅威となる!」


「それでも……お願いします」

 アルミルは引かなかった。その瞳には、強い意志が宿っていた。


「その時は、また私たちで止めましょう。殺し合いの連鎖は、ここで終わりにしなきゃいけないんです。きっと、わかってくれる時が来ますから」


 アスナは歯を食いしばり、震える手で杖を下ろした。アルミルの真っ直ぐな瞳に、毒気を抜かれたように。


「……甘い。甘すぎるぞ、アルミル。だが、今回はそなたの顔に免じて預けよう」


 アスナが道を空ける。

 カボネは信じられないといった目で二人を見たが、何も言わずにふらふらと体を起こし、蛇行しながら空へと逃げ去っていった。


 しかし、本当の地獄はここからだった。

 指揮官を失った無数の魔物と魔獣たちが、血の匂いに刺激され、一斉に咆哮を上げたのだ。


「グルァァァァァ!!」


 制御を失った暴走。

 人間も魔族も関係ない。目の前の動くものを食らうだけの殺戮の群れ。

 兵士たちは恐怖にすくみ上り、アスナも魔力が底をついて膝をついた。


「くっ、ここまでか……!」

 万策尽きた。


 その時だった。

 戦場の中央に、突如として空間の歪みが生じ、薄いモヤが現れた。

 そこから一人の少女が、音もなく降り立った。


 いつもの店員服ではない。身軽な戦闘服に身を包んだ、ポームだ。


「えっ……ポームちゃん!?」

「なぜポームさんがここに!?」


 驚くアルミルとアスナ。

 しかし、ポームは二人を見ようとしなかった。

 悲しげに伏せられた瞳。しかしすぐに顔を上げ、決意の表情で二人に背を向けた。


 彼女は暴走する魔族軍の真正面に一人で立ちはだかると、腹の底から響くような、ドスの利いた大声を張り上げた。


「我こそは――!!」


 ビリビリと空気が震える。

 その迫力に、魔物たちが一瞬ひるんだ。


「我こそは、魔人ビニルの孫にして、魔王軍精鋭、魔人ポームである!!

 これより、魔族軍の全指揮権は我が執る!!

 静まれぇぇぇーーー!!!」


 戦場に響き渡る咆哮。

 それは可憐な少女の声ではなく、紛れもなく上位捕食者である魔族の威圧だった。


 アルミルとアスナは言葉を失い、呆然とその後ろ姿を見つめることしかできない。

 ポームちゃんが、魔人?


 魔物たちが恐怖で身をすくませ、地面にひれ伏す。

 完全に制圧したことを確認すると、ポームは腕を振り上げ、撤退の合図を送った。


「者ども! 引けーッ! 撤退だ!

 これは魔人ポームの命令である! 一匹残らず巣へ戻れ!!」


 その命令は絶対だった。

 地を埋め尽くしていた魔族の大軍勢は、蜘蛛の子を散らすように一斉に反転し、砂煙を上げて去っていった。


 あっという間に、戦場から魔族の気配が消えた。

 残されたのは、静寂と、立ち尽くすポーム一人。


 彼女はゆっくりと振り返った。

 その表情は、いつもの親しみやすいポームではなく、冷ややかな仮面を被っていた。


「……この通り、私は魔族。でも、人間と魔人とのハーフなんだ」


 ポームは淡々と語り始めた。


「だから結界に焼かれずに、あの街に入り込むことができた。

 あ、勘違いしないでね。兄上……シュラは種違いだから、両親はれっきとした人間よ。私が魔人だったってことは、兄上も知らなかったこと」


 彼女はシュラの正体(大魔王)を守るための嘘を、淀みなく口にした。自分が全ての泥をかぶるつもりだ。


「あなた達を騙してたつもりは無いんだけど……まあいいわ。何を言っても言い訳ね。今更って感じ?」


 ポームは自嘲気味に笑った。

 わざと突き放すような口調。嫌われるための演技。


「もう、会うこともないでしょう。

 それ、じゃあね」


 ポームはサバサバと一方的に話を打ち切ると、二人に背を向けて歩き出した。

 その背中は、拒絶を示しているようで、どこか泣いているように小さく見えた。


「待って! ポームちゃん!」


 静寂を切り裂いて、アルミルが叫んだ。

 彼女は満身創痍の体で、必死に追いかけようとする。


「そんなの関係ないよ! 魔人だとかハーフだとか、どうでもいい!

 一緒に帰ろ! 一緒に帰ってライブしよ! 4人でやるって約束したじゃん!」


 ポームの足が一瞬止まる。

 肩が微かに震えた。

 けれど、彼女は振り返らない。自分がそばにいれば、また嘘をつくことになる。アスナさんを苦しめることになる。


 雨上がりの地面に、ポタリと雫が落ちた。

 空は晴れているのに。それはポームの瞳からこぼれ落ちた、最初で最後の涙だった。


「ポームちゃん!!」


 アルミルの声が響く。


「何があっても親友だって言ったよね!

 私、待ってるから!

 絶対に、プトルカンで待ってるからね!!」


 ポームは何も答えず、逃げるように走り去り、荒野の彼方へと消えていった。


 残されたアスナは、去り行くポームの背中を、複雑な表情でただ黙って見つめていた。

 魔族への憎しみと、共に過ごした楽しい日々。二つの感情の間で、彼女の心は激しく揺れ動いていた。

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