第37話 同じ空 同じこと
~王都ファクトリオス 地下水路 盗賊団隠しアジト~
圧倒的な「死」の予感を漂わせ、大魔王はその場を去っていった。
後に残されたのは、恐怖のあまり腰を抜かして震え続ける盗賊団の男女二人と、魔族の少女ポームだけであった。
ポームは手の中に残された、銀色に輝く指輪を強く握りしめた。それはアスナが涙を流して探していた、大切な家宝だ。冷たい金属の感触の中に、主である大魔王の温かい配慮が宿っているように感じられた。
ポームは冷ややかな瞳で足元の二人を見下ろした。
大魔王に無駄な手間を取らせ、あまつさえ護衛対象である自分を危険に晒し、大切な人を悲しませた下衆どもだ。
本来の魔族の流儀であれば、爪の一枚や二枚では済まないほどの苦痛を与えて報復するところだ。いや、この場で八つ裂きにしても、彼女の腹の虫は収まらないだろう。
だが……ポームは小さく息を吐き、握りしめていた拳を解いた。
去り際に大魔王は「監獄」と言った。それはつまり、私的な制裁ではなく、人間の法に委ねよという意味だ。
以前の主であれば、このような慈悲を見せただろうか。いや、違う。これは慈悲ではない。「秩序」だ。
アルミルが望む世界、誰もが笑って暮らせる世界には、暴力による恐怖政治ではなく、正当なルールが必要だと、彼は考えを改めたのだ。
(アル、あなたが変えたのね。あの大魔王様の心すらも動かしてしまうなんて)
ポームは近くにあった丈夫そうな麻紐を手に取ると、手際よく二人を縛り上げた。
「有難く思いなさい。今日があなたたちの命日にならなかったのは、すべてあの方と、ある少女のおかげよ」
ポームは二人を芋虫のように転がすと、この場所の座標と詳細を記したメモを作成し、治安維持部隊へと通報を入れた。
地下の淀んだ空気が、少しだけ澄んだ気がした。
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その後、ポームは全速力で定食屋プトルカンへ戻り、首を長くして待っていたアルミルへ事の顛末を報告した。もちろん、シュラが大魔王に変身した件は伏せて、「商人の知恵と道具で解決した」ことにして。
アルミルは手を取り合って喜んだ。
時計を見れば、陽はとっぷりと暮れ、夜の帳が下りている。常識的に考えれば、訪問するには遅すぎる時間だ。
けれど、二人は顔を見合わせた。
「届けよう、今すぐに」
「うん! アスナさん、きっと今も泣いてるもん」
一刻も早く指輪を返し、彼女の笑顔を取り戻したい。その想いは一緒だった。
二人は夜の街へと駆け出した。
その道中、まだ明かりのついている道具屋の前で、アルミルが急ブレーキをかけた。
「ポームちゃん、ちょっと待って! これ、どうしても買っていきたいの!」
「え? 今? 急いでいるのに?」
「お願い! これがアスナさんを元気にする魔法になるかもしれないの!」
アルミルの熱意に押し切られ、二人は数分の寄り道をした。彼女が選んだのは、なんとも可愛らしい、子供向けの玩具だった。
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~ アスナの屋敷・正門前 ~
貴族街の一角にそびえ立つモークザイン家の屋敷は、重苦しい静寂に包まれていた。
門を守る警備兵が、息を切らして現れた二人を怪訝な目で見下ろす。
「何だお前たちは。こんな夜更けに何の用だ」
「あ、あの! アスナさんの……モークザイン伯爵の友人のアルミルとポームです! どうしてもお渡ししたいものがあって……」
「約束はあるのか?」
「い、いえ、急だったのでないんですけど……」
「ならん。お引き取り願おう」
門前払いだ。当然の対応だが、ここで引くわけにはいかない。
強引に突破しようかとポームが重心を低くした、その時だった。
「騒がしいですね。何事ですか」
門の奥から、カンテラを手にした影が現れた。
あの執事だ。夜の闇に溶け込むような燕尾服姿で、静かにこちらを見据えている。
「あ、執事さん!」
「おや……アルミル様、ポーム様ではありませんか。どうされましたか?」
アルミルが鉄格子の隙間から身を乗り出すようにして叫んだ。
「執事さん! お願いです、アスナさんに会わせてください! 大事な用があるんです!」
執事は眉一つ動かさず、静かに首を横に振った。
「申し訳ございませんが、それは叶いません。実はお嬢様は、おとといより気分が優れず、部屋に籠って休まれております。誰とも会いたくないと仰せでして」
その言葉に、ポームとアルミルはハッとした。
執事の口調、そして「気分が優れない」という表現。
――もしかして、指輪を盗まれたことを言っていない?
二人の視線が交差する。
きっとそうだ。あのアスナが、家宝を、それも自分の不注意で失くした(盗まれた)なんて言えるはずがない。言えば自分の管理不足を問われるだけでなく、家の名誉に傷がつき、さらに外出を禁じられるかもしれない。
彼女は一人で抱え込み、布団の中で泣いているのだ。
アルミルは瞬時に状況を理解した。
ここで「指輪を取り返してきました!」と大声で言えば、警備兵たちにも聞こえてしまう。アスナの秘密を守らなければならない。
アルミルは素早く背を向け、道具屋で買った紙袋の中に、こっそりとあの指輪を滑り込ませた。
そして、努めて明るい声で振り返り、袋を差し出した。
「わかりました。無理を言ってすみません。
じゃあ、これを……これをアスナさんへ渡してあげてください。私たちからの、お見舞いのプレゼントです」
執事は笑みを浮かべて袋を受け取った。
「お気遣いありがとうございます。回復いたしましたら、お二人が来られたことをお伝えしておきます。今日の所はこれにてお引き取りを」
「はい、必ず渡してくださいね! 絶対に!」
執事が丁寧に一礼し、重い鉄扉が閉ざされた。
二人はその背中が見えなくなるまで見送った。
帰り道。
仕事を終えた安堵感と、心地よい疲労感が体を包んでいた。
見上げれば、王都の夜空には満点の星が輝いている。宝石箱をひっくり返したような、吸い込まれそうな星空だ。
ポームが夜空を見上げながら、ポツリと呟いた。
「アスナさん、元気になるといいね」
アルミルもまた、同じ星を見つめていた。
「うん。……私も今、まったく同じことを考えてた」
種族も、生まれた場所も違うけれど、見上げる空は同じ。願うことも同じ。
二人は顔を見合わせ、夜道に笑顔で家路を急いだ。
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翌日。
~定食屋プトルカン~
俺は一睡もできなかった。
魔王城のふかふかのベッドで横になっても、天井のシミがアスナさんの泣き顔に見えてくる始末だ。ポームが無事に始末をつけたのか、指輪はちゃんと返ったのか、気になって気になって仕方がない。
空が白むのを待って、俺は商人の姿へ変身してから転移魔法で王都へ飛んだ。
まだ人通りの少ない早朝の街を駆け抜け、定食屋プトルカンの前へたどり着く。
バンッ!
俺は勢いよく店の扉を開け放った。
「ポーム! どうだった!? 昨日はあれからどうなったんだ!?」
血走った目で店内に飛び込んだ俺は、そこで固まった。
「……え?」
そこには、開店準備をするポームとアルミル。
そして、客席に座って優雅にお茶を啜っているアスナさんの姿があった。
さらに、カップを持つ彼女の右手薬指には、あの銀色の指輪がしっかりと輝いている。
俺の姿を認めたアスナさんが、弾かれたように立ち上がり、満面の笑みで駆け寄ってきた。
「おお! シュラ殿! 待っておったぞ!
話は聞きましたぞ。ワラワの指輪を取り戻していただき、心より、心より感謝いたす!!」
アスナさんが俺の手を取り、上下にブンブンと振る。
その顔色は、昨日の絶望が嘘のように晴れやかで、生き生きとしていた。
「昨晩、アルミルとポームさんが屋敷まで届けてくれたそうなのだが、執事が気を利かせたのか忘れていたのか、今朝になって渡してきよってな。居ても立っても居られず、こうして出向いて感謝を述べさせていただいたのだ!」
よかった。本当によかった。
俺は魂が抜けたように安堵のため息をつき、そしてチラリとポームに視線を送った。
『おい、俺はどうやって解決したことになってるんだ? 変な設定になってないだろうな?』という確認の合図だ。
ポームは咳ばらいを一つして、もっともらしい(そしてかなり苦しい)説明を始めた。
「あ、あの時の『商人』である兄上は、実に勇ましかったです!
商人として培った目利きと様々な便利アイテムを駆使して、瞬く間に盗賊団のアジトを特定し……
さらに、商人として商品の梱包で鍛えた『超絶ロープワーク』で、犯人を一瞬にして縛り上げておりました!
その後、商人である前に善良な一国民である兄上は、私刑を加えることなく、犯人を治安維持部隊へ突き出しておりました。……でした!」
最後が少し噛んだが、なんとか言い切ったようだ。
梱包? 超絶ロープワーク? まあいい、話を合わせておこう。
「ま、まあ、捕まえられたのはたまたまですよ。運が良かっただけです。でも、本当によかったですね、アスナさん」
「謙遜を申されるな。そなたには魔人出現の時といい、今回といい、2度も窮地を救っていただき……感謝の言葉では足りないくらいの、その……」
アスナさんが少し頬を染め、モジモジとしている。
おいおい、まさかフラグが立ったんじゃないだろうな? 俺は大魔王だぞ? 貴族様に好かれるなんて、死亡フラグ以外の何物でもない。
しかし、彼女はハッと思い出したように、手元の袋をゴソゴソと探り始めた。
「あっ、そういえばアルミルよ。昨日届けてくれた袋の中に、指輪以外にもこんなものが入っていたのだが、これはアレか?」
アスナさんが取り出したのは、短い木の棒。
先端に星の飾りがついた、安っぽい塗装のされた棒だ。どこかで見たことがあるような……。
アルミルがニカっと笑って答えた。
「それは、アスナさんへのプレゼントです!
初めてアスナさんと出会った道具屋で教えてもらったソレです。『音や視覚効果が大きいだけで、威力はほぼ無い子供用のおもちゃの魔法杖』です!」
「やはりそうか。しかしだな、これはワラワも持っておるぞ。それも小さいころに親に買ってもらった年代物がな、ほれ!」
アスナさんは自分の高級そうな手提げバッグから、全く同じ形の杖を取り出した。
ただし、持ち手の塗装は剥げ、星の飾りも少し欠けている。手垢にまみれ、黒ずんだその杖からは、幼い頃の彼女がどれほど魔法に夢中だったかが伝わってくるヴィンテージ感が漂っていた。
「なぜ今更、この子供だましの杖をワラワに?」
「私たちをお屋敷にご招待してくれたあの時、アスナさん言ってたじゃないですか。『情熱を注ぐ先が無い』って。
だから私、考えてみたの。アスナさんが全力で注げるような、新しい情熱を!」
アルミルの目がキラキラと輝きだす。何かを企んでいる時の顔だ。何かが始まる予感がする。
「で、これで何をせよと? まだよく意味が分からぬが」
アルミルはビシッと指を突き出し、高らかに宣言した。
「そうです魔法です!
その魔法杖を使って、私の歌の伴奏……つまりシンセをやっていただけませんか?!」
「……しんせ?」
ポカーンとするアスナさん。
俺は思わず頭を抱えた。
シンセサイザーって。魔法で音作り?
アルミルの無茶ぶり、ここに極まれり。新たな展開に胸が高鳴るしかしなかった。
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