第10話 買い物

翌朝、魔王城。


 小鳥のさえずりならぬ、地獄の番犬ケルベロスの遠吠えで俺は目を覚ました。

 天蓋付きの巨大なベッドから上半身を起こし、何気なく横にあった姿見へ目をやる。


「ぎゃーー!!」


 城中に響き渡るような絶叫を上げてしまった。

 鏡の中にいたのは、紫色の肌にねじれた角、血走った目をした三メートルの巨体。

 気を抜いていた。そうだった、俺は転生して大魔王になったんだった。

 寝起きの無防備な瞬間に見るこのビジュアル。心臓に悪いなんてもんじゃない。このおどろおどろしい自分の姿に、慣れる日は来るのだろうか。


 俺は心臓(おそらく二つくらいある)を落ち着かせながら、窓を開けた。

 淀んだ紫色の空気が流れ込んでくるが、不思議と気分は悪くない。

 目覚めがいい。体が軽い。

 異世界生活も悪くない。いや、最高だ。

 なぜなら、この世界には「アルミル」がいるからだ。


 今日もアルミルに会える。

 それだけで、この毒々しい魔界の景色が、まるで高原の朝のように清々しく見えてくるから不思議だ。推しの存在は偉大なり。


 俺は鼻歌交じりに身支度を整えると、『変転ゲート』をくぐった。

 光に包まれ、大魔王の巨体がシュッとした商人の青年「シュラ」へと変わる。


「ビニルよ、行ってくるぞ」


 俺が声をかけると、側近のビニルが涙ぐみながらハンカチを振った。


「本日も王都陥落へ向けた偵察ですね! 連日の激務、頭が下がります。行ってらっしゃいませ大魔王様。くれぐれも、陽が沈むまでにはお戻りくださいませ」


「あい、わかっておる」


 門限のある大魔王。字面だけ見るとまるで小学生だが、背に腹は代えられない。

 俺は威厳たっぷりに頷くと、誰もいない回廊で小さく詠唱した。


「転移魔法(テレポート)!」


 ーーー


 一瞬の浮遊感の後、景色が切り替わる。

 王都ファクトリオスに近い林の中だ。

 ここからは徒歩で入場門へ向かう。最難関のミッションだ。


 俺は体内で渦巻く膨大な闇の魔力を、意識の皮一枚で押さえ込む。

 深呼吸。平常心。俺はただの善良な商人。

 門番の騎士が持つ魔力感知の水晶が、俺の前で一瞬あやしく光りかけるが――。


「……よし、通っていいぞ」


 通過許可が出た。

 ふうっ。今日も大丈夫だ。この緊張感だけは、何度通っても慣れることはないだろう。


 門をくぐり抜ければ、そこはアルミルのいる楽園だ。

 俺は足取りも軽く、定食屋プトルカンへと向かった。


 カランコロン、とドアベルを鳴らす。


「いらっしゃいませ! 空いてるお席に……あっ! シュラさん! おはようございます!」


 店内に、銀鈴を振ったような明るい声が響いた。

 そこには、朝の光よりも眩しい笑顔があった。


 ニコッ、と微笑むアルミル。

 ああ……尊い。

 網膜に焼き付くこの笑顔だけで、今日一日分の活力、いや、一生分のビタミンを摂取できた気がする。

 推しが店員をしている定食屋。もし前世にこんな店があったら、毎日どころか毎食通いつめ、給料の全てを胃袋経由で推しに貢いでいただろう。


「アルミルさん、おはようございます。さっそくお店のお手伝いですか? 精が出ますね」


 俺は平静を装って声をかけたが、内心はバクバクだ。

 なぜなら、今日の彼女の破壊力が高すぎるからだ。


「えへへ、見てください! これ、パインさんが貸してくれたんです。かわいいエプロンでしょ?」


 アルミルがくるりと一回転して見せる。

 大きな花柄があしらわれた、フリルのついたエプロン。

 少しサイズが大きいのか、だぼっとしたシルエットが逆に愛おしさを倍増させている。


「えへっ」と小首を傾げるその仕草。

 見てますとも。ガン見ですとも。

 かわいい。かわいすぎる。

 何を着ても似合うとは思っていたが、エプロン姿のアイドルというのは、なぜこうも男心をくすぐるのか。これはもはや兵器だ。精神攻撃魔法だ。


「と、とてもお似合いですよ。看板娘として大人気になりそうですね」


 俺は震える声で賛辞を贈った。


「さて……今日はお約束通り、レベルアップのための狩りへ向かいましょうか。ですがその前に、まずは装備を整えないと。武器屋へ行きましょう。お代は私が払いますから」


「えっ? でも、宿代も出してもらったのに、装備まで……? なにからなにまで、ありがとうございますシュラさん。でも、どうしてそこまで私のためにしてくれるんですか?」


 アルミルが不思議そうに俺を見つめる。

 その瞳は純粋で、計算など微塵もない。

 俺は姿勢を正し、真っ直ぐに彼女を見た。


「どうしてかって? ……それは、昨日アルミルさんが街角で歌っている姿を見て、心打たれたからです。この歌声を絶やしてはいけない、全力で応援しようって、そう決めたんです。ただそれだけです」


 嘘ではない。

 本当は、2年前にたまたま新幹線のこだま停車待ちで降りた、掛川駅の路上ライブで見かけた時からの決意なのだが。

 寒空の下、観客が誰もいない中で、それでも笑顔で歌い続けていた彼女を見た時の衝撃。あれが全ての始まりだった。


「そうなんですね……。嬉しいです」


 アルミルがはにかむように笑った。


「でしたら、シュラさんはこちらの世界での『ファン1号』さんですね! ふつつかものですが、よろしくお願いします!」


 ――ズキュゥゥゥン!!


 俺の心臓が撃ち抜かれた音がした。

 い、い、1号!!!

 ぬぉぉぉーー!!! なんていい響きだ! 甘美な響きだ!

 ファン1号。それは、いくら努力しても、いくらお金を積んでも得ることのできない、最初にして唯一の、恒久的な称号。

 TO(トップオタ)の中のTO!


 思い起こせば2年前。

 『メータルンバ』を初めて見た衝撃のまま、俺はファンクラブに入会した。

 ファンクラブ名は【熱処理班】。

 金属加工用語である「熱処理」にかけて、”熱して叩いて固くなれ”を合言葉に、俺たち熱処理班はメンバーに熱いエールを送り続けた。

 それに答えるように彼女たちも成長し、鉄のように固い絆で結ばれ、俺たちに生きる喜びを与えてくれた。


 ライブ後は、近くの居酒屋で熱処理班の打ち上げ。

 「今日のレスは俺に来た」「いや俺だ」と議論し、お互いの硬度(推しへの忠誠心の硬さ)を語り合っていた日々。


 あの時の俺の会員ナンバーは、1636番。

 語呂合わせで「イ(1)ル(6)ミ(3)ル(6)」と読めることから、「アルミルの運命の数字だ!」と勝手に興奮していたが、所詮は1636番目だった。

 だが、この世界では違う。

 1号だ。

 しかも、アルミル本人から直々に任命された「公認1号」だ!


 俺は感動で打ち震えた。

 ああ、神様。転生させてくれてありがとう。

 俺は、1号の名に恥じぬよう、この命(と魔王の権力)に代えても彼女を推し続けることを誓います!


「あ、兄上! 兄上! 大丈夫ですか?! お気を確かに!」


 横から肩を激しく揺さぶられた。

 ハッと我に返ると、ポームが青ざめた顔で俺を覗き込んでいた。


「おっ? ポームか。おはよう。俺は大丈夫だが?」


「そうですか……。なにやら顔を赤くさせ、ブツブツと譫言(うわごと)を言いながら白目をむいて正気を失っているように見えたので……もしや『結界』に焼かれているのかと心配いたしました」


「ケッカイにヤカレル?」


 アルミルが首を傾げる。

 まずい! ポームのやつ、天然でとんでもない爆弾発言を!


「あ、あれだよ、あれ! 俺ってお酒が好きだからさ! 昨日飲みすぎたが焼けるように痛いというか……してんじゃないかと、妹によく小言を言われるんだよ! あはは!」


 苦しい! 我ながら苦しすぎるダジャレだ!


「そうだったんですね。飲みすぎはダメですよ、シュラさん。妹さんを心配させちゃいけません」


 アルミルが心配そうに眉を下げる。

 ふぅ……なんとか誤魔化せたか。

 だが、このままポームと一緒にいるのは危険だ。いつ「魔王様」とか「人間ごとき」とか言い出すかわからない。

 それに、せっかくのアルミルとの買い物イベントだ。邪魔はされたくない。


「ポームよ。俺はいまからアルミルさんと装備品を買ってくる。その間、お前はお店の手伝いをしていなさい」


「は? しかし兄上、片時もお側を離れるわけにはいきませぬ。おじいさまと約束をしたのです。『兄上の身に何かあれば世界を灰にする』と」


「物騒な約束だな! ……いいかポーム。おじいさまとの約束と、兄上の命令。どちらをとる?」


「……うっ。ず、ずるいです。兄上……」


 ポームが悔しそうに唇を噛む。


「……わかりました。すべては兄上の仰せのままに」


「うむ。いい子だ。留守は頼んだぞ」


 ポームの恨めしそうな視線を背に受けつつ、俺は勝利のポーズを心の中で決めた。

 こうして俺とアルミルは定食屋プトルカンを出て、二人きりで街へと繰り出したのだった。


 ーーー


~王都ファクトリオス・武器防具屋~


 カランコロン、と重厚なドアベルが鳴る。

 店内に足を踏み入れると、鉄と油の匂いが鼻をくすぐった。


「うわー! すごい! たくさんの種類があって迷ってしまいますね!」


 アルミルが目を輝かせて店内を見回す。

 壁には剣や槍、盾が所狭しと並べられ、棚には様々な魔法道具が陳列されている。

 武骨な武器屋に、花柄エプロン(外すのを忘れてそのまま着てきた)の美少女。

 そのミスマッチさが、逆にイイ。


 アルミルと並んで商品を眺める。

 これって……はたから見ればデートに見えるんじゃないか?

 いや、いかん。これはあくまで「推し活」だ。

 アイドルの装備を整えるプロデューサーのような立ち位置だ。よこしまな考えを持つんじゃない、俺。

 俺は己の頬をつねり、理性を保つ。


 棚に並べられた商品の一つを、アルミルが手に取った。


「あ、これかわいい。この小さな魔法の杖……持ち手が丸くて、マイクみたいで持ちやすくていいかも。これにしようかな~」


 彼女が選んだのは、先端にピンク色の宝石がついた短いロッドだった。

 確かに形状はマイクに似ている。

 攻撃力とか魔力増幅率とか、性能や効果は一切不明だが、本人が気に入ったならそれが「最強装備」だ。


「いいですね。ステージ映えもしそうです」


「ですよね! じゃあ、これにします!」


 アルミルが嬉しそうに杖を握りしめ、くるっと振り返った。


 ゴツンッ。


「あいたっ!」


 鈍い音がして、アルミルがよろめいた。

 商品に夢中になるあまり、後ろを通ろうとした他のお客さんとぶつかってしまったようだ。


「ご、ごめんなさい! 商品に夢中になってしまって、気づきませんでした!」


 アルミルが慌てて頭を下げる。

 俺もすぐに割って入ろうと身構えた。昨日のようなチンピラだったら即座に排除しなければ。


 だが、ぶつかった相手は予想外の人物だった。


「……む。こちらこそ失礼つかまつった」


 凛とした、鈴を転がすような声。

 そこに立っていたのは、タイトな衣装に身を包み、顔立ちもどこか気品のある美しい女性だった。

 ただの町娘ではない。発せられるオーラが違う。おそらく、高貴な身分のお方だろう。


「わらわも少々、考え事をしていて余所見をしていたものでな。……そなた、怪我は無いか?」


 女性が優雅に扇子を開き、口元を隠しながらアルミルを見下ろした。

 「わらわ」?

 その古風な一人称に、俺の中に警報が鳴り響いた。

 ただの貴族じゃない。もっと違う予感がする。


 しかし、そんな俺の緊張をよそに、運命の歯車は音を立てて回り始めていた。

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