第34話 三ン蛇浜⑥
砂浜を、歩いている。
体が重い。寒い。海風で耳がちぎれそうになる。
承知の上で、夜明は囮役を引き受けた。
響野は夜明から、『祝』と『禍』を受け取った。
口の中に違和感がある。鉄の味がする。
その場に膝を付いて、すべてを吐き出した。
真っ赤な血。血の塊。人間ではない、ヒトガタの夜明が持ち得なかったもの。
肩で息をする。今は何月何日で、自分は誰で、何のためにここにいるのか。逐一確認しなければ、分からなくなりそうだった。
座敷牢での夜。夜明と長い長い話をした。
纏めてしまえば、
この土地は確かに枯れていた。三匹の蛇が流れ着いて奇跡を起こさねばそのまま朽ち果てていたほどにおしまいに近い場所にあった。蛇たちは腹を空かせていた。この土地に残っていた僅かな人間たちをそのまま丸呑みにしたいほどに、飢えていた。そうしない、という判断をしたのは楓子──そう呼ばれていた、いちばん年上の蛇だったと夜明は語った。美しい人間に姿を変え、
祭り。
伝承の前半で──つまり蛇たちが起こした奇跡を讃えるパートで、二度、出産について語られる。一度は人間の女が産み落とした赤子。二度目は、人間の男と
人間の男と番ったのは、楓子と呼ばれた蛇だった。
「楓子さんは」
響野は尋ねた。
「人間のことを、どう思っていたのさ」
わからない、と夜明はあっさりと応じた。
「わからないんだ」
殴られ蹴られして疲れ果てた体を放り出して、響野は少し笑った。わからないけれど、と夜明はスマートフォンのメモアプリを通して言葉を続けた。
『他の二匹よりは、ひとをひと扱いしていたようにおもえる。』
楓子がなぜ人間の男と番ったのか、理由は響野にはもちろん、夜明にも分からない。だが、楓子は孕み、卵を産んだ。伝承に書かれている通りだ。
『七日目。赤子が生まれた。』
その赤子はいったいどうなってしまったのか?
『くわれた。』
「……でしょうね」
伝承の後半部分。三ン蛇浜に住む人間たちは、『神』となった蛇たちをあの手この手でもてなし、感謝を示そうとする。
五日目と七日目。男児と女児を供えたと書かれている。これは明確に間引きのためであり、突然子どもが多く生まれ、食糧が足りなくなった分を神──蛇に押し付けることで片付けようとしたのだと、座敷牢の中で夜明も認めていた。
だが、六日目。『三匹の蛇のうち、ひとりのために新郎を供える。』これの得体が知れなかった。
新郎を迎えたのは楓子だろう。
何のために?
子どもは余っている。口減らしのために蛇たちに差し出したくなるほどに、子どもは多く生まれてきている。
『しょくりょう。』
答えは、夜明が持っていた。
『人間のこどもなどより よほど うまい。』
言葉を失った。もとより響野と夜明は声に出して会話などしていないのだけれど、それでも。
『楓子のたまごは うまい。』
『あのふたりは 姉のたまごをもとめていた。』
「──あのさ、夜明さん」
間もなく朝がくる──夜明けがやってくる。
時間がなかった。
「楓子さんは、妹たちに卵を食われることを、どう思って──」
『おまえを祝った。』
それが、最後のやり取りになった。
夜明に身代わりを任せた響野は、風松神社の本社を燃やして回った。今は全身ボロボロになって、三ン蛇浜を彷徨っている。
左の手首に『祝』、右の手首に『禍』の文字を刻んで、この先自分がどうなるのかも分からないままに。
分からないが、分からないなりに理解していることがあった。
夜明は答えなかったけれど、楓子は妹たちの望み通りに卵を産み続けることに負担を、苦痛を感じていたのだろう。だから逃げた。放逐されたわけではない。逐電を選んだのだ。
その際、楓子に力を貸した者が──人間が、いた。はずだ。人形を作ることができる技術を持った男だったのだろう。そいつが作ったのが、最後に燃やした宝物殿の中にあった巨大な木偶。楓子は三ン蛇浜を逃げ出す際に蛇の体を捨てた。それを用いて作られた木偶を身代わりに──
(最後の新郎を、楓子さん、愛していましたか)
その男はおそらく死んだのだろう。楓子と一緒に三ン蛇浜を去ることなく。もしかしたら、妹蛇たちに食われて、宝物殿の木偶の一部となったのかもしれない。
(俺は、祝われた)
或いは、呪われた。
血を吐きながら歩き続ける。社を焼かれた蛇の、神の怨嗟の声を背に受けながら。
そういえば次の年は巳年だったな、などと思いながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます