第32話 木偶

 あの日──年の瀬。記者・響野きょうの憲造けんぞうから一対のグラスアイを預かった刑事・小燕こつばめ向葵あおいは、真っ直ぐに警察病院に入院している時藤ときとう叶子きょうこのもとに向かった。


 響野が言うように、このグラスアイ──『祝』と『禍』というふたつの文字が書かれた蜻蛉玉で、時藤叶子の症状がどうにかなるとは夢にも思っていなかった。時藤叶子の様子は、実父・時藤ときとうたけしが焼身自殺を遂げたあの日からまったく変わっていなかった。尋常ではなかった。笑い続けていた。呪いが成就したと自慢げに吠えて回っていた。警察病院のスタッフたちも、時藤叶子の病室に近付くのを恐れた。半年前。初夏。時藤叶子の血縁者である風松楓子ふうこの屋敷が燃え、家主の楓子も焼死した。楓子は単に火事に巻き込まれて亡くなったわけではなく、自ら家中にガソリンを撒き、自身も頭からガソリンを被り、それから自分と人形たちに火を点けて亡くなったのだと──あれは自死だったのだと、警察内部には良く知られていた。外部にその情報を出さなかった理由は楓子が死を選んだ理由が分からなかったのと、楓子自身がかなりの有名人だったという点がある。メディア露出も多く、ドール、人形の類を愛する朗らかで上品な婦人として知られていた楓子が、自死の中でもかなりのインパクトがある焼死を選んだと報じた日には──後追い自殺とまではいかないかもしれないが、良くない推察がSNSなどを中心に溢れるのは目に見えていたし、一度デジタル上に残された棘のある言葉はこの先百年経っても完全に削除することはできない。だから、事件が完全に解決するまで、楓子がどのような死に方を選んだのかについては触れない。そういう暗黙の了解ができていた。


 はずだった。


 時藤ときとうたけしの死が隠しきれないほどに明確な自死、焼身自殺であったということで、状況は一変した。メディアが総出で、半年前の風松楓子の死に付いて探りを入れ始めたのだ。


「隠しきれませんよ小燕さん」


 あの事件の捜査の陣頭指揮を取ったのは小燕だった。部下の声を振り切るようにして小燕は警察病院に駆け込んだ。

 小燕はオカルトを信じない。

 本物だとか、偽物だとか、言いたいだけ言っていれば良いと思っている。

 小燕向葵は刑事だ。目に見えるものしか信じない。

 だが。


「時藤叶子さん」


 何の前触れもなく病室を訪ねた小燕を迎えたのは、ベッドにぐったりと横たわる時藤叶子、傍らに置かれた丸椅子に腰掛ける母親の時藤あずさで──


「具合が良くないんですか。医者を呼びますか」

「いいえ……大丈夫です。娘が、また、明け方まで騒いでいて……」


 疲れ果てた様子のあずさへの同情の念はあった。

 だが、小燕にもそろそろ、この訳の分からない事件に終止符を打ちたいという気持ちがあった。


「これを」


 響野憲造から渡された、そのままの状態の硝子玉を母娘の前に突き出す。


「記者から預かりました。時藤叶子さん。あなたはこれを、探していましたよね?」

「あ……!」


 瞬間。

 世界がひっくり返ったようだった。

 目の前に、人間はいなかった。

 ベッドの上と丸椅子の上に、いたのは──



 小燕の唸り声に「でく」とヒサシが両目を瞬かせて繰り返す。


「でく……って、でくですか?」

「木製の人形だ。木彫りの人形。操り人形ともいう」

「それが、目の前に?」

「ああ」


 うんざりした様子で息を吐いた小燕は「俺だけじゃない」と心底嫌そうに続ける。


「風松家の人間全員が、木偶になった」

「おおお!? 来た来た来ましたね!?」

「嬉しそうにするな市岡ヒサシ。それともおまえは、おまえと響野は、これを予想していたのか?」

「まっさかぁ!」


 小燕の問いに明るく応じたヒサシはしかし両の瞳を爛々と輝かせながら、


「でも、これが、ほんとうなんじゃないですか!? 風松楓子さんが隠そうとしていたのは……つまりそういうことなんじゃ!?」

「つまりどういうことなんだ。俺にはさっぱり理解できん」


 風松家の人間全員──楓子の妹である風松かぜまつ祝子ときこ夕実緒ゆみお、夕実緒の娘である時藤ときとうあずさ、それに楓子の姪孫てっそんに当たる時藤ときとう叶子きょうこ──

 警察病院にいたあずさ、叶子だけでなく、燃え残った風松邸にいた風松楓子の妹、祝子と夕実緒もになっていた。発見したのは風松邸の周りを警備していた地元の警察官たちだ。呼吸も、発話も、動きもしない木の塊が、風松邸には残されていた。


「厳密には、全員じゃないってことですか」


 諏訪部すわべが口を開く。見れば、彼はいつの間に取り出したのか手元のメモ帳に、小燕の証言をボールペンで纏めていた。小燕は小さく頷き、


「そう。風松祝子の配偶者であるまさると息子の眞一しんいち、それに眞一の妻子は無事だった」

「眞一って人には会ったことあるな……響野くんに引っ張られて行った風松楓子さんのお家で」


 ヒサシの言葉に「どういうルールなんだ?」と諏訪部が唸る。


「ルール」


 何かを言いたげな視線を上げた市岡稟市が「ああ!」と視線とは裏腹に間の抜けた声を上げ流る。


「ぇええ……満員御礼じゃないですか……!?」

「や。あけおめ。混んどるのぉ」

「も〜! ほじゃけえ今日はやめとこって言うたのに!!」

「親子喧嘩は他所でやってくれないか。俺はその辺りの連中に用があるんでね」

「まあまあ、錆殻さびがらさん。袖振り合うも多生の縁──ち、ゆうじゃないの。おれら、もう袖がどうだら程度の仲じゃないじゃろ? 特にこの件に関しては……」


 昨年いっぱいを海外で過ごしていたという民俗学者の鹿野かの迷宮めいきゅうとその娘の素直すなお。更にはタレントにして錆殻さびがら光臣みつおみが、狭いドアの前にぎゅうぎゅうになりながら立っていた。

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