第16話 新宿、純喫茶カズイ⑤
(……血の繋がった、は関係ないか)
乗り換えの駅で降りながら、内心そう訂正する。血の繋がりというものにそれほどまでに深い意味があるならば、響野は実の母親と関係を絶ったりしていない。祖父・逢坂一威も実の娘──響野の母親──から絶縁を言い渡されたりしていない。血の繋がり。あまりにも脆い繋がり。
はあ、と吐いた息が白かった。すっかり冬だ。
繁華街の客引きたちを振り払いながら祖父の店に向かう。『純喫茶カズイ』と書かれたスチール製の看板は、今夜も変わらず同じ場所にあった。
「おじいちゃん、ただいま〜……」
「あっ、響野くんだ」
「響野さん、いいところに!」
「おっと、なになに?」
祖父の応えより先に、友人たちの声が響き渡る。
「いいところ……って?」
「じゃじゃん! 見てください響野さん!」
『響野くんか。久しいのぉ』
「あえ!?
鹿野素直が掲げるタブレットには、現在ヨーロッパ──国名までは分からない──にいるはずの素直の父・鹿野
「なんで……ええ……?」
「憲造、おまえだってオンラインインタビュー? とかやってたじゃねえか。それだよそれ」
カウンターの中からコーヒーカップを差し出しながら、祖父が笑う。そうか。鹿野迷宮から証言を得るには、その手があったか。しかし。
「時差とか大丈夫ですか? そちら何時です?」
『午後一時。ちょうど休憩時間じゃけえ問題ない』
総髪に無精髭、黒縁眼鏡をかけた迷宮がコーヒーが入っているらしい紙コップを片手に応じる。真夜中や早朝ではないと知り、少しだけ安心する。
『それよか響野くん、素直から聞いたで。今度は風松家とやり合うてるんじゃって? しかもあの、錆殻光臣を巻き込んで?』
「えーっと……やり合って? はいないですね、喧嘩はしてなくて……あと別に光臣さんのことも巻き込んではいないです、あの人全然協力的じゃないから……」
『そうなんか? 錆殻光臣が本気で参加しとるなら面白いと思うたんじゃけどなぁ』
と迷宮は快活に笑うが、発言は物騒極まりない。人間の命がかかっているかもしれないのに、面白いか面白くないかで判断するのは──
「ん? なに響野くん?」
「いや、似てるなって……?」
「俺がぁ? 誰にぃ?」
別になんでもないす、と市岡ヒサシから視線を逸らした響野は、
「ところで、迷宮さんにお伺いしたいことが色々あったんです。質問してもいいですか?」
『あーうん。今、ヒサシくんと素直から幾らか話を聞いたとこじゃけえ。風松神社の話じゃろ』
どうやら、二度、三度と同じ解説を行う必要はなさそうだ。タブレットに向けて首を縦に振った響野は、
「風松神社は人形を使って呪い、人形を使って祓う、所謂マッチポンプ神社だと聞きました」
『誰にぃ?』
「えっ」
その問いかけが来るとは思わなかった。
響野は大きく瞳を瞬かせ、
「錆殻光臣……」
『やあ、やっぱり本気で参加しとるんじゃのぉ。珍しい。今すぐ帰国したいぐらいじゃ』
「ええ……そうですかぁ……?」
『そうじゃなきゃあの神社のやり方をマッチポンプやなんて言わんよ。そうじゃろ、ヒサシくん』
「まあ、我が実家もどこに出してもお恥ずかしいマッチポンプ神社っすからね……」
マッチポンプが渋滞している。響野は大きく首を横に振ると、
「本当なんですか? 風松神社のやり方は」
『嘘ではないのぉ。おれが知っとる情報と照らし合わせても、あん神社は確かに呪いと祓いを同時に行っとる』
「それはどうして……お金のためですか?」
『そこまでは分からん。ちゅうのも、おれが実際に接触した風松の人間はひとりだけで』
その先が、響野には読めてしまう。
「……風松楓子さん?」
『その通り。察しがええのぉ』
「いやここまで来ると、流れで、もう」
自然と溜息が出る。風松楓子は半世紀前に風松神社を放逐されている、という情報を寄越したのは、今タブレットの向こうにいる鹿野迷宮だ。完全に行き止まりだ。
風松本家に共に赴いた錆殻光臣は、風松神社の本社は日本海側にあるはずだと言っていた。だから、都内に本家が存在するのは奇妙だ──と。
コーヒーカップを抱えたまま沈黙する響野の顔をじっと見詰めながら、「分かる分かる」と鹿野迷宮はマイペースに言葉を紡ぐ。
『響野くんも、おれも、それにおそらく錆殻光臣も、風松を名乗るただひとりの人間にしか
「そう……すね。実はさっき、光臣さんと都内の風松本邸に行って、他の風松の方々にもお会いしては来たんすけど……」
『何かいなげなことが起きたんか?』
沈黙。
呪われているという時藤叶子という女性。
その母親の時藤あずさは「娘は呪いを作っている」と言っていた。
呪われていると呪いを作っているでは、ずいぶんとやっていることが異なるのではないだろうか。
「……マッチとポンプ?」
『うん? 何か思い出したんか?』
「いや、あの、ええ……なんて言えばいいんだろう。そう、風松邸の雰囲気はおかしかった。俺と……光臣さんは、呪われている女の子の様子を見に行ったはずだったんです……」
語り始めたらすぐだった。市岡ヒサシも、鹿野素直も、逢坂一威も口を挟みはしなかった。鹿野迷宮は「ほう」とか「なるほど」などと呟きながら手元のメモに何事かを書き込んでいる。
『目のない人形。錆殻光臣が鼻血を出した。更には、呪いを作っているという母親の証言』
おもろいマッチとポンプじゃな、と鹿野迷宮が微笑む。どことなく、ぞくりとするような笑顔だった。
『おれが風松神社を訪問した際には、得られんかった情報じゃ』
「え、お父さん行ったことあるん?」
『ある。素直が生まれる前にな』
さらりと応じた鹿野迷宮は手元のメモをタブレットのカメラに突き付け、
『まず響野くん。きみの任務は、風松楓子邸が焼かれた際に燃え残った人形を回収することじゃ』
「は……!? 焼かれた!? やっぱアレ事故じゃなかったんすか!?」
『それに関しては後々明かされるけえ深く考えんでよろしい。とにかく今は人形よ。風松家の面々は、風松楓子が残した証拠をすべて隠匿しようとしとる』
証拠。隠匿。物騒極まりない言葉が並ぶ。
「迷宮さん、それってつまり、楓子さんが呪うか祓うかしてたってこと?」
『その通りじゃヒサシくん。まあおれの想像じゃと、既に放逐されていた楓子さんが行っていたのは──』
祓いじゃと思う。何の根拠もないがね。
そう結んで、鹿野迷宮は鹿野素直に良く似た人懐っこい顔で笑った。
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