第34話 やっと言えた
ダンジョン実習が中止になり、学院も終わって部屋の中。
夕日も完全に落ち、窓の外に見えるのは登り始める少しかけた白く輝く月。
部屋にいると言っても今俺がいるのは嬢様の部屋。
というのも、別に帰ろうとしてもいない俺の袖を掴んだ嬢様が『まだ私の部屋にいて?』とか細い声で言ったから。
まぁ多分毎年恒例の誕生日を祝うんだと思うんだが、なぜそんなにもしおらしんだ?
朝言えなかった俺が言うのもなんだが、普通に『おめでとう』って言い合うだけじゃないのか?
そんな疑問を胸に秘めながらも、拭き終えた肌に布を通す。
というのも、これまたおかしなことになぜか嬢様に『ダンジョン入ったから順番にお風呂に入ろ?』と言われたのだ。
そんな意味深な言葉を連発されたら疑問を抱える俺の気持ちにも納得がいくだろう。
「出ましたよ。お嬢様」
「ん」
俺の先にお風呂に入っていた嬢様は水色が目立つ寝間着を着ており、団子にした白縹の髪を動かしてこちらに目を向けてくる。
その様はこの数日間を彷彿とさせない悠然とした姿。
先程までのしおらしかった嬢様はいずこへ?とツッコみたくはなるのだが、なぜかベッドへと移動する嬢様にツッコむ気は失せる。
「それじゃあこっち来て?」
ベッドに腰を下ろすや否やちょいちょいっと手招きをする嬢様
そんないつぞやに見た光景を視野に入れながら「畏まりました」と小さく頭を下げる俺は嬢様の目の前へと移動し、そこで立ち止まる。
「……前も同じようなことしたじゃん……」
一向に座ろうとしない俺に呆れを抱いたのか、小さくため息を吐いた嬢様は自分の隣を指差し、「早く座る!」と命令を出した。
「畏まりました」
小さく会釈する俺は嬢様に言われるがまま人1人分開けてベッドに腰を下ろした。
そうして思い出すのは表向きの本心を打ち明けた――人生で初めて土下座をした――あの放課後。
あの日は解雇されたりと色々なことがあったのだが、決して悪い1日ではなかった。
執事として更に洗練されたり、思ったことを口に出さなくなったという経験も得れたから、義理プラマイプラスな出来事だ。
「えーっと……。ちなみに聞くけど、今日はなんの日か知ってる……?」
ピンっと背筋を伸ばす俺の横顔を見つめながら紡ぐ。
けれどその言葉からは不安が感じられ、目に見えて嬢様は怯えていた。
果たして何に対して怯えているのか。
まぁそんなのは言わずとも分かる。だって毎年のように俺が先に『おめでとう』と言わなければ同じ質問をしてくるのだから。
「僕達の誕生日ですよね。今朝言えなくてすみません。お嬢様、おめでとうございます」
相変わらずのほほ笑み顔とともに発するのは言い慣れないお祝いの言葉。
生憎、俺は前世で数回しか誕生日を祝ったことがない。それもそのすべてが同じ人という虚しさ。
今世ではありがたいことに嬢様を筆頭に、母さんだったり父様を祝ったりすることが多くなったのだが、やはり前世とは違って環境が良いのだろう。
あげるものくれるものすべてが良質なものだ。
あいつにももうちょっとぐらい高価な物をあげれたら良かったのだが……ガキの頃の話だからな。
金がねーんだよ。
「……うん、ありがと……」
俺の隣では頬を赤らめる嬢様の姿。俺が覚えていたことに相当安心したようで、ホッと息を吐く嬢様の口元には笑みがある。
「ルフも誕生日、おめでと」
「ありがとうございます」
吊り上げた口角から紡がれる聞き慣れない言葉。
そんな言葉に対して悠然とテンプレのように決まった言葉を返す。
そうすれば何故か、人一人分空けていた俺との距離を詰めてくる嬢様。
「お嬢様?」
俺の疑問が聞こえていないのか、はたまた聞こえないふりをしているのか。
ピトッと肩をくっつける嬢様は謎に俺の裾を掴む。
(なんだ?小さい頃に一度だけあった甘え気が今になってもう一度やって来たのか?)
そんな疑問を頭の隅で考えながら、一際温かい嬢様の体温を肩で感じる。
「……ルフはさ、好きな女の子とかいる?」
「好きな女の子ですか?特にいませんね」
突然紡がれる嬢様の恋バナに目を見張りそうになるが、グッとこらえて悠然と紡ぐ。
「学院に入って、『あの子可愛いな』とか『あの子と話してたら楽しいな』とか思ったこととかない?」
「特にはないですね」
「……そっか」
そんな表情から感じられるのは安堵。
先程から安心することが多すぎる気もするのだが、一体どうしたのだろうか。
(いやまぁ、自分の執事が勝手に恋愛を始めたらそりゃ困るだろうけどさ?)
もしそうだとしたらその安堵ではなく、怒りが出てくるはずだ。
……だとしたらなんだ?
疑問の上に乗っかる疑問に更に頭を悩ませるのだが、裾を掴む手が強くなったのを機にパッと思考を止める。
「もしの話だけど、私に好きな人ができたらどうする?」
(……どうする?)
頭の中で嬢様の言葉を反芻する俺はもちろん心の中だけで首を傾げる。
嬢様は確かに貴族の生まれだが、1人の人間。好きなように恋をすればいいし、俺に構わず遊びに行ってくれて構わんと思う。
(……が、多分嬢様が求めてる答えはこれじゃないよな……?)
なんとなくだけど、嬢様が求めている答えがわかる。
きっと嬢様は俺に『嫌ですね』とか『胸糞が悪いですね』とかの答えを期待しているのだろう。
流石に何十年も生きていたら思春期学生の心情ぐらい分かる。
というか、この雰囲気で大体察する。
(多分嬢様は、俺のことを心底からかおうとしているのだ)
今日は誕生日。そしてダンジョンで色々あって暗くなった今日を、嬢様は盛り上げようとしてくれている。
『からかう』というやり方は少々癪なのだが、その考え方には賛成だ。
(なんたって今日は誕生日だからな!明るく行かなくちゃな!)
嬢様の考えを完璧に見通した俺は心のなかで拳を握り、けれど表では悠々と口を切る。
「そうですね。少し、嫌ではありますね」
「――っ!」
俺の言葉が紡がれた瞬間、声にもならない驚きを見せた嬢様は勢いよくこちらに顔を向けてくる。
(……もしかして違ったか?)
そんな心配が脳裏をよぎるのだが、間髪を容れずにズイッと顔を近づけてくる嬢様の顔は目と鼻の先。
訂正することもできずにいる俺に、嬢様は口を切った。
「それ本当!?」
その言葉から感じられるのは『嬉しい』の一言だった。
キラキラと輝く白縹の瞳はしっかりと俺の眼を捉え、袖を掴んでいた手はいつの間にか腕にいる。
そんなものを目の前にして「嘘です」なんてことを言えるわけもなく、
「本当です」
嘘を並べることしかできなかった。
「そっか……!そっかそっか……!!」
まるで嬉しさを噛みしめるように言葉を反芻する嬢様の視線は落ちていき、俺の太ももの上に乗る。
たかが思春期学生の心情すらも見抜けなかった俺に、今の嬢様の感情が分かるわけもなく、ただ頭の中では混乱を示していた。
いやまぁ確かに!誕生日をハッピーにはできたよ!けどそれは嬢様だけであって俺は別にハッピーでもなんでもない!なんなら困惑して困ってる!
まじでなんだ!?嬉しいのは分かるし、求めていたのもこの反応を見れば分かった!
けどそれ以上のことが何一つとして分からん!言ってくれ!もういっそのこと答えを言ってくれ!!
そんな叫びも出てくるのは喉までであって、決して口を抜け出すことはない。
そのはずなのだが、やおらに顔を上げる嬢様は俺の心を読み取ったかのようにピンク色の唇を動かした。
「ルフがそう思ってくれてるのすっごく嬉しい……!」
「嬉しいですか?」
「うん!だって!だってそれって……!それって……」
(そこまで紡いで言わんのかい!)
いっそのこと答えを言ってくれるのかと思えば突然口ごもる嬢様はまたもや下を向く。
「お嬢様?」
急かすように口を開く俺なのだが、嬢様の言葉は帰ってこない。
「……ルフ。最後に質問して良い?」
代わりに返ってくるのは大きく舵を切ってまた別の内容。
もしかして嬢様には俺のこのもどかしさが伝わっているのか?それでわざと気づかないふりをしてからかって……。
(この状況でそれはないか)
うん、と心のなかでひとつ頷く俺は、
「はい。大丈夫ですよ」
表でも同じように首を縦に振る。
相変わらず嬢様の視線は下がったまま。
けれど淡々と紡がれる質問は――今世で1番、俺の頭の中をクエスチョンマークで埋め尽くした。
「……もし、私がルフのことを好きだったら?」
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