第14話 抱きつき癖
「これはどういう状況?」
もう取り返しのつかない気もするが、初めて見た時と同じ声色の教師は嬢様の後ろにいる俺に目を向けてくる。
そして空中に跳ね上がった枕を手元に戻し、氷柱を避けてこちらに歩み寄る。
その様は教師というより、魔法に飢えた魔女と表現するべきだろう。
枕を掴む右手には見て分かるほどに力が宿っており、乞うように無造作に動かす左手の指は嬢様の魔力を求めているよう。
「はい。簡潔に申しますと、フォリラルグス様がお嬢様の逆鱗を踏んでしまいました」
「おい!俺は逆鱗なんて――」
「――ん、分かった。フォリラルグスは悪くない。フィルドミラも悪くない」
淡々とした言葉に対して本当に状況を把握してるのか?と言いたくなるのだが、これも先生というものなのだろう。
前世で歩いてるときに聞こえてきたのだが、先生はよく『喧嘩両成敗』をするらしい。
些か納得しがたい考え方なのだが、それが学院のルール――これが先生のやり方というのなら俺は何も言わない。
(だって新鮮で楽しいんだもの)
多分この状況には似合わない心情だと思う。
鋭い視線を嬢様に向ける先生の前。先生の一連があったのにも関わらず怒りを募らせる嬢様の前だというのに、俺の口角は吊り上がりそうになっているのだ。
それほどまでに嬉しいのだ。ほんの一瞬垣間見えた、先生の考え方『喧嘩両成敗』が拝めて。
「フィルドミラ。今は氷魔法の練習はしていない。その杖を下ろせ」
いつの間にか氷を挟んでフォリラルグスに杖を向けていた嬢様の瞳にはやっぱり光が宿っていない。
今の嬢様には教師の声は聞こえていないのだろう。ブツブツと詠唱を唱え始めた嬢様の杖先にはシアンの光が集まり始める。
そして今嬢様が唱えているのは上級魔法。流石に嬢様であれど、中級以上の魔法は詠唱を読み切らないといけない。
まぁ元『英雄』の俺ほどになれば上級までは完全無詠唱、最上級魔法は一節を読むだけなんだがな!
「いい加減に下せ」
嬢様の行動が止まらないと見たのだろう。そんな言葉と共に現れるのは常人なら視界に入れることができない風の刃。
刃と言っても本当に姿かたちはなく、音だけを頼りにその風の刃を何とか視界に止めている状態。そしてその風は一瞬にして全ての氷柱を砕き去った。
「「「――っ!」」」
パリンと木っ端微塵に砕ける氷の音に反応したのか、一瞬目を見開いた生徒たちは大半が怯え、少人は戦闘態勢を取る。
この姿を見るだけで将来有望かどうかを見分けることができるのだが、正直言って恐さというのは努力次第でどうとなる。
(故に尻餅をついた貴様らにも猶予はある!頑張れよ!)
嬢様とフォリラルグスの間にあった氷柱が砕けるのを視界に留めながら、聞こえない励ましの言葉をかけてやる。
そうして先ほどまでの女の子らしさを彷彿とさせない教師が嬢様の前に立ち、眠気なんて感じない睨みで杖と嬢様を交互に見やった。
さすれば我に返ったのか、嬢様の体から漏れ出していた気霧は収まり、操られたようにやおらに杖が降ろされていく。
「わ、私の魔法が……!」
絶望の縁に立たされたような声で紡がれる無慈悲と言わんばかりの言葉。
これまでも……というか水晶の時で分かったと思うが、嬢様は自分の魔法に矜持を抱いている。
それ故に、いとも簡単に自分の氷が木っ端微塵にされたことが飲み込めないのだろう。
信じられないと言わんばかりに震える杖と共に落ちる視線は教師の足元を視界に収め、そしてなぜかやおらにこちらに顔を向けてくる。
「ルフ……。私、ルフのこと守れなかった……」
本当に絶望の縁に立たされてるわけじゃないんだぞ?なんてツッコミは心の奥底に封印し、代わりに小さく頭を下げた俺は氷が溶けていく地面に向かって言葉を落としてやる。
「その気持ちだけで嬉しいです。お嬢様――」
刹那、俺の肩には魔猪が突進してきたかのような衝撃が走る。
「――ルフ〜〜〜〜!!」
頬に頬をくっつけてくるお嬢様の口からは甘ったるい口調で紡がれる俺の名前。
折角父様に頂いた杖なんてなんのその。勢いよく宙を舞うその杖は俺の体にしがみついた嬢様に見られることなく、情けない音と共にすっかりコンクリートに戻った地面に落ちた。
そんな音に釣られるように辺りを見渡せば、やっぱりと言わんばかりに生徒どころか、先生までもが目を丸くし、グリグリと頬を押し付けてくる嬢様に駭然を向けていた。
(まぁ、言わんとすることは分かる)
俺とてこの状況に慣れたとはいえ、普通に辞めてほしい。
というのも、あれは俺達が4歳の頃の話。
屋敷の庭で遊んでいた俺と嬢様のもとに、群れからはぐれたゴブリンが現れたのだ。
その時も今と同じように俺を庇う為に前に立ってくれた嬢様なのだが、経験もなく、ましてやまともに魔法も使えない4歳のガキンチョだ。
たかがゴブリン一体に嬢様の魔法が効くこともなく、結局は騒ぎを聞きつけた他の使用人によって退治されてしまった。
ガキンチョながらにも恐さに臆することもなく勇敢に立ち向かい、幼馴染を守るために体を張った嬢様は正直にいえば『英雄』だ。
その姿だけで十分かっこいいと言われるに値したのだが、当の本人は自分で倒したかったらしく、傷ひとつつかない俺に対して『弱くてごめん……。誰も来なかったら守れなかった……』と悲し気な目で訴えてきたのだ。
杞憂で魔法を使い果たした体を俺に向けて。
執事になったことに苛立っていた時期とはいえ、流石にその嬢様に八つ当たりする気も生まれなくて今と同じように『その気持ちだけで嬉しいです。かっこよかったですよ』と紡いだ――結果、今と同じように抱きついてきたんだ。
それ以来こんなことがあれば羞恥心なんて持ち合わせていない嬢様は毎回しがみつき、頬を擦り付けてくる。
なーにがそんなに嬉しいんだといつも疑問に思うのだが、嬢様を元気づけるのにはもってこいの慰めの言葉なので辞めるつもりはない。
あと普通に守ってくれるのは嬉しいし、前世で経験したことがなくて新鮮だからな。
「ちょ……は?お前……フィルドミラ様に、なにをした……?」
そんな困惑の空気が漂う中、1番初めに口を開いたのは未だに尻餅をついている青碧の少年。
「ルフはなにもしてない。これは――これは……ペットに愛情表現するのと同じ……的な?やつ」
抱っこ状態になってる嬢様は俺から頬を離し、首だけを振り向かせて言い訳を口にする……のだが、
(飼い主に甘えてるのペットの間違いだろ)
そんなツッコミはこの教室にいる全員が思っているはずだ。というか冷めきった視線がそれを訴えている。
自信満々に俺を庇ってくれるのかと思えばこの有り様。
流石にそんな醜態を晒せば嬢様も羞恥心を抱いたらしく、スルスルと俺の体から下っていく。
「えーっと、フィルドミラ。もういいか?」
魔法に飢えた魔女はどこに行ったのだろうか。
すっかり困惑に陥ってしまった教師は苦笑を漏らしながら小首を傾げる。
「は、はい……」
プシューっと頭上から気霧とはまた別の白い蒸気が立つ嬢様は先ほどと立場が一転二転。
助けてと言わんばかりに俺の後ろに隠れ、裾を掴んでくる始末。
「ん、ならいい。うん、いい。フォリラルグスも大丈夫だね?」
「あ、は、はい。大丈夫です」
登場から9割困惑に包まれていたフォリラルグスは今でも困惑の面持ち。
教師に突き出された枕を掴みながらやっと腰を上げ、俺に嫌味を紡いだことなど忘れて引き気味の瞳をこちらに向けてくる。
(なんで俺なんだよ。嬢様見ろよ)
なんてことをほほ笑み顔の内側で思いながら、小さく会釈をして先生とともに歩いていくフォリラルグスを送り出してやった。
――それからの授業と言ったらもう散々だ。
気まずさが漂う教室の中で、圧倒的な力を持つ嬢様が萎んでしまっては
その中でもフォリラルグスは嬢様に負けた悔しさからか、無我夢中で魔法を練習し、蘇比髪の少女は淡々と1人で魔法を放っていた。
そして俺はというと、嬢様が萎んでしまった以上、好きに魔法が打てるわけもなく、嬢様と2人で壁際に並んで時間が経つのを刻一刻と待つだけだった。
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