第25話 迎えに来てくれる存在

 高一の冬、転校したての詩桜は、ぽつりと自分の席に座っていた。


 それまで屋敷から自由に出してもらうこともなかった。だから人とどう接していいのか分からない。昼休みの教室など、騒がしくて気分は恐縮してしまうから嫌いだ。


 辰秋は、どうしてこんな不快な空間に自分を放り込んだんだろう。

 そんなことばかり考えて、無駄に過ぎる毎日だった。そんなある日。


「春宮さん、一人なの?」


 突然声を掛けられ顔を上げると、そこには艶やかな黒髪を揺らす和風の美少女、遥がいた。

 詩桜は、ただ黙って頷いた。


「私も一人なんだ。お弁当一緒に食べない?」


 一緒に? なんでだろう。


 詩桜は、どう答えていいのかさえ分からず、せっかく話しかけてくれた遥になにも言えなかった。

 けれど遥は、詩桜の態度に気分を害すこともなく、笑顔で手を差し伸べてくれたのだ。


「一人より、二人で食べた方がきっと美味しいよ」


「美味しい? お弁当って、人数によって味が変わるものなの?」


「え? ふふ、私はそう思うよ。春宮さんも、そうだといいな」


 最初の頃は、世間知らず過ぎて変なことばかり言っていた詩桜を、ただ一人訝しげな態度を取らず、一緒にいてくれたのが遥だった。


 ――その時から、遥ちゃんは、わたしにとって特別で、大切な、お友達。



◇◇◇◇◇



「――、――いしてる」


「……?」


 どこからか聞こえるのは、聞き心地の良い青年の声と、虎が唸るような腹の音。

 詩桜は、肌寒い空気に身を縮めながら目を覚ました。


「詩桜」


「灯真……」


 見慣れた眺めがそこにはあった。


「なんで……灯真が、ここにいるの?」


 視界に入ってきたのは、薄暗い空の下、自分を覗き込んでくる灯真の顔だった……いつもみたいに。


「こんな所で無防備に寝て、俺以外に襲われたらどうするつもりだ」


「俺以外って、灯真相手でも十分問題っ……くしゅん」


 どうやら詩桜は最近の疲労からか、爆睡していたようだ。

 雨が降っていたことも気が付かないまま。


「うぅ、寒い」


「だろうな。雨が降ってきたのに、よく気付かないまま眠っていられる」


 そんなこと言われても、灯真だって濡れている。青墨色の髪に、頬に、水滴が伝い、それが詩桜の頬にぽたりと落ちた。


「灯真……風邪ひくよ」


「お前に言われたくない」


 灯真は、不機嫌顔で詩桜を見下ろしたままどけてもくれない。


 雨音と灯真の腹の音以外は耳に届かない。辺りはそんな静けさに包まれている。


「こんな時に行方をくらますな。心配するだろ」


「ごめん、なさい……」


「言い訳があるなら、聞いてやる」


(わたしのことなんて、ほうっておいてくれればいいのに)


 こんな雨の中、びしょ濡れになってまで探してくれたなんて、なぜか胸が苦しくなった。


「言い訳なんて、なにもない……ただ、逃げたかったの……いなくなれるものなら、消えちゃいたかったの」


 言葉にしたら情けなくて泣きたくなった。瞳のフチに溜まった涙は、雨粒と混ざり誤魔化せているだろうか。


「どうして?」


 灯真は、静かな声音で問い掛けてくる。


「だって……だって、みんなそれを望んでいるもの。わたしなんて、生まれてこなければよかった! なんの役にも立てないし、疎まれて……周りに迷惑と危害を加えてばかり」


「本気でそんな風に思っているのか? お前がいなくなったら困る奴だって、悲しむ奴だっているだろ」


「でも、わたしは偽者だから……本当は、生きてちゃいけない存在だから。灯真にだって、嘘をついてた。あなたが想っていた星巫女は、わたしじゃないのに……今まで黙っててごめんなさい」


「なに言ってるんだ? 俺の星巫女はお前だけだ。一度焦がれた女の血と匂いを、間違えるわけないだろ」


「え……でも」


「昔から知っていたぞ。言っただろう、お前のことなら、なんでも知っているって」


「そう、なの? 知っていたの……わたしが偽物だって? それなのに、傍にいてくれたの?」


(灯真が幼い頃から思い続けてくれていたのは、わたし? )


 詩桜は混乱した。だって自分には灯真との記憶なんてない。けれど灯真がこんな自分を雨の中見つけ出してくれたのは、紛れもない事実だから……どんな理由でも弱っている心には、その優しさは堪える。


 寄り掛かってしまいたくなる……。


「わたし……」


「なんだ?」


「最近……とっても幸せだったの」


「どうみても、幸薄そうだったぞ。数週間前なんて、殺されかけてただろ」


「わたしにとっては、それでも幸せだった」


 人と深く係わることなど今までなかった。接し方も知らなかった。


 そんな詩桜に、辰秋は自由を教えてくれた。遥は、孤独から救い上げてくれた。


 だからこそ、詩桜は今まで知らなかった恐怖を知ってしまった。信じた者に裏切られ、失う恐怖だ。


「でも、よくないことが動き出した。わたしが、それに目を向けたら、もっとそれが加速して……今が、壊れちゃう気がするの」


「目を逸らしたって、時間の流れは止まらない」


 それは、詩桜が今一番聞きたくない言葉だった。自分は、いつのまにか幸せボケになってしまったのだと思う。


「分かっているけど、現実と向き合えないの。永遠に、このままでいたいの。今が、一番幸せだから、これ以上は望まないから、真実なんて知りたくないっ」


 ただ遥や、灯真や辰秋とずっと一緒にいたい。それだけのこと。


 駄々っ子みたいに訴えた。どうしようもないことを、泣きそうになりながら。


「変わらないものなんて、あるわけないだろう」


「分かってる、分かってるけど……もう、独りぼっちはいやっ。こんなに、こんなに一人が怖くなるなら、一生日向のお屋敷に閉じ込められたままがよかった!」


 そうしたら、こんなに苦しい思いなど知らなくて済んだのに。闇の中に閉じ込められたまま、光の当たる世界に、憧れなど抱かなかったのに。


「もう、消えちゃいたい。それ以外、どうしたらいいのか分からない」


 詩桜は、涙が零れそうなのを必死で堪えた。


 灯真は、そんな詩桜に優しく微笑み、こちらに手を伸ばす。


 詩桜は、触れられるのが怖くて、一瞬身を竦めたけれど……。


「バカだな」


 ぺチンとデコピンされ、詩桜の堪えていた涙が、一滴ぽとりと零れ落ちた。


「今より少し先に辛いことが見えたからって、なぜそれがずっと続くと思い込む。そのさらに先には、それより良いことが待っているかもしれないだろ」


「思えない、そんなこと。人生の絶頂は、そう何度もこないもの」


「こんなの、幸せのうちにはいらない。今まで辛かった分も、一年後のお前は幸せに笑ってる。二年後は、もっとずっとだ」


 もし、遥に裏切られてしまったら、一生笑顔になんてなれない気がする。

 けれど灯真は、まるで詩桜の未来を見てきたかのように、自信たっぷりに言い切る。


「少なくとも、俺は……お前を決して一人にはしない。どんな時も、お前の味方だ」


「なんで、そんなことが言えるの」


「約束する。お前に二度と孤独な思いなんてさせない。そのために、俺は強くなって戻ってきたんだ」


 色んな感情がぐちゃぐちゃになって、詩桜は両手で顔を覆ってわんわん泣いた。


「うぅ、涙がっ、止まらない。灯真が変なこというから……」


「そういう時は、思う存分泣けばいい」


 言いながら灯真は詩桜の涙を救い上げるように、瞼に頬にキスを落とした。


「美味いな。お前は、涙さえも特別だ」


「な、涙なんて、しょっぱいだけでしょ」


「俺が美味いといったら美味いんだ」


 何度も何度もキスの雨を降らされて、でも不思議と嫌じゃなかった。怖くもない。


 気付かないうちに、自分は灯真に励まされていて、守られて……今だって、被さって雨粒から庇ってくれている。


「くすぐったいよ……灯真のキス魔」


「お前の涙も悲しみも、俺が美味しく喰い尽してやるから……気が済むまで泣けばいい」


 ずっと味方なんていなかった。だから泣くときはいつも一人だった。けれど今、自分は一人じゃないんだと、心から思えたら詩桜は涙を零しながら笑っていた。


 灯真にされるがまま、お天気雨のように。






 しばらくして詩桜の涙はすっかりと止まり、鈍色の空も晴れ、いくつもの星たちが家路を歩く二人を見守っているように瞬いている。


「くしゅんっ……うぅ、寒い」


 春の夜風は、ひんやりと疲れた身体を冷やしてゆく。


「あんな場所で寝てたら当然だろ」


 呆れ顔の灯真に詩桜は居た堪れなくなり俯いた。


 お騒がせしましたと謝るしかないと思ったけど、口を開く前に、詩桜の手はすっぽりと大きな温もりに包まれ、びっくりして謝罪の変わりに「ひゃっ」と小さな悲鳴が口から飛び出した。


「な、なに?」


 言いながら、詩桜は反射的にその手を振り払おうとブンブン振るのだが、灯真は離そうとしないので、傍から見たら仲良く手をブラブラさせているように見えるかもしれない。


「な、なんで手を繋ぐ必要があるの?」


「寒いから、俺が。お前のせいで冷えた。責任とって温めろ」


「でもでも、灯真よりわたしの手のほうが冷たいと思う。余計に寒くない?」


「寒くない」


 言い切られると、もうなにも言えない。だから、黙って歩くしかない。

 詩桜が黙ると灯真も黙って、二人の間に沈黙が続く。それは、心地が悪いわけではなくて、もう恐怖もなくて。


「ねえ、灯真……」


「なんだ」


「……温かいね」


「ああ」


 知らなかった。手を繋ぐということが、こんなに心地のいいものだったなんて。


 なんだかくすぐったくて、詩桜は意味もなく灯真と繋いだ手を揺らして家路を歩いたのだった。

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