第四章 仰げば尊死 我が推しの恩

12. ニノン・オラールかく語りき

「誤解、というと?」

 僕が促すと、ニノンは少し言いにくそうに口を開く。

「フランシスの求婚を受け入れたのは……身の安全のため、というのも少し、ありました。イアサント様はわたしを敵視していましたし、このままでは王立学院に残るどころか命すら危ういのではないかと」

 うん、まあそう。本編でのニノンとイアサント姫の関係性はもっと殺伐としていた。


 王宮にいたらイアサント姫は再びニノンを狙っただろう。それを阻止すべく、彼女をバドラパント修道院に送り込んだのだ。あそこは僕という前例もあるので、こういうことには慣れている。


「イアサント様が王都を離れることになって、最初こそほっとしました。でも日が経つうちになんだか、わたしにとって都合がよすぎるように感じて……」

 うん、まあそう……かも? でも命を狙われてたんだし、そう不自然でもないと思うけど……。


「公爵は非礼の詫びだとおっしゃって、わたしを養女に取り立ててくださいました。そのこと自体には感謝していますが、まさか本心ではないでしょう?」

「ニノン様」

 すかさずベルナールが制止する。わかりきっていることでも口に出せば本人の耳に伝わる。そうなった時、不利になるのはニノン自身で、ベルナールの警告はニノンのために発せられたものだ。つまり、尊い。


「ありがとう、ベルナール。でももうなりふりかまっていられないわ。わたしはイアサント様を追い出すために利用されたのよ」

 ニノンは怒ったように言う。フランシスがラ・アル公爵にケンカを売る口実に僕を使ったように、ラ・アル公爵もまたフランシスを出し抜くためにニノンを使った、ってことか?


「それだけではないわ。きっと公爵は次善の策として別の駒も用意することを思いついたのよ」

 それが僕、ってわけか。

 フランシスとテオドールに何かあれば僕に王位が巡ってくる可能性は高い。念のために娘を送り込み、僕を籠絡してくれれば幸い……いや、ラ・アル公爵のことだ、必ずモノにせよと命じたかもしれない。


 正当な王の血筋に王族公爵の肩書きがあれば、資格がないとケチをつけづらくなる。それに僕は(自分で言うのも情けない話だが)フランシスより操作しやすそうだし……。

 奇しくもフランシスが言ったように、盤上には必ず公爵の息のかかった駒が残るようになっている。激情家のように見えてもそこは海千山千の古狸、といったところだろうか。


「事の真相を確かめたくなったわたしは……お叱りを覚悟の上で、密かにイアサント様に連絡を取りました」

「えっ!? それっていつの話です?」

「三月の末頃でしたかしら」

 と、すると四月に入った頃には届いているはずで、僕がこんな状態になる直前か直後かって頃合いだろう。そんな最初から話が違うの!? って、待てよ……。


 ――あなただって王家の人間なのですもの。弟が羨ましいとは考えたことありませんの?

 イアサント姫のあの台詞。出てくるタイミングがおかしかった。


 本編では僕がイアサント姫に自身の出自を話すのは秋頃で、それまで彼女は何も知らなかったのだ。でも最初からラ・アル公爵から僕のことを聞いていたのだとしたら、イアサント姫が序盤から僕に馴れ馴れしかったことにも合点がいく。

 なるほどそっか……なるほどね……それってなんか……。


(結構……ショック、かも)

 父親の命に忠実だっただけで、慕われてたわけじゃないのか……いやフラグ折ろうしてた僕にそんな資格ないけど、それだけじゃなくて。 

 長年想っていた相手にフラれた上に、知らん男を落とせと言われて家を追い出されるとか……イアサント姫の心情を察するに余りある。


(つか、ここまでくるとゲームの筋、なんも関係なくない?)

 起こるイベントの一部はゲームそのままだが、経緯や背景は別物になっている感じがする。やっぱり僕の存在がゲームを壊してしまったのかもしれない。


「すると、イアサント様はお返事をくださったのです」

「マジか」

「マジですわ」

 ふふふ、とちょっと自慢げに微笑むニノンを、僕は別人を見るような目で見てしまった。でも、うん、バチバチにやり合うのもよかったけど……キャッキャしてるのもそれはそれでアリだな……。


「お義姉様は全て分かった上で、王宮を離れたんです」

「つまり……?」

「お義姉様がフランシスと結婚すれば、公爵閣下の影響力が増すでしょう。もし王子が生まれれば、それもまた駒として利用されるされるかもしれない。だからこそ、縁のゆかりもないわたしが王妃になるほうがこの国のためだ、と」

「まさか……ニノン様に嫌がらせとかしてたのって、わざと遠ざけられようとして……?」

 僕の問いかけの答えがここにある、とばかりにニノンは手紙を差し出してくる。


 ――皆に派手に嫌われれば、お父様も面子のために追い出さざるを得なくなる。でも、勘違いしないで。わたくしがそうしたのはフランシスのためであって、決してあなたのためじゃないわ。

 強がりが透けて見えるような文面だ。自分の評判を犠牲にして身を引くとか……いじらしすぎるよ僕の推し……。


「でも結果として、わたしはお義姉様の厚意を踏みにじったことになります」

「……」

 そうか。せっかくイアサント姫がラ・アル公爵の影響力を削ごうとしたのに、ニノンは公爵家の養女になったから……。


「でも、修道院で暮らすお義姉様はお幸せそうでした。公爵様と離れたことが良い方向に働いたのでしょう。リュシアン様もおられたし」

「僕は別に……何もしてないです」

 自分を犠牲にして父親の命を遂行しようとしていたことも知らず、彼女を遠ざけることしかできなかった。でもそれはイアサント姫を死なせないためであって、本意ではなかったんですけども。


「手紙で愚痴ってましたよ。リュシアン様は愛想がないとか冷たいとか素っ気ないとか避けられるとか」

「ははは……」

 そこまで邪険にしたつもりもないけど、当初の方針通りにはなっていたみたいで、まあ良かった。


「お義姉様が手に入れた平穏を壊したくなかった。ずっとお父上に振り回されてばかりだったんですもの、これからは自分の人生を生きてもいいでしょう? この先のことはわたしとフランシスの問題だわ」

 でも、とニノンはその愛らしい顔立ちを曇らせた。

「フランシスはあなたの存在を知って、どうしても捨て置くことができなかった」

「そうでしょうね……」

 ましてや叔父が従妹を使って僕を抱き込もうとしているとなれば、あの疑り深……失礼、慎重な性格のフランシス王子のことだ、確実に潰しておきたいと考えるのもおかしな話ではない。


「だから、テオドール様の死にかこつけてあなたを犯人にしようとしたの。わたしはそんなこと反対だったのに!」

 ニノンが激昂する。ともすれば小柄で頼りなく見えるこの少女が発する気迫に圧されて言葉を失っていると、ニノンははっとして「ごめんなさい」と呟いた。

「フランシスを説得できなかったわたしのせいだわ。リュシアン様とお義姉様をいたずらに巻き込んでしまった……」

 ニノンがうなだれる。だが、彼女がイアサント姫に助けを求めていなかったら、僕は今頃処刑台の上で首とさよならしているところだ。それに……


「ニノン様のせいではないです。遅かれ早かれ、こうなっていたと思うんです」

「そんな、リュシアン様にはなんの関係もないことです」

「だったら僕はこのまま王都を去るべきなんですか?」

 僕が尋ねるとニノンは押し黙った。彼女だってわかっているのだ。僕がこのまま修道院に戻ったとしても、一時しのぎにしかならないということに。


 僕が前王妃の遺児だということはいずれ広まるだろうし、たとえ公爵がいなくなっても僕を担ごうとする勢力は現れるに違いない。

 となると、もう逃げても無駄なのだ。そりゃ、本音を言えば逃げたい。巻き込まれるのはごめんだ。逃げて逃げて逃げまくるというのもひとつの手だろう。でもそれだけはなんか嫌だった。


「僕はもう無関係ではいられない。そう悟ったんです」

 どうあっても死ぬ運命なのだったら、せめて後悔の少ないほうを選びたい。

 前世の僕はこんなに勇敢な人間ではなかったので、リュシアンの気質なのだろうか。それとも、一度死を免れたことで少々楽観的になっているのか。


(それに、イアサント姫が公爵のところにいるのも気になる)

 どうも彼女の行動は読めない。彼女自身の意志なのか、それともラ・アル公爵の影響下にあるのか。正直、ゲームが壊れてから一番不可解なのは、イアサント姫の存在そのものだ。一番関係性の近い僕がおかしくなったせいかもしれないと思うと、放っておくのは不安だ。


「フランシス殿下にお伝えください。僕の罪を贖ってくださるのなら、殿下の手足となり微力ながら御身に尽くしたく存じます」

 あ、この台詞、ゲームだとテオ王子に言ってたな。

 このままシティス塔に籠もっていてもらちがあかない。フランシスが僕を利用したがっているというのなら、それに乗らない手はない。テオ王子は断ってきたが、フランシス王子はどう出るか。


「……わかりました」

 ニノンは重々しく頷いて立ち上がった。

「戻って、フランシスに伝えます。――本当にごめんなさい」

 ニノンは深々と頭を下げると、ベルナールを促して部屋を出て行った。出て行ってから、僕はとんでもないことを口走ったのでは、と後悔したがもう遅い。

 多分ここが正念場だ。腹を括るしかない!!

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