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「記事、読みました」


 墓地を出た明神と小谷は並んで境内を歩き始めた。暖かい秋晴れの日とあって、境内には写真を撮る観光客の姿が目立つ。


「あいつに、2hilに会ったんですね」

「先に言っておくと、あれは偽物だ」

「わかってます。死んだ人間が生き返っただなんて信じていませんから」


 小谷が明神の牽制を笑顔で返した。


「どう思っているの」

「どうって、何をですか?」

「君は2hilのファンだっただろう? 一連の復活騒動をどう思っているのかなってさ」


「僕自身は不愉快に思ってます」

 小谷が顔をしかめてみせた。

「2hilの後を追って死んだ人間がいるっていうのに」


「2hilは、ファンの要望に応えて『よみがえった』と言っているね」

「ファンの要望? 死んでいったファンは少なくとも望んでいませんね」

 小谷がいまいましげに言い放った。


「でも、生きているファンの中には、喜んでいる子もいます。2hilが本当によみがえったと信じている子も……」


「それだよ。それがわからないんだ。どうして死んだ人間が生き返るだなんてことを素直に信じることが出来るんだ?」


 思いの外、大きな声を上げていたとみえ、通り過ぎる観光客が明神たちを振り返った。


「僕はもう2hilを追っていませんけど、今もヒルズ――ファンでいる子たちと交流はあるんです。2hilが活動を再開したっていうニュースが流れた時はすごかったなあ。連絡が一度にたくさん来て、僕の方でも連絡しまくったっけ。最初は、活動再開といっても、それはただの宣伝文句で、『よみがえった』本人が表舞台に出てくるなんて考えてもいなかった。そりゃそうですよ、死んだんだから。でも、本人と主張する人間が出てきた。僕はすぐに冷めたし、気分が悪かったけど、大喜びしている子たちがいた。それで、僕、考えたんです。喜んでいる子たちにとっては、2hilは死んでいないんじゃないかなって」


 2hilは死んでいないという小谷の言葉を反芻する。死んでいないのなら、よみがえりもしないのではという矛盾を指摘せずに、明神は小谷の次の言葉を待った。


「2hilは人外の存在という設定ですから、やっぱり死んでいなかったんだ、となるのではないのかなと」


「なるほどね」


 人外の存在であると2hilは当初から強調していた。濃い化粧も妖しげな雰囲気を演出するための仕掛けだった。そしてそれは今も仕掛けとして機能している。


「人外の存在、か。信じる人間がいるのか」

「オカルト好きな人間は多いです」

「小谷くんは、信じていた?」

「ファンだった頃は」

「舞は?」


 小谷は黙って頷いてみせた。


「2hilは僕らの世界のすべてでした。今振り返れば、熱にうかされていたんだってわかります。でも当時は2hilが自分で、自分は2hilだった。だから、彼が死んだ時、僕らも死んだんです。心が死んでしまったから、体を捨てることをためらわない……舞はとっくに死んでいました」


 あふれ出す涙を流すまいとするかのように小谷が空を仰いだ。


「君は2hilの後を追わなかった……。どうしてかな?」

「同じ質問を三年前もしてましたね」


 小谷がくすりと笑った。


「そうだったか? 覚えていないなあ。それで、君は何と答えたんだい?

「舞を愛していたから、と言いました。でもそれは間違いです」

「間違い?」


 明神は思わず立ち止まった。背後を歩いていた中年女性の二人組が眉をひそめながら明神たちの脇を通り過ぎていった。


「そうです、間違いです。僕の理屈でいえば、舞を失ったら僕は死なないとならない。でも、死ななかった。舞を失って明神さんは死にたいと思いましたか?」

「いや……悲しいとは思ったが」

 「僕もそうです」と言って小谷が深く頷いた。


 二人は再び歩き始めた。


「悲しかったけど、死にたいとは思わなかった。それで、どうしてだろうと考えたんです」

「それで? 答えは見つかった?」


 こくりと小谷が頷いた。


「穴、です」

「穴?」


 予想もしていなかった言葉だった。


「穴です。僕は穴が塞がっていたから、死なずに済んだ。三年間、ずっと考え続けてきて得た結論です」


 小谷は大学で心理学を専攻しているという。舞の死をきっかけに、心という存在に興味を持ち、学びたいと思ったのだそうだ。


 仏殿を背に山門へとむかう柏槇の古木が居並ぶ庭を抜けながら、明神は、小谷による「穴」についての興味深い考察に耳を傾けた。


「人間は、心に穴の開いた状態で生まれてきて、その穴は成長と共に塞がっていく。赤ん坊の頃には穴が開いている頭蓋骨だけど、成長と共に穴は塞がれていく。心の穴もそんな感じではと考えてみました。心の穴は、いろいろなことを吸収しやすくするために開いている。スポンジみたいに」


「若い人の感性は柔らかいからね。それこそスポンジみたいに」


「穴が塞がり切っていない思春期には心を守るために何かで穴を埋めておく。人によって穴を埋めるものはそれぞれ違う。漫画、ゲーム、音楽。僕らの穴を埋めていたのは2hilだった。それが急に失われてしまった時、舞は空っぽになった穴を抱えてどうしようもなくなってしまった。2hilの後を追っていった連中も舞と同じです。僕は、大人になりかけていて2hilという仮どめがなくても生きていけるほどに穴が塞がりかけていた。だから死なずに済んだんです」


 舞の心の穴に気づいていたら、現在は変わっていたのだろうか。


 東京に戻る電車に揺られながら、明神はぼんやりと考えていた。

 考えても仕方のないことだ。過去は変えようがない。


 大人になれば塞がるという心の穴だが、舞を失って明神の心にはぽっかりと穴が開いてしまった。その穴を埋めているものは2hillへの憎しみだ。

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