32
納まらないのはジュリモネア、
「ま! たった今、キャティーレさまが『面倒だな』って言ったじゃないの」
怒りに満ちた声でキャティーレに詰め寄るように言った。
「わたしが?」
考え込んだキャティーレ、ややあってリザイデンツに向かい
「言ったか?」
と訊いた。
ジロリとキャティーレを見てから、
「仰いました」
とリザイデンツは答えた。
「そうよね、言ったわよね――もういいわ。判ったから出ていって。リザイデンツ、すぐに食事にしてください」
怒りで震えそうなジュリモネア、ツンとキャティーレから目を逸らすとドサッとソファーに腰を下ろした。
ドアの近くにいたナミレチカが
「お帰りください」
と退出を促すが、
「言った覚えがない」
とキャティーレは動かない。
ナミレチカが困ってリザイデンツを見る。仕方なく、
「部屋に入るなり『面倒だな』と仰いましたよ、キャティーレさま」
と言えばキャティーレは
「部屋とはこの部屋か? 廊下のドアの前で待たされ、控えの間を通っても、控室ではまたドア……面倒だなと考えていた。だが、ジュリモネアとの食事を面倒だなんて言ってない」
と、不満顔だ。
「わたしには今後、取次は要らない。勝手に入る……あ、それはさすがに拙いか?」
「女性のお部屋に取次ぎなしは、たとえこのお屋敷のご主人でも、婚約されていても非常識だと存じます」
リザイデンツが
「いいわよ」
と考えもせずに答えた。
慌てるリザイデンツ、
「いいんですか!?」
と驚けば、今度は少し考えてからジュリモネアが言った。
「そうね……そこのドアはノックして。そしたらナミレチカが出てきてドアを開けてくれるから。廊下のドアを開けた時点でエングニスが出てくるとは思うけどね。わたしも面倒だと思ってたのよ。キャティーレさまとわたし、気が合うのかもしれないわね」
いいや、きっと誰もが面倒だと思いますよ、そんな言葉をリザイデンツが飲み込んだ。
「それにしてもごめんなさい。わたしてっきり、一緒に食事するのが面倒って言ったのだと勘違いしちゃったの。だってキャティーレさま、食事は一人で食べたいって言ってたから。でもあれって、朝食の話だったっけ? ま、どっちでもいいわ。できればわたし、朝も昼も夜も一緒に食べたいんだけどね」
この辺りでキャティーレがそっとリザイデンツに目配せした。これ、ほっといたらいつまで喋ってるぞ、と目が言っている。
「だって、食事って一人で食べるより誰かと食べたほうが断然美味しいもの。あ、ひょっとしてキャティーレさまって誰かと食べたことがないのかしら? だったらわたしと楽しくお喋りしながら食べましょうよ。キャティーレさまに無理に何か言えなんて言わないわ。わたしの話を聞いてくれてるだけでいいの」
ジュリモネアの話を遮るタイミングがつかめないリザイデンツ、そろそろなんとかしないとキャティーレが帰ると言い出しそうだ。
「そうね、どんなお話ししようかしら? そうそう、キャティーレさま、無趣味だなんて言って、絵を描かれるのね。リザイデンツに聞いたわ。廊下に素敵な絵がいっぱい、今度一緒に鑑賞してくださらない? それとも自分の絵を見るなんて面白くないかしら? 解説してくださると嬉しいんだけど?」
と、やっとジュリモネアがキャティーレの反応を見るために黙った。
ホッとしたリザイデンツが
「ところで――」
と言ったところで、
「あら、キャティーレさま、何を持ってらっしゃるの?」
またもジュリモネアが喋りだし、リザイデンツは何も言えなくなった。
「ひょっとしてジャム? ううん、その色はマーマレードね。大好き! あ、それ、もしかしてわたしに?」
ドアの前でボーっとしていたキャティーレが、おもむろに自分の手をあげてマーマレードの瓶を見た。
「あぁ、忘れてた」
そう言ってジュリモネアに近寄ると、
「ん……」
と、なんだか怒ったような顔で瓶をジュリモネアに差し出した。
「貰っていいのね? 嬉しい!」
遠慮なく受け取るジュリモネア、もたもたしてるとキャティーレの気が変わってしまうような気がした。
「早速、夕食の時にいただいていいかしら?」
頷くキャティーレ、ジュリモネアは瓶を見ながら
「リザイデンツ、今夜のパンは?」
嬉しそうな顔だ。
「調理長にマーマレードにあうパンを用意させましょう――キャティーレさまは紅茶に入れて飲むのがお好きです」
「そうなの? だったらわたしもそうしようかな?」
「ちなみに、そのマーマレードはキャティーレさまの手作りです」
「へっ?」
「庭にオレンジの木がありまして、毎年食べきれないほど実をつけるので……腐らせてしまっては可哀想だからと、マーマレードにすることにしたそうです」
「そうなんだ……」
マーマレードとキャティーレを見比べるジュリモネア、ドルクルト侯爵が『判りにくいけれどキャティーレは、実はとても優しいのです』と言っていたことを思い出していた。なるほど、ぶっきら棒で愛想笑いの一つもしてくれないけれど、キャティーレは優しいみたい。なんとなく笑みが浮かんだジュリモネア、嬉しさを噛み締めるように心持ち俯き加減だ。
だけど肝心なことはどうしたんだろう? 一緒に夕食って話はどうなった?
「ねぇ、キャティーレさま?」
ジュリモネアが少しばかり上目遣いでキャティーレを見た。慌てて目を逸らしたところを見ると、キャティーレはジュリモネアを見ていたようだ。ジュリモネアの中でキャティーレは照れ屋が確定した。
「それで、一緒にお食事していただけるのかしら?」
フッと溜息を吐くキャティーレ、
「こないだのように、急な用事で出かけなくちゃならない時もある。それと、今から少しだけしておきたいことがあって……深夜近くになるが、それでもいいか?」
ジュリモネアを見ずに言った。
「えぇ! もちろんよ。今日の今日、誘ったんだもの。待って当たり前」
嬉しそうなジュリモネア、キャティーレはちょっと不思議そうな顔をした。
「わたしは誘われたのか」
だが、それは大したことではないと思い直したように言った。
「まぁ、なるべく早くする……それと朝と昼は無理だけど、待っててくれるならこれから夜は――」
「本当に!?」
ジュリモネア、最後まで聞かずに歓声をあげる。
「毎日一緒に食べてくれるのね?
抱きついてきそうなジュリモネア、慌てて一歩下がったキャティーレ、それでもチラリとジュリモネアを見て頷いた。そしてリザイデンツに、
「行くぞ」
と言って部屋を出ていく。
「キャティーレさま、退出のご挨拶を……」
リザイデンツが引き留めるが、キャティーレの足は止まらない。
「申し訳ございません。照れているのだと思います」
謝るリザイデンツに、ジュリモネアがムフっと笑う。
「いいの。キャティーレさまって可愛いわね」
「そう思っていただけるなら幸いです――では、お食事の用意が整いましたら、お迎えにあがります」
一礼して退出するリザイデンツ、少しキャティーレがリードしたかな、なんて思っていた。
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