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 後ろにいたナミレチカが慌ててジュリモネアを支えた。エングニスがすぐに来て、ジュリモネアを引き受ける。頼むわね、と小声でエングニスに言ったあと、リザイデンツに抗議したのはナミレチカだ。

「あんまりです! ジュリモネアさまが何をしたと言うのですか!?」


 温和おとなしいばかりだと思っていたナミレチカの勢いに少しひるんだものの、

「いいえ、わたしの配慮も足りなかったのです」

リザイデンツがウンザリした顔で答えた。

「ご滞在中、できるだけ居心地よく過ごしていただこうと思ってのことだったのですが、行き過ぎだったようです」


 蒼褪めるナミレチカ、

「それって……キャティーレさまは、召使いがお嬢さまと同室なのをお怒りってことですか?」

と声を震わせる。


 ナミレチカは『同室だなんてとんでもない』と言ったのに、ジュリモネアが『いいでしょう?』と甘え、リザイデンツも『お望みならば』と許してしまった。なんで最初から『キャティーレさまが許さない』と、止めてくれなかったの?


「ま、大体そんなところです。ですので、今すぐに荷物をまとめてください」

リザイデンツの顔が、少しは申し訳なさそうに見えるのがせめてもの救いか? でも、だからって引き下がれるものか!


 キッと怒りを込めた目でナミレチカがリザイデンツを睨む。

「キャティーレさまがジュリモネアさまを妻に相応ふさわしくないと判断なさったなら仕方ありません。でもだからって、婚約者をこんな夜中に屋敷から追い出すのはあまりにも冷酷ではありませんか? せめて朝までお待ちください」

気に入らないものを無理に結婚しなくてもいい。そんなことを言う権限はないが、大事なジュリモネアを守れるのはわたしだけ、そんな決意を胸に秘めたナミレチカだ。


「だいたいジュリモネアさまは、今は症状が落ち着いているものの、体調を崩してさっきまで寝込んでいたのですよ? それを追い出す? あんまりにも酷すぎる仕打ちではありませんか!」

「いやいや、何をおっしゃっている?」

慌てるリザイデンツ、驚きを隠さない。


「キャティーレさまが、ジュリモネアさまも今なら元気だと言っていました」

「だから出て行けって言うの!?」

「だから、移動するなら今だと言う事です。明日にはまた寝込むかもしれないと心配していました」

「そこまでして追い出したいのね!?」


「だから! 誰が追い出すと言いましたか?」

「言い訳は結構よ、出て行けって言ったじゃないの」

「それはこの部屋からで屋敷からではありません」

「あら、そう。ではうまやにでも行けと?」

「婚約者を厩に? キャティーレさまがどれほどお怒りになることか」


「フンだ! 婚約者でしょう?」

「んん? ジュリモネアさまはこの婚約、お気に召さないと?――そうなのですか、ジュリモネアさま?」

リザイデンツがナミレチカの肩越しに部屋の中を覗き込む。


 ソファーに座ったジュリモネアは既に意識がしっかりしたようだ。と言うか、お茶を飲み、クッキーに嚙り付いている。自分を落ち着かせようとしているのだろうか?


 リザイデンツの声に、おっとりとドアのほうを見たジュリモネア、

「そうなのかって何が?」

リザイデンツとナミレチカの言い争いは全く耳に入っていなかったようだ。


「それよりリザイデンツ、このお屋敷の料理人はフィナンシェを焼けるかしら? なんだか無性に食べたいの。明日、用意していただける?」

気が付くと目の前にクッキー、食い気が先行して、気を失う前のことは頭の中からすっとんでしまったようだ。すぐ横で、エングニスがカップに茶を注いでいる。


「フィナンシェでございますね。キャティーレさまの好物で、当家の料理人の得意とする菓子の一つです。承りました――お茶を楽しんでおられたのですか。うーーん、困りました」

「あら、お茶にしてはいけなかった?」


「キャティーレさまが『いくら信用のおける従者と言えど、男が同室は許せない』とお怒りです」

エングニスがジロリとリザイデンツを見たが黙ったままだ。ジュリモネアを見ていたナミレチカがリザイデンツを振り返り、

「この屋敷から出て行けって話じゃなかったの?」

キョトンとしている。


「そんなこと、言っておりませんよ。今すぐこの部屋から出て、他の部屋に移せとキャティーレさまに命じられました」

「キャティーレさまはエングニスが気に入らないってこと?」

「いいえ、ナミレチカさま。エングニスがと言うよりも同室なのが気に入らないのです。ご理解いただけますよね? 婚約者が他の男と同じ部屋にいるのが許せない、ごく普通の感情なのでは?」


 今度はジュリモネアもいたようだ。

「でもね、リザイデンツ。エングニスはわたしの護衛でもあるの。遠ざけたりできないわ」

次のクッキーを手に取って眺めながら言う。どうでも良さそうな言いかただ。だが続く言葉は遠慮がない。ま、それがジュリモネアか。


「キャティーレさまって心が狭いの? エングニスを父のもとに帰せとでも言うのかしら? わたしに護衛がつくのは当たり前、帰したら今度は父が怒るわ。それともエングニスとわたしがどうにかなるとでも思ってる? それって、わたしにもエングニスにも無礼だわ」

ムッとしたリザイデンツ、キャティーレを悪く言われるのは面白くない。


 しかし、ジュリモネアもナミレチカも、どうにも簡単に誤解する。誤解のないよう噛み砕いて説明しなくてはならない。面倒なと思いつつ、どこから話せばいいのか考えるリザイデンツ、自分の話の持って行きようが下手なのだとは思っていない。


「屋敷内の他の部屋にお移りいただきます。廊下から入るとまずは控えの間、そこには小さいものですが寝室が付随、控えの間の奥には控室、控室にも寝室が付随しております。さらに奥に居間があり主寝室に行けます――キャティーレさまの母ぎみ、侯爵夫人が使っていたお部屋でございます」


 この説明に、ジュリモネアがハッとリザイデンツを見た。

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