第37話「幕間・カナデとアケビ」

 失ってしまった。唯一の拠り所を。

(…こんなことなら、最初から…)

 そう考えたところで私は耐えがたい心痛に襲われ、それでもうつむきたくはなくて前を見る。

 涙でぼやけた視界に広がるのは、まもなく完全に沈む夕日。ヒナに決別を突きつけて飛び出してきた私は行き先なんてなく、ただ衝動に従って走っていたら…校舎の屋上に到着していた。

(…屋上で夕日を眺めながら、自分を慰める…はっ、似合ってないっての…)

 それは青春を題材にした小説のようなシチュエーションで、私も年齢的には青春を謳歌する年頃なのだろうけど、魔法少女になって早々にそんなのは諦めていた。

(…私は、兄妹を養えればそれでよかった。このクソッタレな学園に屈せず、誰にも心を許さず、ただ…それで…よかった、のに…)

 その顔が浮かんだとき、じわりと鬱陶しいほど涙が主張してくる。

 そいつは腹立たしいほど整った顔をしていて、普段は曖昧で淡々としているのに、こんな私を助けようとしてくれて。

 そして、裏切った。

(…どうして。どうして、アンタは…)

 そんなのは決まっている。

 本人も望んでいないことが全身から伝わってくるのに、あいつはカミソリでも絞り出すかのようにつらそうに、それでもまっすぐに伝えてきた。


『…私が入ることで、自分を…カナデを、守れるから』


 あいつは正直だった。でも、嘘も交えていた。

(…自分だけを守るのであれば、きっとここまではしていなかった)

 誰よりも優しかったヒナ。自分のことは顧みず、周囲を…私を、守ろうとしてくれたヒナ。

 そんな彼女があの醜悪な連中と組む理由、そんなのは…決まっている。

 たとえ自分を押し殺したとしても、達成したい目的があったのだ。

 それをもう一度受け止めると、叫ばずにはいられない。

「…私は! そんなの! 望んでいない…!」

 いつからだろう。

 ヒナが私を守ろうとしてくれているように、私も彼女を守りたかった。

 すぐに自分を犠牲にしようとする彼女に、これ以上余計なものを背負って欲しくなかった。


 ヒナを見ていると、私の心は落ち着いてくる。

 ヒナが笑っていると、私の心は似合わないダンスを踊り始める。

 ヒナに守られていると…私は、こんな学園にいても幸福感を得られた。


(…だから、許せなかった。優しいあなたが私のために望まぬ結果を受け入れて、自分を犠牲にすることが)

 本当に? 本当に、それだけ?

 違う、私は…ヒナを思いやれるほど、優しい人間じゃなかった。

(…私の味方でいてくれるあなたが、私とは逆方向に歩いて行くのが…いやだった…)

 そうだ、私は自分勝手な人間だった。

 彼女の優しさに絆され、仲間として認め、味方でいてくれると言った以上は…私が受け入れられないことに対して、同じようなスタンスを取って欲しかった。

 …私は、何様だったんだろう。

(元々私は一人で、ずっとそうあるべきだった。一人で無意味な抵抗を続けて、いつか引退するか、野垂れ死ぬかしていればよかったんだ…)

 そんな私にも手を差し伸べてくれたのがヒナで、その手を取ってしまった結果、私は自分が一人であることを忘れてしまったんだろう。

 そして。一人であることがこんなにもつらくなってしまった。

 今だって、そう。

(…ヒナ。もしもアンタが今からでも派閥入りを撤回して、そして私のところへ来てくれたのであれば)

 きっと私は泣いてしまう。今のような苦痛に流す涙ではなく、歓喜に耐えかねて泣いてしまうだろう。

 もしかしたら…抱きついてしまうかもしれない。そしてみっともなく慟哭して、優しいヒナは頭を撫でてくれて。

 私は、そんな存在が欲しかった…?

「……ふざけんじゃないわよ!! ヒナは、そんな子じゃない!!」

 ヒナは、ヒナは…私にとっての都合がいい存在じゃない!

 ヒナは強くて頑固で、私の言うことなんてちっとも聞いてくれやしなかった。

 頼まれたからと面倒ごとに首を突っ込んで、そんな状況でもできることをちゃんとして、だけど私までも守ろうとした…どうしようもない、優しい少女。

 だから私は彼女を──になった。

 それを否定するような甘ったれは…許せるものか!

「っ…そうよ、ヒナ…アンタは、そのままでいなさい…私がいなくても、そのままで…」

 ばちんっ、と頬を張る音がする。甘ったれの私に現実を教え込むように、自分で両頬をはたいたのだ。

 そのヒリヒリとした痛みはヒナを失った苦しさを上書きして、出てくる涙も痛みによるものに変化した。


「…あれぇ? こんな時間に先客じゃん?」


 そのとき、後ろから声が聞こえた。そちらに振り向くと、そこには黒と金のインナーカラーのロングヘアをアップにした少女…同じ一期生の魔法少女がいた。

「…もう出ていくから、安心しなさい」

「あ、いやー…あたしもちょいと泣きそうなことがあったから、一人よりも誰かがいてくれたほうがいいかなー、なんてね?」

「…はあ?」

 普通逆じゃないの? そんなツッコミをしようとしたらそいつは隣に歩いてきて、先ほどの私みたいに欄干に肘を置いて沈んだ夕日を眺め始めた。

 夜が来る。私にとっては長くなりそうな、二度と明けない夜が。

「…あたしさ、相方に逃げられちゃって」

「…聞いてないんだけど」

「んじゃ、独り言として受け取っちゃってよ」

 いらないわよ、そんなの。そんな返事をしようとしたのに、私はその横顔から目が離せなくなった。

 多分、私と同じ顔をしていたからだろう。

「ちょっと前からさ、こうなるんじゃないかって不安だった。でも、その日が来てみると…たはは、もっと話せばよかったとか、あたしも一緒に行けばよかったのかなとか、もーぐちゃぐちゃになっちゃって…結局、見送ることしかできなかった」

「…見送れたのならいいじゃない。ここには…逃げ出すことしかできなかった、弱い奴もいるんだから」

 …なんで私は、名前も知らない相手にこんなことを言ってしまったんだろう?

 このあまりにも不思議な偶然…相方と物別れをしてしまったという人間が揃ったことで、口も軽くなったのだろうか?

「…そっちも、大切な人と離ればなれになっちゃった感じ? あ、名前教えてなかったっけ…あたし、アケビ」

「…カナデ。別に、大切とかじゃないわ」

 そうだ、大切なんかじゃ…ない。

 もしも本当にあの子を大切に思っていたのなら、自分の主義主張を押しつけるだけじゃなくて、もっと優しい言葉をかけられたのかもしれなかったのだから。

 …大切なんかじゃ、ない。大切だと言えるほど、私はヒナを…支えられなかったのだから。

「…ねえ、カナっち。あたしの部屋、来る?」

「…は? ていうか、変な呼び方やめて」

 こいつ…アケビは夕日に見飽きたのか急にこちらを振り向いて、無理をしているのがわかるくらいの…にかっとした笑みを浮かべた。

 それはこれまで見てきたどんなやつとも違い、ましてやあいつとも似ているわけがないのに。

「カナっち、逃げてきたってことは部屋に戻りにくいんでしょ? ならさ、あたしの部屋においでよ。んで、その相棒と仲直りできるまでは…一緒に戦ってくれる? あたしあんまり強くないから、今さら一人だと不安なんだよね…」

「…なによそれ」

 誰とも違うはずの、その人がよさそうな笑顔は。

 先ほどまで一緒にいた『大切な人』と、一瞬だけ重なって見えた。

「…馴れ合うつもりはない。私は一人でもいい。そんなやつと一緒に暮らすとどうなるか、わかるでしょう?」

「あー、だいじょぶ。あたし、仲良くしてくれると嬉しいけど…前の相棒のことがちょっと忘れられなくて、また失うんじゃないかって怖くなっているから、すぐには踏み込めないかも」

 アケビは頬をかきながら気まずそうに伝えてきて、私はその言葉に…悔しいけれど、安心感を覚えた。


 ヒナ。私は多分、あなたのことを完全には忘れられない。

 あなたと過ごした日々はたしかに私を変えて、あなたがいた場所に誰かを入れることはできないけれど。

 でも、それでいい。この喪失感を抱えたまま、少しでも長く戦うために、このお人好しの力を借りよう。


「…それは好都合ね。言っておくけど、本当に…私のことには土足で踏み込まないで。それさえ守ってくれるなら、一緒に戦っても…いい」

「ほんと? あはは、それは助かる…よろしくね、カナっち!」

「…ふん。よろしく」

 なんとも私らしい身勝手な返事をしたら、アケビは苦笑して手を差し出してくる。

 それでも握り返さなかったら意図を察してくれたらしく、次は握りこぶしを掲げてきた。

 これならいいだろう、私は最後に握ってくれた人の感触を守りながら…同じように拳を作ってそれにぶつけ、ヒナのいない戦いに戻る決意をした。

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