第20話「ルミとラーメン」
先ほどまで燃えさかっていた炎はすっかり消えたものの、その熱の余韻を感じられる程度には周辺の気温も高いままであり、私の頬に汗が一筋伝う。
そんな私の視線の先には武闘派と思わしき魔法少女が大胆不敵に立っていて、先ほどは助けてもらったことはいったん隅に置きつつ、ランチャーメイスの砲身を握って警戒を続けていた。
服装は以前戦った武闘派と同じデザインで、ケープではなくポンチョを羽織っている。ポンチョのカラーは街灯の乏しい夜の闇にすら紛れないほど鮮烈なクリムゾン、先ほど放っていた火球を思い出させるような強い赤色だった。
目の形は好戦的な意思を隠さないようにつり上がっていて、戦いの構えこそ解いているものの、私に『その意思』があればまた魔法少女同士の戦闘が始まるだろう。
そして…そうなった場合、私が不利なのは明らかだった。
「おいおい、もう魔力もあんまりないだろ? やるってんなら相手をするけど、弱ってるやつと戦ってもあんま面白くないからなぁ。それに今日はそういう任務でもないし」
そう、この子の言うとおり…今の私には余力がない。元々自分の戦闘スタイルの燃費が悪いことは自覚していたし、本当に雑魚だけであれば余裕を持ったまま今も立っていられるだろうけど。
現在の私は魔力も枯渇気味で、それこそランチャーメイスの質量に頼った打撃攻撃が精一杯だ。一方で相手は余裕綽々であることを隠さずに、笑いながらも呆れたように指摘してきた。
幸いなのは自分から攻撃する意思は感じられないこと、そして…ようやく会話の話題を見つけられたことだろう。
「…任務? あなたたちも影奴と戦うことがあるの?」
「んなもん当たり前だろ? あたしたちは魔法少女で、あのよくわからん化け物を倒せる唯一の存在なんだから。見たところお前とは所属こそ違うけど、倒すべき敵は一緒だろう? ま、目的が違うのは仕方ないけど」
「…ごめん、さっきは助かった」
武闘派は魔法少女学園に反発していて、その体制に攻撃することが主な目的だと思っていた。いや、それは多分間違っていないんだろう。
けれど、目の前の少女の言葉と行動は『倒すべき敵は同じ』であることをしっかりと証明していて、そのあっけらかんとした態度もあってか、ようやく私はランチャーメイスを下ろして素直に謝罪とお礼を伝えられた。
もしも私がもっと学園に忠実であったのなら、ダメ元で撃破を狙っていたかもしれない。でも今の私は魔法少女学園を盲目的に信じることはできないし、ましてやこの子が助けてくれなかったら分の悪い賭けに出ていた可能性もある。
武闘派のやろうとしていることに対してはもちろん反対だけど、少なくともこの場においてはお互いが一人の魔法少女…影奴と戦う運命を背負った存在だったから、戦う理由はない気がした。
…もしもこの様子をまた現体制派に見られていたら、今度こそ拘束されるのだろうか。いや、現体制派が見ているならすでにこの子へ攻撃を加えているだろうし、多分今は大丈夫だろう。
「いいっていいって。元々この辺もあたしらの縄張りみたいなもんだし、本当なら自力でなんとかしなきゃいけなかったからな。お前らは街から離れた人の少ない場所は後回しにしてるから、あたしらがこういう場所を守らないと」
「でも、ここにはもう人がいないでしょ?」
「いんや、もうちょっと行った先にばあちゃんが一人住んでる。この辺も昔はそこそこ人がいたっぽいけど、もっと便利な場所に人が集まるようになって、結界のカバー範囲から外されたんじゃないか?」
「…そうなんだ」
私も戦いの構えを解くことでようやく相手も斧を地面に突き立て、先ほどよりも軽快な笑顔に切り替わった。お互いのあいだに流れていた争いの空気が消えたことで、それこそ普通の学生の交流のように見えるかもしれない。
だけど、私たちは魔法少女だ。人を守る役目があるし、そのために戦っている。そして相手も同じ…どころか、魔法少女学園の管轄外の人間を守ろうとしていた。
思えば私たちが派遣される場所は人が少ないものの、それでも誰かが簡単に足を踏み入れる可能性のある場所ばかり守っていた気がする。それは合理的な判断だと思うし、反感を持つべきことじゃない。
だけどそれだけでは守れない人がいるのも事実で、そんな厳しい現実をこの子はあけすけに伝えてきたのだ。そこには嫌みも侮蔑も感じられず、改めてお互いが敵対勢力だとは思えなくなりそうだった。
「さて…あたしは飯を食ってから帰るけど、お前は? せっかく一緒に戦ったんだから、二人分用意してもいいけど」
「え、いや…悪いよそんなの」
「気にすんなって。次に会うときは敵同士かもしれないけど、今は戦わないだろ? なら同じ魔法少女のよしみだ、腹ごしらえをしながら話そうぜ」
「う、うーん…じゃあ、魔力が少し回復するまでなら」
「そうこなくっちゃな。んじゃあ、その辺から燃えやすい草を集めてくれ。あたしも準備してるから」
「了解」
とりあえず戦わずに済んだし、早めに帰投してカナデを安心させてあげるか…なんて思っていたら、これまた予想もしなかった誘いに面食らう。もしかして、毒でも盛って私を仕留めようというのだろうか?
…いや、多分ないな。そもそもお互いの実力や余力を考えるとあっちが圧倒的に優位だし、そのつもりがあれば直接攻撃をしたほうが早いだろう。何より、この子はそういう回りくどいことはしない気がする。
だから私は若干迷いつつもその申し出を受け入れ、多少の魔力と体力が戻るまで休憩することにした。するとこの子は先ほどよりもさらに無邪気な笑みを浮かべて、ポンチョの内側に背負っていたと思わしき小さなリュックから荷物を取りだす。
対する私は流されるがまま、その指示通りに火起こしに使うであろう草を集め始める。このあたりは舗装されていない地面には普通に雑草が生えていたため、要求された物資の調達はあっという間に終わった。
にしても、『魔法少女のよしみ』か。つい最近も同じようなことを言われて、その言葉を口にしたのはこの少女とは真逆のような人だったな。
「おお、早いな。じゃあ網の下に置いてくれ」
「うん。火起こしは…まあ大丈夫だよね」
「おうよ。火の扱いなら誰にも負けないぜ?」
草を抱えて戻るとすでに折りたたみ式のクッカーを広げていて、網の部分には水の入った片手鍋が置かれている。傍らには袋入りのインスタントラーメンがあって、それだけでなにを作るのか察してしまった。
…こういうの、久々に食べるな。
魔法少女学園では栄養効率を重視した食事ばかりだったので、その塩っ辛く温かい食べ物を想像するとお腹は小さく鳴ってしまった。一休みできればそれでよかったけど、なんだかんだで私もこの食事を期待してしまったのかもしれない。
そんな微妙に卑しい私にはとくにツッコミを入れず、彼女は指先から小さな炎を出して草葉に着火した。サバイバル的な火起こしとは比較にならないスピードで調理用の炎は燃え上がり、湯沸かしにも差ほどの時間がかからないことを予測する。
「そうだ。お前、なんて名前なんだ? あたしは『ルミ』。魔法少女学園からはテロリストなんて呼ばれているらしいけど、あたしらは『武闘派』って名乗ってる」
「私はヒナだよ。派閥にはとくに入ってない」
「ああ、どうりで。現体制派の奴らだと問答無用で襲いかかってくるからなぁ」
「…大変だね」
闇夜に灯った炎を見つめていると不思議と心は穏やかになり、ますますこの場を包む空気から敵意が消えてなくなる気がする。そんな流れはこの子…ルミも感じ取っていたのか、ようやく自己紹介ができた。
そして当然と言うべきか、やはり現体制派との関係は最悪らしい。それはある種当然の報いと表現すべきなのだろうけど、一緒に誰かを守ったという偶然に見舞われたせいか、私はまるで彼女たちの側に立ったかのような共感をしてしまう。
いや、もちろんどの派閥にも入ろうとは思っていないけれど。でもお互いが一人の魔法少女でしかない場合、この子とは衝突する必要もない気がした。
「ま、お互いに譲れないもんがあれば戦うしかないわな。あたしは戦うのが好きだし、自分のやってることが正しいとも信じているけど」
「…ルミは強いね」
袋から取り出した乾麺を二つに割り、沸騰したお湯に入れて溶きほぐす。そのあいだもルミは何のこともないように現状を語り、自分に武闘派というアイデンティティーがあることを隠さなかった。
そんな彼女を見ていると、改めて自分が派閥向きの人間でないことを悟る。信念のために戦うことはできず、ただすぐそばにいる人のささやかな幸せを願い、そして生きて家族と再会できることだけを希望に日々を過ごす。
武闘派が正しいかどうかはさておいても、ルミ個人については好感に値する人だと思ってしまった。
「へへっ、まあな! あたしも昔は弱っちかったけど、『師匠』のおかげで強くなれたんだ。だからもっともっと強くなって、魔法少女を助け出して…そいつらも強くして、みんなが自分のために戦える世の中にしたい」
「…みんなが強くなった世界。そうか、そういう理想もあるんだ」
「時間はかかるだろうけどな…おっと、ちょうどできあがった。お前の分はこっちのカップに取っておくぞ」
「あ、うん…いただきます」
それぞれの派閥だけでなく、個人ですら異なる理想がある。それは魔法少女たちが一つになれないという残酷な事実を指し示すと同時に、この抑圧された世界でもそんな自由を胸に描けるのを教えてくれた気がした。
そんな自由に従い、今は素直にお腹を満たしてみよう。安直な私はそう割り切って、金属製のカップに入れられたラーメンとお箸を受け取る。ルミは片手鍋の取っ手を掴み、フォークを使ってそのまま豪快に麺をすすっていた。
「うーん、やっぱ戦いの後のラーメンはうまいな! それに夜空もきれいだし、外で作ってすぐに食べるのがサイコーなんだ」
「ふふっ、そうだね」
ルミに比べると若干控えめな音を立てつつ、私もラーメンをすする。いかにもインスタントらしい若干縮れた麺はほどよい堅さで、味噌味のスープを纏ったしょっぱさが戦闘後の体に嬉しい。
単純な栄養補給という意味では魔法少女学園の用意した食事が一番なのに、こういう食べ物でしか得られない満足感はたしかにあった。だからこそ、休日になるといろんな人が外へ買い食いに向かったり、ちょっとしたお菓子を買って帰ったりするんだろう。
「あたしらが住んでいる場所には発電所で働かされていた魔法少女も多いんだけど、そいつらは外出すらろくにできなかったから、こういうのを作ってやるとめちゃくちゃ喜ぶんだよな。発電所もこれくらい食わしてやればいいのに」
「…本当だね」
センチネルは休日の外出──もちろん制限はある──も可能だし、さっきも触れたように買い食いだってできる。だけどインフラの子たちはそうした自由もないようで、今自分が食べているラーメンに罪悪感というスパイス…いや、劇物が加わった気がした。
それでもルミに当てつけるような小ずるい悪意は一切なくて、センチネルである私を非難する様子もない。純粋にこういうものを食べさせてあげたい、そんな思いやりだけがあるんだろう。
少なくとも私はそう信じられて、塩分たっぷりのスープまでしっかりと飲み干すことができた。今度の外出では私も買ってこようかな…。
「ふう、食った食ったごちそーさん! じゃ、気をつけて帰れよ」
「うん、ごちそうさま…その、今日はありがとう。結構楽しかった」
「へへっ、あたしもだ。お前はもっと強くなりそうだから、次に会ったときは…」
ラーメンを食べきったルミは手慣れた様子で調理器具を片付け、スカートの砂埃を軽く払ったら斧を背負って帰ろうとする。
私はその背中にお礼を伝え、ルミはやっぱり最後まで楽しそうに笑って拳を突き出して。
「お互い、全力で勝負しような! で、どっちが勝っても恨みっこなしだ! あたしはあたしの目的のために戦うから、お前も自分の目的をぶつけてこい!」
私たちのあいだに生まれかけた面妖な友情をかみ砕くように、犬歯を覗かせながら物騒に笑った。
そしてできれば戦いたくはないと考えていた私はその挑戦状に頬を張られ、夜風になびくポンチョが見えなくなるまでなにも言えなかった。
「…私の、目的」
影奴の気配も消えて完全に私しかいなくなった空間に、空虚なつぶやきが浮かんで消える。
もしも目的に向かうための意志の強さが戦いの勝敗を分けるとすれば、きっと私はルミに勝てない。それは魔力の量だとか素質の強さだとか、そういうのでは補えない決定的な差があるんだろう。
「…強く、ならないとな」
そんな理想とぶつかり合っても砕けない、まっすぐな目的があれば…私はもっと戦えるんだろうか?
ルミに勝ちたいとは思わないにせよ、彼女の目的には負けたくないという意志だけは、かろうじて自分の中から感じ取れた。
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