第16話「友情と権利」
「おっと、そこまでですよお二人とも」
椅子から立ち上がってどこかへと向かおうとした刹那、結界で守られていたはずのドアが軽やかに開く。
そしてそこから現れたのは。
「ヒナっ!!…ふっっっざけんじゃないわよ!! あんたら、ヒナに何をしようとした!?」
「カナデさん、落ち着いて」
「…カオルさんに、カナデ?」
「貴様ら、なぜここに!」
先に姿を見せたカオルさんを押しのけるようにして、カナデも監査室に飛び込んできた。そして私が腕を捕まれているのを見るや否や憤怒に顔を歪ませ、マナミさんの腕を掴んで引き離そうとする。
一方でカオルさんは穏やかな声音でカナデを制しつつ、もう一度「そこまでです」とマナミさんとハルカさんを一瞥した。
私は予想外の乱入に自分が助けられたことを理解できず、硬質だった部屋の空気に沸騰したお湯がかけられて急速に溶かされたような、あまりにも突然の変化に脳の処理が追いつかなかった。
「我々改革派は学園の治安維持に全力で協力しています。ただし、その活動の中で不当な拘束についても異議申し立てする権利を有しています。私は改革派を代表し、今回のヒナさんに対する取り調べおよび拘束からの解放を要求させていただきました」
「なんだと…そんなこと、許されるはずがっ」
「…ドアの結界はどうしました? 立ち入り禁止を破るのも治安維持の観点から拘束対象となりますが」
「ええ、存じております。警戒を行っていた魔法少女はルールに則って異議申し立てを受け入れてくれましたが、結界の解除は渋りましたので…代わりに私が解除させていただきました。なので、忠実に規則を守った彼女を責めないでくださいね」
「…女狐め」
カオルさんの涼やかな声が監査室の静寂を打ち破り、私の混乱までもをクールダウンしてくれる。そしてどこか得意げにかざされた彼女の右手には、すべての指に指輪がはまっていた。
そういえば…以前、結界という固有能力を持っていると聞いたことがあるけれど。もしかして、それの応用でここの結界も解除してくれたのだろうか? 結界は基本的には施した本人以外だと解除が難しいのに、カオルさんの表情には微塵も苦労が滲んでいなかった。
対するハルカさんはここに来てようやく表情を歪め、聞き取るのに苦労するほどの声で悪態をつく。マナミさんも流れが変わったことに怒りを滲ませながらも、私の拘束に踏み切る様子は見られなかった。
「ヒナ! アンタ、なんで内緒で…余計なことに首を突っ込んだのよ!? 前に無駄なことはしたくないって話していたでしょ!?」
「え、いや、えぇーっと」
そして本来なら誰もが動きにくい場面において、一番自分へ正直に行動していたのがカナデだった。先ほどまでは現体制派への憎悪を煮えたぎらせていたというのに、今は私に対して怒り心頭といった様子で詰め寄っている。
カナデの性格を考えるとビンタくらいは食らうのだろうか…と思っていたら、彼女は肩を掴んで私をガクガクと振り回し、揺れる視界の中で私はその言葉の意味を組み立てようとしてみる。
カナデと暮らすようになって間もない頃、嫌いなことについて聞かれたような気がするけれど…とくにそれらしいのが思いつかなかった私は、当たり前でしかない回答でその場をしのいだはず。
そしてカナデもそれに対しては興味なさげに相づちを打っていて、私はそもそもそんな会話があったことすら覚えていなかったのだけど…カナデ、ちゃんと覚えていてくれたのか。
(…こんなときなのに、おかしいな)
まだ自分が救い出されたわけじゃないし、もしかしたらカナデまで…下手をすれば余裕たっぷりのカオルさんですら危険に巻き込むかもしれない。
なのに私の心には日常に戻ることができたような落ち着きが生まれて、その中には見つけるのに苦労するサイズの幸福が芽吹いていた。
なんだろうね、これは。カナデに聞いたら今度こそ叩かれそうだったので、とりあえず自分に尋ねてみた。
「いくら権利の行使と言っても、我々の判断にケチをつけるのか? 貴様ら、改革派とか言いながらテロリストに肩入れしているんじゃないのか?」
「滅相もない。そうであれば先日の警備任務に参加なんてしませんし、負傷者を出しつつも任務を達成するような気概なんて持ちませんよ。私は現体制派の崇高な理念に敬意を払っておりますが、罪もない魔法少女が犠牲になる理想には共感できません。それに、現体制派のルールには『疑わしきは罰せず』の文言があったはずです」
「拘束は罰のうちに入らない!」
「マナミ、よしなさい」
カナデが私にまくし立てている横では、カオルさんとマナミさんの舌戦が繰り広げられていた。現体制派が学園で最も力のある派閥なのは確実で、それに逆らうということは自分も目をつけられる可能性が高いだろう。
でもカオルさんは先ほどのハルカさんのように声へ抑揚をつけることなく、かといって無愛想でもなく、権力の押しつけともいえる抗議をか細い権利によっていなしている。私を見捨てたほうが合理的だとしか思えないのに、カオルさんは生真面目に…きれい事とすら言えそうな理想をあの手この手でぶつけていた。
そこまで賢いわけじゃない──賢かったらここまで首を突っ込まないのは痛感している──私でも、わかる。この場における正論を体現しているのはカオルさんで、しかも不当な力には屈する様子も見せず、仮に日をまたぐまで言い合ったとしても…この人は、言い負かされない。
先ほどまでは味方もいない空間の中で常に銃口を眉間に押し当てられているような圧迫感があったのに、カオルさんの言動を見ていると部屋から壁が失われてしまったかのように開放感が強調されている。
そしてハルカさんは、それに気づいたのだろう。
「あなた、わたくしの『千里眼』はご存じでしょう? そしてわたくしは視ました、この子が疑わしい行動を取ったのを。それは魔力の使用ログからも確実にわかります、なのに異議申し立てをしますの?」
「ええ、もちろん。あなたの千里眼なら怪しい人間をすぐに見つけられるでしょう。しかし、それはあくまでも『視る』だけです。『聞く』ことも『触れる』こともできないのであれば、ヒナさんが何を話していたか、学園側にとって不都合な企てをしていたのか、そこまではわからないでしょう。それに…あのコンビニの中までは視られない、そうですよね?」
「…よくご存じで」
「協力相手について知ることは礼儀だと心がけていますから」
ハルカさんの推し量るような視線は私にこそ向いていないのに、その目を見ていると正常な判断ができなくなるような、幻惑的な光が渦巻いている。自分は何でも知っている、何でも見ている…それを物語るような威圧感。
そしてカオルさんはその正体を知っているのか、やっぱりにこやかでありながらも隙を見せずに指摘している。ハルカさんとは対照的にその視線は柔らかだけど、何でも包み込んで溶かすかのように、油断のないヴェールが瞳に広がっていた。
そのぶつかる視線を先に外したのはハルカさんで、わずかな苛立ちを当てつけるかのように大きなため息をつく。
「お行きなさいな。今回の件、我々が性急であったことを認めましょう」
「姉様! よろしいのですか!?」
「現体制派は紛れもない正義ですが、間違いを指摘されたら正さねばなりません。それに…今回の譲歩、先日の借りを返すには十分でしょう? 監査室への予告なしの突入、今回の情報の入手経路、被疑者の解放…これらを見逃すんですもの、これ以上の見返りを求めるのは強欲ではなくて?」
「ええ、その通りです。また『対等な』立場で話し合えるよう、我々もこれまで以上に協力させていただきますよ」
「…ふん。期待してますわ」
カナデの説教を聞き流しつつもその場の成り行きを見守っていたら、ようやく自分が解放されたことを悟った。そしてカナデも私にばかり集中しているかと思いきや、ハルカさんの諦めを感じ取ったらすぐさま手を握ってくる。
どれくらいぶりかわからない、カナデの手。それはやっぱり家事のせいで少しだけ痛んでいて、だけど細くきれいで、この日も私を助けるために頑張ってくれたことが伝わるような、友情にあふれる優しい手だと思えた。
「ヒナ、行くわよ。お説教の続きは部屋に戻ってからするから、覚悟しなさいよ」
「…あ、うん。えっと、失礼しました…?」
「そうだね、行こうか…ふふっ、ヒナさんはもうちょっと災難が続きそうだけど」
そうか、私はこれからまた説教されるのか…そんな近すぎる未来が確定し、若干気が重くなる。カナデは口うるさいのを知っているけれど、今日は普段とは比較にならないくらい長く怒られそうだ…カオルさんはなにも知らないだろうから、楽しそうに笑っているけれど。
私は手を引っ張るカナデの横顔を見て、一瞬だけ息を飲む。暗い赤色の瞳は涙がこぼれ落ちそうな一歩手前まで潤んでいて、ドアの向こうから差し込む光をとても小さく反射していた。
そこから雫が流れ落ちるのだろうかと見ていたら「なに見てんのよ!」と怒られ、慌てて私も前を向く。
そんないつも通りの愛想がない態度に対しても、私に芽生えた友情はまったく薄れていなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます