第12話「警戒すべき存在」
サクラさんに案内されて歩くバックヤードは通路こそ狭いものの、事務室は私たち三人が入っても十分に余裕があるほど広い。多分、休憩室も兼ねているんだろう。四人がけのテーブルがあり、その上には個包装のお菓子が入ったボウルが置かれていた。
事務用の机にはモニターと百科事典サイズのデスクトップパソコンが設置されていて、画面上には『サクラメント』と書かれた文字が動き回るスクリーンセーバーが起動していた。
「さて、ヒナちゃんはどこまで知っているかしら? あっ、そこに置いてあるお菓子は好きにつまんでね?」
「あ、お構いなく…えっと、私が知っていることは」
多分だけど、これから聞くことはそれなりに『重い』内容なんだと思う。けれどもサクラさんは初対面のときと変わらないにこやかさで切り出し、お菓子さえ勧めてくれる。一応小腹は空いているけれどさすがに話しながら食べるのも失礼な気がして、私は言われた通り知っていることをすべて語った。
魔法少女学園は魔法少女を守り管理していること。
でもそれは建前であり、実際は選択肢も与えられず搾取されていること。
私たちセンチネルはまだマシだけど、インフラは過酷な環境で働かされていること。
そして魔法少女発電所は武闘派に狙われていること…は話さなかった。ここで話してしまった場合、隣に座るカナデに余計な心配をさせるかもしれない。
サクラさんは私の話を聞くときもやっぱり優しげで、無知だと責める様子は一切なかった。年齢は20代前半程度に見えるけど、その落ち着きぶりはお姉さんと言うよりも母親みたいだ。
「うんうん、学園から教わったことに加えて、カナデちゃんに教えてもらったことを知っている…って感じかしら? でも本当にそうした実態があるのかどうか、そして反発する人の気持ちが理解できない…これでいい?」
「あ、はい。多分そうだと思います」
私が語り終えるとすぐにサクラさんは確認してきたけど、それは的確な内容だった。
そうだ、私はカナデを信じているし、教えてくれたことだって嘘だとは思っていない。だけど自分の目で確かめていないのも事実で、理解が及ぶほどの情報がないから自分の立ち位置が不安定なんだろう。
サクラさんの見透かすような言葉にも曖昧な同意しかできなくて、隣に座るカナデにも「はっきりしないやつね…」と小さく愚痴られた。
「カナデちゃん、あなたは最初から現状に不満を持っていたからすぐに私の話を信じてくれたけれど…普通はヒナちゃんみたいな反応をするものですよ? 大切な人が自分と同じ気持ちになってほしいのはわかるけど、そういった折り合いには時間がかかるわ」
「たっ、大切じゃありません! 一緒に戦ってもいいとは思っていますが、それだけですから!」
「あなたみたいな子にとってはそれが『大切』ってものだと思うけど…とりあえずそれは置いておきましょうか。ちょっと待っててね」
からかう…というよりも子供に言い聞かせるような様子で、サクラさんは反発するカナデを生ぬるく見守っている。そのカナデは私のほうを見ながら早口でまくし立て、また顔を赤くしていた。
カナデは私を嫌ってはいないし、私に何かあれば学園側に対して文句を言ったりそれを理由に反抗したりするだろうけど、多分それだけだ。カナデの心の根っこにはまず学園への嫌悪と不信があって、ギリギリで仲間と認識している私に何かあればもっと嫌いになる…それだけなんだろう。
…そんな女の子を笑顔にしたいと思うあたり、もしかしたら私はお人好しなのかもしれない。
そう考えているうちにサクラさんは無骨な携帯端末──一般に普及しているネットワーク接続型電話機に似ている──を持ってきて、指紋認証部分に指を置く。すると画面上にパスコード入力画面が表示され、サクラさんは二桁に及ぶ文字と数字を数秒足らずで打ち終えた。とんでもない早さだ…。
ロックが解除されたら端末を裏返し、背面をスライドさせて蓋を開く。すると今度は小型の魔方陣が登場して、そこに指を置くと…魔方陣はピンク色に発色し、端末から『セキュリティ解除しました。おかえりなさい、マスター』と機械音声というにはなめらかな声が聞こえた。
「ふーちゃん、ただいま~…あ、ふーちゃんっていうのはこの子の名前ね? これ、本当は魔法少女学園に勤務している人じゃないと使えないんだけど…『調整』してくれる人がいるから、今でもなんとか動かせるの。とりあえず『発電所の廊下の映像』を見せて?」
そんな端末があったこと、そして名前をつけていること、ツッコミどころが多い。けれどこういう相手には手厳しいツッコミを入れそうなカナデですら黙っていたため、私もそれにならってサクラさんの操作を見守るしかなかった。
どうやらこの状態になった端末は音声でしか操作できないようで、発色する魔方陣から『かしこまりました』と返事をされる。すると空中上に17インチくらいのホログラムモニターが表示され、すぐさま高解像度の映像が再生された。
「…これ、魔法少女発電所の中ですか?」
「ええ、そうよ。結構前だけど、構造はそんなに変わっていないと思うわ」
センチネルは発電所の中に足を踏み入れることはなく、そこに何があるのか、どんなことを行われているのかを見る術がない。学園側からその基本構造といった情報は与えられるけれど、それ以上は機密としてアクセスできなかった。
だからこの映像ももしかしたら作り物では…なんて思っていたけれど、どうやらそうでもないらしい。
「ふーちゃんはね、持ち主の記憶や知識をデータベースとして記憶できるの。その中には本人が覚えているものだけじゃなくて、脳には残っているけれど思い出せないものまで引き出してくれるのね。これ、本当は魔法少女学園での仕事を効率化するためのものなのだけど…今でもこんなふうに使えるなんて、思ってもいなかったわね」
魔法少女学園で使われているテクノロジーは一般社会の数世代先を行くとは聞いていたけれど、そこに通っている人間からしても驚く情報が多いと改めて感じる。だからこそそんな技術を外に持ち出して使うなんて許されないだろうし、それを可能にする人がほかにもいると思ったら…魔法少女であっても知らないことは山ほどあると、今さら気づかされた。
「…この子たち、どこに行くんですか?」
「この子たちは…今から『発電室』に向かうところね。私も発電室の中までは見られなかったけれど、これから6時間はずっと発電のために魔力を放出し続けることになるわ」
「……え?」
映像の中の廊下は私の通う校舎みたいに真っ白だけど、窓が一切ないことから非常に圧迫感を感じる。また、廊下を歩く少女たちは制服ではなく、病衣のような淡いグリーンの前開きのワンピースを着用していた。足下は簡素なサンダルで、作業員というよりも入院患者という表現がしっくりとくる。
現に彼女たちの顔からは生気が感じられず、下手をすれば患者ではなく囚人…なんて思っていたら。
「魔力放出を、6時間…? 連続で、ですか?」
「合間に15分くらいの休憩はあるけど、そうなるわね。センチネルと違って瞬間的に大きな魔力を放出するのではなくて、継続的にじわじわと奪われていく…とイメージしてくれていいわ」
魔力を扱う、それには高い集中力と十分な体力が必要だ。私たちは環境や使い方が異なるとはいえ、それでも6時間も延々と魔力を放出…いや、奪われているとしたら、それは。
「…搾取」
「…そうよ。言った通りでしょう?」
思わず声が漏れるとはまさにこういうことで、私は絶句した。あの日カナデがそれ以上知るべきでないと言ったのは的確で、自分と同世代の少女たちが過酷な労働に従事していると突きつけられた衝撃は、こんなにも大きかった。
さらに映像では発電を終えた少女たちが交代でどこかへと歩いていくけれど、いずれも足取りは重く目の下にはクマがあって、耐えられずうずくまる子もいた。そんな子に手を差し伸べた…いや、持ち上げたのは監視員と思わしき女性で、軍服のような制服を着用していた。その表情は、何もない。無表情すら越えた虚無を感じる。
「魔法少女はいくらか収入もあるけど、インフラの子たちは私たちに比べて微々たるものよ。挙げ句の果てに…うっ」
「カナデちゃん、無理しないで…ヒナちゃん、今日はここまでにしましょう?」
「…すみません」
カナデはさらなる残酷な情報を教えようとして、思わず口元を押さえてうめく。まるで画面内で行われている労働を実体験したかのような苦しみ方で、私はついその背中をさすってしまった。
さすがに今は拒絶する元気もないのか、ただ吐き気を堪えるように身を折り曲げてじっとしている。私もいつかはその悪夢のような情報を教えてもらい、同じように苦しむのだろうか?
(…いや、私は大丈夫なんだろうな)
カナデの背中をさすりつつ、私は酷薄にそう考えていた。
たしかに今の映像はショッキングだし、カナデの言葉を今度こそ現実として受け入れられたけど…それでも今のカナデのように『自分のことのように苦しめる優しさ』は私にはないだろう。
カナデに対しては変に気遣う私だけど、根っこは冷めた人間なのだと思う。しかもそれが悲しいとも感じられなくて、やっぱり私は。
「…私はね、元はセンチネルの教師をしていた。それでどうしてインフラの子と同じ教育をしてあげないのかって反発したら、それならとインフラの教師に異動させられた」
端末をロックしつつ、サクラさんはあくまでも静かに語り続ける。その顔を見ると笑顔は完全に消えていて、消え去った故郷を見るように悲しげだった。
先ほどの映像はサクラさんの記憶だと聞いたけれど、今もその網膜にはインフラの子たちが焼き付いているんだろうか?
「インフラで教育を担当することになったとき、むしろ望むところだって思っていた…でもね、あそこにいるみんなは散々に消耗した後に授業を受けさせられるから、勉強どころじゃなかったわ。授業中に気を失う子もいて、私に異動を命じた上司から『だから無駄だと言ったんだ』とセンチネルへ戻るように言われたけれど…もう限界だった。カナデちゃんは私を先生って言ってくれるけど、そんな資格ないと思う」
さっきは浮かれてサクラ先生なんて名乗ったけどね、と自嘲気味に笑い、端末はシャットダウンされた。私はその声と表情にどう返事をしていいかわからなくて、ただカナデの背中の温度を感じ取り続ける。
こうしたぬくもりがあるような優しい人間だったなら、この二人や現実に対しても痛ましく向き合えたんだろうか?
「…先生は、『先生』です。本当のことを教えてくれて、私に『抗う』という選択肢を与えてくれた…『本物の先生』です」
「カナデ…」
カナデの背中に触れつつ気の利いた言葉を探していたら、吐き気が収まったと思わしき本人が顔を持ち上げてそう口にする。
その横顔は先ほどまで吐き気にうめいていた少女と同じとは思えないほど凜としていて、私は畏敬と無力感の狭間で名前を呼ぶことしかできなかった。
(…カナデは優しくて強いね。私なんていらないくらいに)
私となら組んでもいい、そう言ってくれたこの少女は強くまっすぐで。そんな子に笑ってほしいなんて、私が笑わせたいだなんて、きっと傲慢だったんだ。
「……もうちょっとだけ、さすってて。アンタの手、案外落ち着くから」
「……うん、ありがとう」
「あら…ふふっ。ヒナちゃん、これからもカナデちゃんのそばにいてあげてね。この子がこんなふうに甘えられるの、きっとあなただけだろうから」
私なんかが…と何の得にもならない自責の念に駆られていたら、それを払拭してくれたのはカナデだった。
触られるのを拒むどころか望んでくれて、私を必要としてくれて。その些細なあなたの優しさは、驚くほど私の心に寄り添ってくれている気がした。
そんな様子にサクラさんはまた意味深に笑って、カナデは「先生、だからそういうんじゃないんです…」とまだ余力を感じられない声で反論していた。
私はどちらにも返事をせず、とりあえず苦笑しておいた。
◇
サクラのコンビニから少し離れた場所には、全国展開をしているカフェのチェーン店があった。それぞれの席にはついたてがあり、お互いの様子がわかりにくくなっている。
(…やはり、あの女狐が目をかけているだけありますわね)
奥まった場所の席に腰掛けるハルカは目を閉じ、『千里眼』を発動してコンビニから出てくるヒナとカナデを監視していた。
そのコンビニがどんな場所なのか、現体制派である彼女はもちろん知っている。
(…あの元教師に手をかけることは許されない。なら、その周辺を潰していくしかありませんわね)
サクラを拘束すること、それ自体はたやすい。一方、あの人畜無害そうに見える元教師は魔法少女学園側に『私に何かあればこの記憶を白日の下にさらす』と脅し、あまつさえ『私も魔法少女を愛する人間として、学園が破壊されることなく変わる日を待ち望んでいる』とのたまい、あくまでも傍観者に徹していた。
ハルカは個人的にもその存在をマークしていたが、まさか今日は別の標的までもヒットするとは思わなかった。
(…魔法少女学園一期生、ヒナ。たぐいまれな素質を持つ、時だけでなく『世界』すら支配しかねない少女)
彼女が改革派の手伝いをしていると知ったとき、ハルカには心強さではなく強い警戒を感じた。そしてその日から監視対象が増えたが、自分の勘は正しかったと再確認する。
(多少強引ですが、やむを得ません…ヒナ、あなたの身柄は我々が)
魔法少女学園を守るものとしての決意を固め、千里眼を解除してまぶたをゆっくり持ち上げた。こうしてはいられない、それはわかっていたものの…視界へ飛び込んできた光景に、ハルカはすぐさま脱力した。
「姉様! このソフトクリーム、乳脂肪分が多くておいしいです! 姉様も一口どうぞ!」
「…口元にクリーム、ついてますわよ。はしたない」
席の向かい側にはマナミが座っていて、普段の周囲すら凍り付かせそうな様子は溶け去り、ただ目の前のソフトクリームに瞳を輝かせていた。
「これは失礼しました…ですが、本当においしくて…姉様も是非!」
「…仕方ありませんわね」
この日の目的は監視…ではなかった。
ハルカは前々からマナミと外出する約束をしており、その際にヒナも出かけていることを知って後を追っていたのだ。一方、マナミにそのことを伝えると外出ではなく任務だと切り替えるだろうから、ハルカは面倒に思いつつも黙っておいた。
つまり今日の彼女は監視とお出かけを両立せねばならず、魔力だけでなく精神まで消耗している。よって監視対象が戻るのであれば自分も帰投し、早々に休んで次の任務に備えたかった。
「…いいですか? この外出は『外を知る』絶好の機会です。ただ浮かれるだけでなくて、今日という一日から学べるものはしっかりと吸収なさい」
「もちろんです姉様! 今日は『姉様と一緒にソフトクリームを食べた日』として、しっかりと書き残しておきます!」
「ほかに書くことがあるでしょうに…本当に、あなたは手がかかりますわね…」
それでもハルカはすぐには帰ろうとせず、このソフトクリームが溶けてなくなるまでは付き合おうと決心する。
今日はマナミにとってはあくまでも『外出』なのだ、自分の個人的な『任務』に付き合わせる必要はない。
ハルカは笑顔でクリームの載ったスプーンを差し出すマナミに呆れながら、自分にとっても貴重な冷たく甘い甘味に顔と心を同時にほころばせた。
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