第3話「戦いの中で」
廃工場の中は当然ながら電気も通っておらず、割れた窓から差し込む夜のか細い光だけが光源だった。それでも私たちの目なら工場内にひしめく影奴の姿を目視できて、そのほとんどは先日私が一人で撃退した低級の敵だったけど。
「…デカブツが一つ。雑魚を蹴散らしてからアイツを仕留めるわ」
「了解。カナデ、言い忘れていたけれど…私、時間が止められるから。魔力消費が激しいからここ一番でしか使えないと思うけど、いざというときは頼りにしてくれていいよ」
「そう」
ひしめく雑魚の向こう側に、これまで見てきた敵とは異質と表現してもいい大物がいた。
それはカナデの言うように大きく、より人型に近いシルエットをしていた。影奴らしくぼんやりとして定まらないような形状ではありながら、腕だけでなく足もきちんと備わっている。
大きさは5メートルくらい、胸のあたりには裂け目があって、その部分だけは影というよりも闇に近い暗さが広がっていた。さらにはそこから黒い霧が漏れ出していて、その霧はゆっくりと一つの形になり、ある程度の大きさになったら低級の敵へと生まれ変わっている。
速度は速くないけれど、あの強敵は雑魚を生み出す能力もあるらしい。だから時間をかけるほど敵は増えていくだろうから、早めにデカブツに到達して仕留めないとじり貧になりそうだった。
だからカナデに返事をした私は、先ほど伝えられなかった大事なことを手短に口にする。その返答は極めて素っ気なく、珍しいはずの私の能力に対してもさほどの関心はなさそうだった。
…返事をしてくれるようになっただけでも、一歩前進した気がする。
「あの、できればカナデの能力についても」
「私のは…これよっ」
論より証拠とでも言うように、カナデは両手にナイフを持って敵に突進する。
その速度は…迅い。速いじゃなくて、迅いとしか言いようがない。
私たち魔法少女は魔力によって身体能力も大きく強化されているけれど、カナデのはその比じゃない。魔力を解放したことでケープは淡く発光しているけれど、その光が軌跡を残しながら敵を蹴散らし始めているように見えるくらい…迅すぎる。
(…多分、身体能力強化の固有魔法かな? もしくは速度強化とか)
魔法少女はただ単に魔力を生み出せるだけでなく、とくに素質が高ければ『固有魔法』と呼ばれる独自の能力を発現させられた。私の場合は時間停止であるように、その能力は外側に出るものが多い。
一方、カナデのような能力強化型は見た目こそ地味だろうけど、その効果は大きいだろう。武器はシンプルで固有魔法も目立たないけれど、それ故に対応できる状況は多そうだ。
武器が特殊で魔法も強力だけど取り回しが難しい私とは対極に位置していて、なるほど、魔法少女学園が考えた組み合わせの的確さに改めて納得した。
…これが最初で最後の共闘かもしれないけど。
「はぁっ!」
低級の影奴は動きもさほど速くないため、カナデには当然ながら追いつけない。接近戦という本来ならハイリスクな戦い方であってもこのスピードなら相手が処理できなくて、カナデはもはやすれ違いざまに相手を切り裂くかまいたちのような存在に見えた。
カナデが光の軌跡を生み出すたび、敵は引き裂かれ霧散していく。対する私は少しでも敵を減らすため、やや前線から離れた位置で砲撃を繰り返していた。もちろん、できるだけカナデから離れている敵を狙う。
「いったん下がるわ!」
カナデの能力強化は持続時間が長そうだけど、それでも永続ではないらしい。どんな魔法であっても『連続して使い続けるほど消耗が激しい』のは同じみたいで、光の軌跡がピタリと止まったかと思ったらすぐさま飛び上がって私のそばに降り立った。
「ずいぶん減らしてくれたね」
「…全滅させられなかったことへの嫌みかしら?」
「なんでそうなるの…それに、ここまで減らしてくれたらあとは私が切り開くよ」
カナデはほんのわずかに荒くなった息を整えながら、今度は投げナイフを取り出して遠距離攻撃を開始する。私としては休んでもらってもよかったけれど、一人で戦い続けていた彼女がそうするはずもない。
だから素直にその活躍を賞賛したのに、切り返してきたのはそんな言葉。私はカナデが悪い子じゃないって思っているけれど、さすがにこの口の悪さは直したほうがいいかな…。
「魔力解放、時間よ止まれ」
そんな不器用な相棒には態度で示すしかないか、そう思って私は固有魔法を発動させる。
影奴だけでなくカナデすら止まった世界ではほかの音も聞こえなくなって、私はランチャーメイスの出力を上げて扇状に敵を照射する。
赤い軌跡が工場内の闇を切り払い、時間停止を解除すると同時に雑魚敵はきれいさっぱりと消えた。
「…へえ、やるじゃない。アンタが敵じゃなくてよかったわ」
「それはどうも…カナデ、固有魔法はまた発動できる? それとも再発動まで地道に遠距離から削っていく?」
「ご心配痛み入るわ。けどね、それには及ばない。残りがデカブツだけなら、もう出し惜しみはいらないもの」
「了解…じゃあ、一気にケリをつけようか」
多分今日初めての賞賛──ただし心から褒めてくれている感じはない──を受け取り、私はランチャーメイスのインジケーターを確認する。そこに表示されたカウントは30、今日はもう一度使うことがあるのだろうか?
もちろんカナデはそんな必要はないとばかりにまた魔法を発動させ、ケープは光と粒子を同時に生み出して強敵へと急接近していく。
そこでようやく悠々と構えていた巨人の影奴は長い腕を振り上げ、カナデに向かって振り下ろす。その動きは…低級の影奴よりも遅く、威力はありそうでも命中率は低そうだ。
もちろん疾風迅雷な今のカナデに命中するわけもなく、巨人が振り下ろした腕は光の軌跡すら捉えることができない。
ただ、それで安心ともいかなかった。
「…! カナデ! こいつ、攻撃と同時に敵を生みだしてる!」
「わかってる! 私はこいつを仕留めるから、アンタは雑魚を!」
振り下ろされた腕は地面に当たり、その先端は粘土のようにちぎれ飛ぶ。するとちぎれ飛んだ塊は低級の影奴になり、親玉を援護するかのようにカナデへ向かおうとした。
もちろん、それはさせない。私はカナデの指示が脳に伝達される前にはその生み出された雑魚を撃ち抜き、彼女が囲まれないように援護する。
それからも巨人は反撃と増援が一体化した攻撃を何度か繰り返し、私はその都度新しい敵を撃つ。カナデは巨人の攻撃が当たらないようにヒットアンドアウェイを繰り返して、その影はじわじわと小さくなっているようにも見えた。
「反応が小さくなっている…これで!」
カナデの言う通り、巨人の魔力反応は徐々に小さくなっていた。それはまもなく消滅すると考えてもよさそうで、私も…ほんのわずかに油断していた。
「…!? カナデ!」
「え?」
小さくなっていく反応の中で、ぞわぞわといやな気配が私の神経を逆なでする。
そしてその直感は的中し、巨人の胸元にある裂け目が怪しく光ったところで…まるでタールのような粘度のある黒い液体が噴き出していた。
噴き出す直前には名前を呼んだことで、カナデは凄まじい反応速度でバックステップをしていたけれど…それでは補いきれないほど大量の液体が、彼女へと降りかかろうとしていた。
「時間よ止まれぇ!」
気づいたら私は時間停止を行っていて、カナデの前へ飛び出して防御魔法を発動させる。この汎用魔法はすべての魔法少女が習うもので、極めて魔力消費が激しいものの大抵の攻撃は防げる優れものだった。
「ぐうっ!!」
けれど時間停止と併用することは消耗が激しいなんてものではなく、攻撃を防ぐための障壁は不完全でしかない。
さらに、私の魔法は『意思や知性があるもの』しか止められなかった。つまり相手が攻撃を放てばそれはそのまま世界に顕現し、回避できなければ受け止めるしかない。本体は止まっているから追撃は防げるけど。
私は少しでも障壁の足しにすべくランチャーメイスを盾に防ごうとしたけれど、穴だらけの防御魔法は完全には守ってくれなかった。
結果、私の腕や足には黒い液体が飛び散り、当たった場所には焼け付くような痛みが走る。そして影奴の本体に触れられたときのように魔力が奪われていくのを感じ、時間停止も早々に解除されてしまった。
「…ヒナ!?」
時が動き出した世界にて、後ろからカナデの声が聞こえる。
そういえば、名前を呼んでもらったのって初めてだっけ…と痛みを忘れるように考えてみたけれど、薄情な痛覚は激痛を訴えていた。
「大丈夫、だから! さっきの攻撃で、またアイツの反応が弱まっている! カナデ!」
「…はぁぁぁ!!」
どうやらあの攻撃は本体の消耗も激しいみたいで、巨人の反応はより小さく、そしてより弱々しくなっていく。
だから私はギリギリのところで強がり、カナデに優先すべきことを伝えようとした。
彼女はやっぱりすべてが伝わる前に飛び出し、かけ声とともに敵へと突っ込んでいく。その軌跡はやっぱり迅すぎて、カナデがどのような攻撃をしたのか、そしてなぜ巨人が真っ二つになっているのか、魔力をほぼ使い切った私は完全には視認できなかった。
「…やったね、カナデ」
それでも勝利したこと、そして少なくとも命に別状はないことを理解できた私の意思は、影奴の気配がなくなった真っ暗な工場の中へと溶けていった。
*
「…ん?」
「やっと起きた…この馬鹿!」
仰向けに寝転がっていた私の視界に、必死さを感じるカナデの表情──これも初めて見る顔だ──が飛び込んでくる。次に反応した触覚では腕を握られていることが伝わってきて、それでも先ほどのような痛みはほとんど消えていた。
そして鼻を効かせてみると、自分がまだ工場…先ほどまでは戦場だった場所にいることを完全に理解する。周囲も暗いままであり、さほどの時間経過は感じられなかった。
「アンタ、私の話聞いてたの!? 下手をすれば死んでいたのかもしれないのよ、自分が生きることを優先しろって言ったじゃない!」
「…ああ、そんな話、したかも」
「したのよ!!」
ぎゅうっ、とカナデの手に力がこもる。それは痛覚すら反応しそうなほどの力加減で、怪我とは異なる痛みが私の意識をさらなる覚醒へと導いていった。
すると、気になることはいくつかある。
「えっと、私、怪我をしたと思うけど…あんまり痛くないんだよね。もしかして、カナデが治療してくれた?」
「ええそうよ! 私の固有魔法、『ブースト』はね! 体のあらゆる能力を強化できるのよ! そのついでに! 自己修復能力も強化して、アンタの怪我を治してやったってわけよ! これで納得した!?」
「は、はい…どうも?」
あのときのダメージはそこそこ大きいもので、そのまま放置されていたら多少面倒なことになっていただろう。かといって魔力を使い切った私は汎用魔法による自己治療も難しく、そもそもこんなスピードで完璧に回復するのは難しい。
つまりカナデの魔法があってこそ私は助かったわけで、それが真っ先に知りたいことだった。
でもカナデとしては『自分の質問に答えず関係のない質問で返された』と映ってしまったのか、半ば逆上のような形で返答された…。
「…で、なんでよ? なんで私なんかを、死ぬかもしれないのに守ろうとしたのよ? 私は、そんなことは望んでいなかった」
「なんで、と言われても…危ないと思ったら、勝手に体が動いていたし…」
幸いなことにあの逆上はカナデをクールダウンさせてくれたのか、再度の質問にはいくばくかの冷静さが戻っている。
だから私も同じくらい冷静に返事をしてみた…けど、あのときは本当に体が先に動いていて、危険性云々よりもただカナデを守ろうとしていた。
(カナデは口も悪いし、一緒に戦うのはこれっきりかもしれない。自分の命を捧げて守るなんて、おかしいこと…だよね。それでも)
そんなのは本人もわかっているし、そもそも望んでいなかったのかもしれない。
だけど体から戦いの余韻が消えていくたびに思考がクリアになって、今も上から見つめるカナデの顔を眺めていたら、ようやくそれらしい答えが見つかった。
本当にそれだけなのか、それで合っているのか、わからないけれど。
「だって、あなたにも家族がいるから。家族に会えなくなるのはつらいことだろうから。だから、守りたかった…それじゃダメ?」
たぐり寄せた言葉は影奴のように不確かで、カナデのような子を納得させられる力はなさそうだ。
だけどカナデは一瞬だけぽかんとして、それでも…その双眸からは、一粒だけ雫がこぼれ落ちた。
「……なによ、それ」
「……なんだろうね。それと、泣かないで」
「泣いてないわよ!!」
こうして、私とカナデの最初で最後の任務は終わった。
いや、『最後の』という部分だけは正しくないだろう。
それを知るのは、もうちょっとだけ先の話──。
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