本の虫令嬢は幼馴染に夢中な婚約者に愛想を尽かす

初瀬 叶

第1話

『本の虫令嬢』

こんな通り名がつく様になったのは、いつの頃からだろうか?……もう随分前の事で忘れた。


今日も本の虫令嬢の私はせっせと街の図書館に向かう。


本の匂いと静寂に包まれたこの空間が何より好きだ。


「いらっしゃい、マーガレット。今日はどんな本をご所望かな?」


「歴史物を。出来れば少し血なまぐさい物が……」


「相変わらず普通のご令嬢が好きそうな恋愛物には興味がないんだね。君のリクエストに答えるなら、あのDと書いてある棚の真ん中ら辺を探してご覧」


私は顔見知りになった彼……サーフィス様に礼を言うと、言われた棚へと足を運ぶ。彼はこの図書館の司書だが、私の求めている本をピタリとマッチングしてくれるので、とても助かっている。



「これと……これ。これも面白そう」

そう言いながら本に手を伸ばすが届きそうにない。私が踏み台をキョロキョロと探していると、


「メグ、お目当てはこれかい?」

と私が手を伸ばしていた本を背の高いデービス様がスッと取ってくれた。彼も此処で知り合った内の一人だ。


学園の図書室の本は粗方読んでしまった。もちろん書店で買うこともあるが『これ以上は家の床が抜ける!』と父から止められているので、最近は我慢をしている。


「ありがとうございます」


「今度は戦闘記かい?ならば、これもオススメだよ」

ともう一冊デービス様は棚から抜き出して、私が持っている三冊の上に重ねて置いた。そして、その四冊をひょいっと奪うと、


「窓際の君のお気に入りの席を取ってあるよ。一緒に行こう」

と私の本を持ったまま、スタスタと歩いて行った。内心(一人のほうが集中出来るのだけど)と思いながらも、彼の好意を無にするのも申し訳なく、私は黙って付いて行った。


本を開く。はじめまして。あなたはどんな物語を私に教えてくれるのかしら?

初めて読む本を開くこの瞬間のワクワクが止められない。

本は私を別の世界へと連れて行ってくれる。この瞬間が私は大好きだ。


「メグ、そろそろ帰った方がいいんじゃないか?」

物語に没頭して時間を忘れていた私にデービス様が声を掛けた。


窓の外は薄っすらと暗くなり始めている。不味い。また怒られてしまう。


私は急いで本を持ち、席を立った。


「デービス様、いつもありがとうございます」

彼は私が遅くならない程度の時間にいつも声をかけてくれる。デービス様がいない時にはサーフィス様から『そろそろ時間だ』と声をかけられる。自分で時間の管理が出来ればいいのだけど、本を読み始めると、他のものに気を配れない。自分の悪いところだ。


「気をつけて帰るんだよ。ああ、その本は僕が棚に戻しておくよ」


「いつもすみません。では失礼します」

私は頭を下げてカウンターへと向かう。読めなかった分を借りる為だ。


サーフィス様にも『気をつけて』と言われ見送られた。


我が家までは歩いても然程距離はないが、急がなければ日が暮れてしまうだろう。流石に母に心配されてしまう。


「お嬢様おかえりなさいませ」

メイドに出迎えられ、私は家に入る。


うち、ロビー伯爵家は中流伯爵家だ。領地を持たず父は王宮の大臣補佐として働いている。弟が一人。いたって普通の伯爵家。


「メグ、今日も図書館?」

奥から出て来た母がまた呆れた様にそう言った。


「はい。遅くなって申し訳ありません」


「まぁ、貴女が本好きなのはわかっているけど、あまり遅くならないようにね。変な噂がたってハウエル侯爵の耳に入ると厄介だから」


「……わかってます。明日からはもう少し早く帰って来ます」

私が少し頭を下げると、母はため息混じりに


「まぁ……フェリックス様は大して気にしないでしょうけど」

と呟いた。私は心の中で(でしょうね)と呟く。


「ま、とにかくそろそろ夕食よ。お父様は今日は遅くなるらしいから、先に食べちゃいましょう。貴女も着替えていらっしゃい」

母は『この話は終わり』とばかりに、ポンと手を叩くと、メイドにネイサンを食堂へ呼ぶように声を掛けた。



私は部屋で借りてきた本を机に置いて、制服を着替える。普段着のワンピースに着替えて食堂へ急いだ。


「お姉様おかえりなさい」


今年十四歳になるネイサンは可愛い私の弟だ。小さな頃は『ねえさま、ねぇさま』と私の後ろをついて来てくれていたのだが、最近はどことなく余所余所しい。思春期……だと思うが少し寂しい。



温かいシチューに眼鏡が曇る。私は眼鏡を外してサラダの乗ったボウルの横へコトンと置いた。


「食事の時ぐらいは眼鏡を外しててもいいんじゃない?」

母の言葉に曖昧に微笑む。


本などの細かい字を読む時に必要なだけで、日常生活には差し障りはない。だけど私はいつも眼鏡をかけていた。

それは……


「まだフェリックス様の目を見るのが怖いの?」

とネイサンが無邪気に尋ねる。その問いにも私は曖昧に微笑んだだけだった。


食事の後、湯浴みを済ませて私は本を取り出した。課題をしなくてはいけない事は重々承知だが、ついつい私の手は本の頁をめくる。


本の中では、自分はどんな人物にでもなれる気がする。時には勇敢な剣士、時には不思議な力を持つ魔法使い、時には狡猾な詐欺師。

凡庸でなんの取り柄もない私が唯一何者かになれる。そんな高揚感から私はますます物語に没頭していくのだった。




「マーガレット様、今度の王家の夏の夜会には参加なさるの?」

私に質問をするアイーダ様はどこか楽しそうにニヤニヤしていた。……既に私の答えを知っているからだと思うのだが、私は期待に応える様にいつも通りの言葉を口にする。


「どうでしょうか……。まだ誘われてはおりませんので……」


「まぁ!またフェリックス様はステファニー様のお相手を?殿下が他国へと留学しているからと、婚約者であるマーガレット様を差し置いて……あんまりですわ!」


『あんまりですわ!』……か。大袈裟に憤ってみせるアイーダ様に私は思わず笑ってしまう。……答えなんて知っていたくせに。



「あら……。こんな状況でも笑顔でいらっしゃるなんて、よほど余裕がおありになるのね」


おっと……アイーダ様の機嫌が急降下だ。ここは上手くフォローしておなかければ、後々面倒な事になる。


「とんでもありません。私の為に怒ってくださるアイーダ様を嬉しく思っただけですわ」


「そ……そう?でも、貴女も一度、フェリックス様とお話合いをなさった方がいいのではない?このままだとフェリックス様はステファニー様の専属護衛となって、貴女……婚約もなかった事にされるんじゃないの?」


最後の方は本当に私を心配しているような口ぶりのアイーダ様は根は悪い人ではないのかもしれない。


「ご心配ありがとう御座います。一度、フェリックス様のお気持ちをきちんと聞いてみたいと思います」


そう私は微笑んでアイーダ様に礼を言うと、また本の方へと視線を戻した。

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