第6話 好きな声優の彼氏になる行動開始!
B&Dアカデミーのディレクターコースでは、主に収録器機の使い方を勉強する。
スタジオに設置されている機材はどう見ても素人が触れるレベルの物ではないが、基本的な設定はすでにされた状態になっている。
録音の方法・音素材の出し方・収録レベルの調整・編集の仕方などを習っていくのだが、その中でも特に力を入れるのが収録レベルの調整と編集だ。
収録レベルの調整とは、簡単に言うとパーソナリティの声量を一定に保つ作業を指す。
当然ながら人間が喋る時、音量は一定ではない。ボソボソ喋ったり、甲高い声で喋ったりもする。喋り方によって音量は大きく変化するので、その変化を機材で調整し、なるべく均一に聞こえる様にするのがこの作業だ。
スタジオには“VR計”と言うパーソナリティが喋った時に針が振れるメーターがあり、その針がちょうど中央当たりに振れる様に、ミキサー卓のフェーダーを使って音量を調整する。
収録中、または生放送の本番中は、このVR計をしっかりチェックしておくのが重要になる。トークの中でパーソナリティが大きい声を出しそうと思ったら、少しフェーダーを下げたり、喋り疲れてきて声が小さくなってきたら、フェーダーを上げてフォローしたりする。
ディレクターはそれに加えて音素材のポン出し(楽曲やSEの挿入)を担当したり、トークバックと言って放送にはのらないが、パーソナリティのつけるイヤモニにだけ指示を出したりと、ブースの外側からワンオペでやる作業が多い。なので、VR計の注視だけでもかなり気を使うのだ。
今日はディレクターコースのメンバーで、一人がミキサー卓を、残りのメンバーはブースの中で喋って、本番さながらの状況で実習する授業だ。
まずはオレがミキサー卓の担当になった。
「いいか。死んでもフェーダーから手を離すなよ」
ディレクターコースの講師である刻土(こくつち)さんは、B&Dアカデミー設立以来、ずっとディレクターコースの講師を担当している。
ナイスミドルのおじさんで、フランクな感じで喋りやすい人だ。自分の制作会社を持っており、様々な番組を担当しているエンジニア兼社長さんなのだが、栄化放送から依頼されて講師も担当している。
「フェーダーから手を離した瞬間、大きい声を出されて音が割れたらそこで終了だからな。生じゃなくてもその部分は使えないんだ。出演者に「すみません。少し前から話して下さい」なんて言えないだろ?」
そう言われて、オレはまののんの番組ディレクターになった妄想をしてみる。
トークに勢いが出てきて、楽しそうに喋っているまののん。オレはその姿に見とれてミキサーのフェーダーから手を放してしまい、つい音割れさせてしまった。
仕方なくトークバックを使ってまののんに指示を出す。
「ごめんなさい! ちょっと音が割れてしまったので一回収録を止めます。同じくだりをもう一回やってもらえますか?」
瞬間、構成作家とプロデューサーからの冷ややかな眼差し。マネージャーからの意味深な咳払い。
そして何より、まののんからの「あ、はい」という気の無い返事。
――――じ、地獄だ。これを地獄と言わずして何を地獄と言おう。
「オレは本番が始まったら、生涯フェーダーから手を離さないぞ……」
たとえ楽曲とSE出しが別の機材で、物理的に手が足りなかったとしても、フェーダーとVR計だけは絶対に守り抜くという強い意志を持った。
「佐久間、VR計の赤ライン越えてるぞ。もうちょっといくと音が割れるから注意しろよ」
やっべ! なんやかんや考えてたら事故寸前だった。
「ぬううう……」
意識していてもこの調整はなかなか難しい。何故ならオレ(ディレクター)はパーソナリティが次に何を話そうとしているか予想しなくてはいけないからだ。
台本の進行。ポン出しの段取り。何か問題が発生したら指示出し。それらを頭で整理しながら、収録レベルを見ていなくてはならない。
正直、脳のリソースを超えている。
「あのー、先生。これをワンオペでやるの無理くないですか?」
「いまは素人が喋っているせいで音のバラツキが大きいだけだ。プロが喋ればもっと安定する。そんなに肩肘張るな。ナレーター経験者とかびっくりするくらい綺麗に喋るぞ。今回はいないが、進行に関しても構成作家がある程度ハンドリングしてくれる。こっちから指示出しが必要になるのはよっぽどの状況だ。出演者と他のスタッフを信頼して、自分の仕事に集中すればいい」
そうは言うものの、慣れるまでは頭がこんがらがりそうだ。
「あと、何度も言うが俺を先生と呼ぶな。講師として技術を教えてはいるが、お前の先生になったつもりはない。いつか商売敵になるんだからな」
刻土さんは先生と呼ばれるのを嫌う。先生は、生徒を導いてあげる必要があるからだ。
このアカデミーは卒業後の受け皿はないし、どこかの就職に対して有利になる訳でもない。アカデミー生は、自分で卒業後の道を考え、在学中にその為に必要なものを集めなければならない。
在学期間は半年間。週に一回の授業で栄化放送に入り、それにイベントでの手伝いを加えると、あっという間に終わってしまう。そのため、とにもかくにもアピールと、人間関係の構築をしなくてはいけない。
全てはまののんの彼氏になるため。
この定められた期間を無駄なく過ごすのがオレの使命だ。
「刻土さん。この前メディアプラスホールのイベント手伝いをしたんですが、ああいうのってどれくらいの頻度であるんですか?」
「スケジュールがつまってれば毎週やったりするし、メディアプラスホール以外でのイベント手伝いもある。特に年末に向かってイベントが多くなっていくから、後半組は前半組にくらべると機会は多いと思うぞ」
後半組というのはオレ達十月スタート組の事である。B&Dアカデミーの授業は半年なので、四月から始まって九月までの前半組、十月から始まって三月までの後半組が存在する。
たまたま応募したタイミングで後半組になったが、これはラッキーだったかもしれない。
「ちなみに刻土さんの会社ってイベントをやったりするんですか?」
「うちの会社はイベント運営しないが、制作を手伝ったりはするな」
イベントや放送などで、技術と制作という言葉が使われる。
技術というのは主に機材を担当する人達だ。カメラやスイッチングなどの映像を担当したり、パブリックアドレス(PA)と呼ばれる音響機器を担当したりする。
そして制作というのは、それ以外の部分を担当する人達だ。たとえば会場の設営だったり、出演者の楽屋の準備とアテンダント、台本の準備、お弁当などのケータリング手配や、タクシーやホテルの手配など、様々な準備をする。アカデミーから依頼がくるイベントスタッフ等はこの制作の括りに入る。
「へぇー面白そうですね! なんか人手が必要だったら声かけてください」
「VR計もまともに見られない奴が生意気な、と言いたいところだが、そういう前向きな姿勢は買う。どこも人手不足なのは事実だしな」
はー、と刻土さんは疲れたようなため息をつく。
「え? B&Dアカデミーの卒業生が半年ごとに出ているのに人手不足なんですか? イベントコンサートディレクターコースってのもあったと思うんですけど」
「アカデミーのイベントを手伝った時に何か気づかなかったか? まぁそのうち分かるさ。そんなのより収録レベルをちゃんと見とけよ」
明らかにマイナスのニュアンスを含んだ言い方だったので、それ以上聞くのをやめる。なんか闇が深そうだ。
それよりも、この後は自分がブースに入って喋る番だ。普段声優さんたちが使っているスタジオを使えるのは嬉しいけど舞い上がってはならない。変な事を喋らない様に注意しなければ。
「なんか面白い話題あったかな……」
お笑いとか身の回りにいる変な人の話とかが鉄板だけど、オレにそんな話題はない。アニメと声優ラジオの話くらいしか思いつかない。
「……普通な話題ってのもいるんだなぁ」
コミュニケーションには、一般的な会話をする為の話題も仕入れておかなきゃいけないらしい。
なんて大変なんだよ。この半年間、本当に時間がないぞ。
もちろんこの後、オレの喋りがボロボロだったのは語るまでもない。
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