第43話

カチコチと電池で動く時計だけが、無機質な音を立てる。

白い月明かりが窓からさして、存外に明るい。少しの光の量に瞳が慣れれば、室内を見渡すことができた。

ベッドの上、布団に包まりながら、珠子は背後から健に抱かれる形で横になっていた。互いの呼吸の音と、それに合わせて健の上下する腹の筋肉を背中に感じ妙な安心感を得る。きっと母に抱かれる狼の子どもも、こんな感じに違いない。

ごそ、と身じろいだかと思うと、健は冷えた珠子の足先に自らの足を絡ませて温めてくれる。

「ごめんね、冷たいでしょ。」

「僕は体温高い方だから、おすそ分けをしているだけだよ。」

珠子は代わりにと、背中から回された健の手に呼気を吐きかけて温め返した。

「ねえ、健ー。」

「何?」

「ずっとこのままならさあ、いいよね。」

「そうだねえ。…ねえ、たまちゃん。」

健の唇を、うなじに感じる。少しのくすぐったさを我慢した。

「僕の死体、見たくない?」

自分の性癖を生きてきた中で唯一、許してくれた健。そんな健の死体。

「…見たい。」

すごく。とても。

きっと彼は死体になっても、魅力的だ。

「僕は死刑になるわけだけど、多分、死体になって帰ってこれないと思うんだよね。よく知らないけど、多分、次に娑婆に出るときはすでに骨になってると思うし。」

「うん…。」

「だからさ、今、ちょっとした実演をしようか。」

「え?」

珠子は上半身だけ起き上がり、振り返って健を見る。

「死んだふりをするだけだよ。どう?」

「…どうやって殺すか、私が決めてもいい?」

「いいよ。」


珠子は健の腹の上に馬乗りになる。

ずっと考えていた。健を殺すなら、その首に手をかけたいと。

「…。」

健の首元に、両手を置く。鍛えようがない柔肌にほんの少し、力を込めた。親指と人差し指の広い間に頸動脈が挟まれて、大きく鼓動を刻む。

殺したふりだ。本当に、健を死なす気はない。だが妙に気分が高揚して、全体重をかけてしまいそうになる。

珠子の呼吸が早く、浅くなった。瞬きを束の間忘れてしまい、目の乾きで自らの瞼の動きを知る。

「…健?」

滴った汗が首筋を伝う気持ちの悪い感覚にふと我に返り、珠子は手の力を緩めた。

「…。」

身動きはおろか、健は一言も発することはない。本当に、死体みたいだ。

珠子は健の頬に触れて、髭の剃り跡でざらりとする口元を撫でる。唇の淵をなぞって、その感触を楽しんだ。耳に触れて、こめかみを辿り、皮膚の薄い瞼を潰さないようにそっと丸く愛でる。

自分の心臓の音が徐々に大きくなっていくのがわかる。無意識に口元から唾液が垂れた。つ、と蜘蛛の糸のように尾を引いて、健の着ている衣服を濡らした。

好き。

どうしようもなく、好きだ。

死体を模す健に対して、ここまでの激情を覚えるとは思わなかった。

ふつふつと沸く熱は下腹に満ちて、胎内に芽吹く。

「…っ、」

珠子は体をくの字に曲げ、耐えるように息を飲んだ。片耳が、健の胸に触れる。

「!」

とくとくとく、と規則正しい拍動が健の心臓を刻んでいた。

「…ー。」

大きく息を吐く。熱が波のように引いていくのがわかる。

「健…、もういいよ。」

「…。」

「健?…寝てる。」

殺されようとしたのに、健はいつの間にか眠っていた。その健やかな寝息を聞いて、珠子はほっと胸をなでおろした。

醜悪な姿を見せずに済んだ。

健の上からそっと退いて、珠子は再び横になる。健の横顔を眺めていた。

それから程なくして、電気がパラパラと音を立て点灯する。解消された停電に、物足りなく思ったのは初めてだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る