第18話
「よいしょっと、」
夕方になり個展の看板を下げて、珠子は喫茶店の主に声をかける。
「店長。今年はありがとうございました。来年もよろしくお願いします。」
「ああ、もうそんな時間ですか。」
新聞を読んでいた店長が顔を上げて、眼鏡をかけ直す。
「こちらこそ、来年もよろしくお願いしますね。」
「はい。」
頭を下げて、店を出た。少し通り道をして、商店街に寄って買い物をしていこうと思う。
ドラッグストアで化粧水を買い、個人商店で食材を求めた。これで夕食の準備は困らない。
「あ、そうだ。」
ふと思い立ち、100円均一のショップに入った。健の日用品が必要だと思ったからだ。
歯ブラシやコップ、お茶碗などを買いそろえて店を出る。彼の好みでないとしても、とりあえず必要そうな物は買えた。
帰路につく間、何度も荷物を抱え直す。エコバッグいっぱいの荷物は、歩いているだにバランスが悪い。分散できれば良かったけれど、あいにくエコバッグは一つしか無かった。健の日用品に足して、バッグを買っておけば良かったと思う。
ようやく見えてきたアパートにほっとして、珠子はもう一踏ん張りと足に力を入れた、
「ただいまー。」
鍵を開けずに玄関の中に入れるのは楽でいいなと思いながら、珠子は室内にいるはずの健に声をかけた。
「?」
返事がない。
「健ー?帰ったよー…、」
荷物を置き、マフラーを外しながら部屋を見渡す。畳の部屋に続くふすまが開いていた。
「…。」
そっと伺うように中を見ると、健が丸まるように寝ていた。微動だにせず、耳を澄ませば穏やかな寝息を聞こえてきた。肩の浮き沈みに、その呼吸の深さを知る。どうやら眠っているらしい。
「…健…。」
彼を起こす気が無い声量で、健の名前を呼んでみる。
「…たまちゃん。」
小さな声だった。起こしたのかと思った。息を呑んで様子を見るも、彼は眠り続けていた。
「寝言か…。」
くす、と声が漏れ、自分の口角が上がるのがわかる。このまま寝かせてあげたいが、健が作ったスペースに彼自身の体は些か窮屈そうだった。
「健ー?健、風邪を引くよ。」
健の肩に触れて、揺らしてみる。その刺激に、健は寝ぼけたような声を出しながら、重そうに瞼を持ち上げた。
「おはよ。ただいま。」
「たまちゃん…、おかえり。」
目元を手でこすりながら、健はむくりと起き上がる。
「今、何時?」
「6時過ぎ。」
時計を指差しながら、時刻を教える。
「そっか…。随分、寝てた気がする。」
健はあくびを隠さずに大きく口を開ける。犬歯が覗いて、白く光った。
「もー。いつ寝たのさ。」
「忘れた。」
「まあ良いけど。ほら、しゃんとする!ここ、片付けよ?」
珠子はセーターを腕まくりして、健には完璧な覚醒を促した。健は首を傾げている。
「このままでいいよ。」
「ダメだよ。せめて足を伸ばせるぐらいは、スペースを作らなきゃ。後でつらいの、健なんだからね。」
「そうか。」
「そうだよ。」
そう言うと、珠子はスケッチブックをまとめに掛かった。
二人で畳の部屋の掃除をする。客用のものだという布団を押し入れから引っ張り出してきた珠子により、健の即席の寝室が完成された。
「あと、これ。買ってきてみた。」
エコバッグに詰められた日用品を、健に手渡す。
「ありがとう。お金払うね。」
「いいよ。100円均一の物だし。」
遠慮する珠子に、健は首を横に振った。
「学生さんにお金を出して貰う訳にはいかないよ。良い機会だから、ちゃんと金銭面のことを決めよう。」
「真面目だなー、健は。」
「それだけが取り柄の元社畜だからね。」
「わかったよ。とりあえず、夕食を作ってからにしようよ。私、お腹空いた。」
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