第8話 特大夜食とあったかベッド
専属メイドが自室のベッドに座っている。
静まり返る部屋で自分のペンが机上に置かれ開かれたノートの上を小刻みに走る音と
後方から本をめくる音のみが異様に響いて聞こえた。
おそらく、先日貸した参考書でも開いているのだろうか。
同じ屋根の下なのに随分久しい感覚。
静かなのは新鮮だが。
この期末テストが終われば、念願の夏休みだ。
中学最後の夏。最後の部活。
そりゃ、高校にも部活があるし、もちろん入る。
でも、メンバーは変わる。顔ぶれが変わる。
財閥の御曹司としての重圧?
特に感じてはいない。というか、圧を掛けられた記憶がない。
不思議なくらいに。
ただ、この家に恥じない者になりたいとは常々思っている。
お腹がすいた。
満腹になると眠くなる。
だから、このテスト期間中はあまり食事を取らないようにしている。
目の前の設問に集中すれば、空腹などいつの間にか気にならなくなる。忘れていく。
しかし、今日はそうはいかない。
ノートに教科書、参考書、筆記用具。
机上に見えるいつもの光景に混じり、その理由が視界に入る。
「美味そう」
その言葉が脳を支配する。
「たまには良いか」
その一つを手に取り眺める。
「どうやればこんな形になるんだ?」
間違いなく、おにぎりではある。
だが、その見た目は馴染みあるものとは随分とかけ離れていた。
余計なことは考えず、食欲に任せて一口かじる。
「美味しい?」
突然後方から声をかけられる。
お茶を飲んでいたら危なかった。
むせ返りそうなところを寸でのところで耐え、その声の方向へ顔を向ける。
菜月がいつもの笑顔・・・いや、少し不安そうな笑顔で近ついてくる。
「美味いよ。ありがと。」
菜月の問いかけに対してそう返事をすると、どこか安心したように
いつもの笑顔に戻った。
「よかった。なかなか食べてくれないからちょっと不安になっちゃった。塩加減とか大丈夫?」
「ちょうど良いよ。」
本当は全く塩味なんかしてない。でも、言われるまで気づかないくらいには夢中で食べていた。
「何か、お腹空いてきちゃった。1個もらうね!」
菜月は残っていた2つのおにぎりの中くらいの方を手に取り食べ始める。
「しつ・・・じゃなくて、陽太さまには一番大きいのを残しときますね!」
無邪気な笑顔で菜月なおにぎりにかぶりついた。
「・・・これ、味薄くないですか?」
菜月が疑いの色を浮かべた瞳でこちらを見る。
「そうか?俺はちょうど良かったけど。」
「ふーん」
菜月はどこか納得してなさそうな表情をしていたが、すぐに何事もなかったように
おにぎりを平らげ、再びベッドに腰掛け、参考書を開いていた。
皿の上に鎮座する、特大サイズのおにぎりと目を合わせる。
朝食に出てこようものなら晩御飯まで空腹になることはないだろう。
それが、冗談ではないほどの存在感を確かに放っていた。
ポケットサイズの英単語帳くらいはある重量級のおにぎりを
半ば勢いに任せて食べ進める。
隙間なく固められた白米の塊を何とか食べ終え、水筒のお茶で一気に流し込む。
一息つき、菜月の方へ視線を向ける。
「菜月、ごちそうさ…」
視界にはベッドに横になり、スヤスヤと寝息を立てる同級生メイドの姿があった。
明るいけど真面目で、無邪気だけどしっかりしてて、自分よりもどこか大人びている。
何となくそんな気がする。
幼いころから一緒にいて、幼いころから菜月はメイドで俺は御曹司。
(俺は、菜月に見合う主人…いや、御曹司になれているのだろうか?)
菜月の元へ行き、すぐ隣に腰を下ろす。
そこにはただの無垢な少女の寝顔だけがあった。
(俺の寝顔もこんなに子どもっぽいのだろうか?)
ここのところほぼ毎日菜月に起こされている。
明日からはなるべく自分で起きることにしよう。
そんなことを考えている内に過度なまでに主張していた満腹感も落ち着きを見せていた。
(そろそろ、勉強に戻るか。)
ベッドから立ち上がろうとしたその瞬間、何かに引っ張られるような感覚を覚えた。
「しつじ…ちゃんと寝ないと…」
菜月の声が聞こえる。どうやら寝言のようだ。
夢の中でまで俺はこき使われているようだ。
その手元を見ると、俺の服をしっかりと掴んでいた。
時刻は午前1時を迎えようとしている。
(夜…いつもなら俺が菜月の執事だからな。)
「かしこまりました。お嬢さま。」
ベッドに横になる。必然的に菜月と向かい合う形になる。
服をつかんでいた菜月の手をそっと剥がす。
その時に僅かにメイド服に触れる。
(思ったよりつるつるしてて涼しそうな素材だな。夏用・冬用があるのだろうか?)
それは、機会があれば聞いてみることにしよう。
何となく菜月の手を握る。
(あったかい…何というか、安心する)
小さくて、柔らかくて、あったかくて、少し荒れてる菜月の手。
まさに働いている人の手であった。頑張っている人の手であった。
こんど、ハンドクリームをプレゼントしよう。
手のマッサージもしよう。
「俺は菜月の執事なんだから。」
~厨房にて~
「手間を取らせて申し訳ございません。料理長。それに片付けまで手伝っていただいて。」
「良いってことよ!メイド長。にしても、何で急に夜食だったんだ?」
「奥さま曰く、陽太さまはここのところ食事を控えておられるとのことでした。料理長も気づいておりましたでしょ?」
「まぁな、でもよ、テスト期間なんだろ?何というか、緊張で食えなくなることもあるだろ?」
「確かにそうですが、ここのところ明らかにご無理をされていたので。」
「ほーん。だとしても、菜月ちゃんが作ったやつ、1個明らかにデカいやつがあっただろう?俺は、夜食の相場は知らねぇが、あれがデカすぎることは分かるぞ。」
「料理長、言ったでしょう?
「・・・?」
「当たり前ですが、お腹がいっぱいになると眠くなります。そうでしょ?」
「・・・?」
「お坊ちゃまはお夜食で満腹になるわけです。どうせ菜月さんも1つ摘まみ食いしてるでしょうから今頃、二人ともぐっすりだと思いますよ。」
「ガハハハッ!やっぱメイド長には敵わねぇな!幸い、明日は休日だ。二人とも起きてこないんじゃねぇか?」
「菜月さんにはお休みを与えるつもりです。どんな背景であれ、時間外労働には変わりありませんから。」
「お!粋だねぇ、メイド長!そりゃ、菜月ちゃんも安心だ。そうだ!人手が欲しけりゃ厨房のやつらを貸そう。」
「それは助かります。・・・あ。」
「ん?どうかしたか?」
「菜月さんに、お休みのことを伝え忘れていました。」
陽太の部屋で二人はぐっすりと眠っている。
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