第22話: マチルダの過去
人間と魔獣が共存する村、「ステレ村」。
しかし、この村に来てからただ一人、マチルダの様子が明らかにおかしい。
彼女は夕食の席でも、ハウロンの方を見るどころか、視線を地面に落としたまま硬直していた。
話しかけても上の空で、ぎこちなく短い返事を繰り返すだけだ。
その振る舞いに気づいたローハンが怪訝そうに眉をひそめる。
「どうしたんだ、マチルダ?何かあったのか?」
「……別に、何も。」
低い声で答えるマチルダは、明らかに何かを隠している様子だった。
「おい、マチルダ、もう俺達に隠し事はよせって.....。」
アストリアが詰め寄るが、彼女は「少し一人にして欲しい」と部屋に入っていった。
そんな中、村の住人の一人がぽつりと呟いた。
「彼女はノルヴィア王国から来たのかい?あの地の生まれなら……ああ、そうだ。昔聞いたことがあるよ。あの国の近隣の街ではかつて、ミノタウロス族による大虐殺があったってな。確か、生き残ったのは唯一人、まだ幼い少女だったと聞いているけれど……。」
その言葉に、場の空気が凍りついた。一瞬の沈黙の後、セラフィスが控えめな声で呟く。
『それがもし……マチルダだったら...!』
一同は沈黙する。
その場にいた誰もが言葉を失う中、ハウロンは落ち着いた声で話した。
「私は彼女を傷つけた者ではない。だが、私達ミノタウロス族があの娘の心に与えた苦しみを思えば、彼女が私を憎むのも無理はない。私は彼女にどうしても償いがしたい。どうしたらいいだろう?」
アストリアは彼女のいる部屋に向かい、静かにドアをノックする。
「・・・マチルダ、入ってもいいか?」
返事はない。
彼がそっとドアを開けると、マチルダは部屋の隅に縮こまり、小さく肩を震わせていた。
「マ、マチルダ....?」
床はぐっしょりと濡れている。
両手で顔を覆い隠し、指の間から大粒の涙が滴り落ちていた。
「パパ...ママ...」
それは、彼女の普段の強気な態度からは想像もつかないほど、儚げで、今にも消えてしまいそうな少女の声であった。
アストリアは言葉を失った。
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数年前、マチルダが、まだいたいけな少女であった頃──。
街は平和そのものだった。
しかし、突然、平和は壊された。
ミノタウロス族の襲来だ。
彼らは快楽でのみ殺戮を繰り返していた。
若き日の両親とともに過ごした仲睦まじい平和な日常。
だが、その平和な時も無惨にも一瞬で無くなる。
「マチルダ、逃げなさい!」
突然、外から激しい足音が聞こえ、次の瞬間、数体の巨大なミノタウロスが家に踏み込んできた。
マチルダは身動きが取れず、目の前で両親が無惨に命を奪われるのを見ていた。
「お願い、助けて……!」
その声を上げても、マチルダの身体は動かず、ただ泣き叫ぶしかなかった。
ミノタウロスのうちの一体がマチルダのもとへ迫ってくる。
不気味な笑い声を上げながら。
その瞬間──。
マチルダは手近にあった弓矢を反射的に掴む。
「うわああああああああああああ!!!!」
彼女は死に物狂いで矢を放つ。
その矢は、鮮やかな業火に包まれていた。
「グォォォォォ!!!!!」
目の前の敵は鈍い声を上げながら後ろに崩れ落ちていく。
マチルダの能力が覚醒した瞬間だった。
ノルヴイア軍の尖兵が駆けつけ彼女を救出したのは、それからすぐ後のことだった...。
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アストリアは静かに部屋を出た。
自分は親や周りから愛されて育ってきた。
彼女とはまるで境遇が違う。
自分には彼女の苦しみを理解する資格があるのかすら分からなかった。
夜が深まり、焚き火の炎が小さく揺れる中、アストリアは一人肩を落として俯いた。
心の中で何かが重くのしかかる。
「俺……結局、何も出来ないじゃないか……」
独り言のように言う彼に、心の中のセラフィスがそっと囁く。
『アストリア、苦悩するのは分かる。でも、ハウロンの言うことも分かるだろう?人間と魔獣が共存できる未来は理想的だ。だけど、現実はそんなに甘くない。』
セラフィスの声は静かだったが、どこか冷静すぎる響きがあった。
『どういうことだよ、セラフィス?』
アストリアが問いかけると、セラフィスは迷いなく答えた。
『どんなに美しい言葉を並べたって、人間と魔獣の間にある溝は深い。お互いに憎しみや恐怖を抱えた過去がある限り、その溝は簡単には埋まらないんだ。』
アストリアは歯を食いしばった。
セラフィスの言葉は事実だと理解出来たが、それを認めるのが悔しかった。
『それじゃあ、俺達は何のために戦ってるんだよ?ただ争いを続けるために旅してるっていうのか?』
その問いに、セラフィスは少しだけ間を置いて答えた。
『争いを完全に終わらせるのは難しい。けど、僕達の旅が誰かに希望を与えることは出来るかもしれない。すぐに結果が出なくても、未来を信じて動き続ける。それが今の僕達に出来ることなんじゃないかな。』
セラフィスの声は穏やかで、それ以上の追及を許さないようなものだった。
アストリアは拳を握りしめたまま、焚き火の中で燃え続ける炎を見つめていた。
悔しさと苛立ち、そしてほんの少しの希望が、胸の中で入り混じっていた....。
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