第53話 「大切な人だよ」

 夢を見た。

 かつて届くと思っていたものがいつの間にか届かなくなってしまって、取れなくて良いんだと強がっているうちにひょいと誰かにそれを取られてしまう、そんな夢。辺りは禍々しい色に包まれていて、なんとも居心地が悪かった。




 目が覚めると見慣れない天井が広がっていた、そういえば修学旅行に来ていたのだった。額には脂汗が滲んでいる。

 悪夢、確かにあれは悪夢だった。

 左で汗を拭う。

 どうしたら良いんだろうか。

 今さら何を求めたら良いんだろうか。

 なにかやったとて自体が好転するとは到底思えないし、もう一度振られている。


 今日、今日しかない。でも良いのだろうか。

 いや、良い訳がない。


 でも、僕は…………


 「――――わッ!?」


 上の方から聞いたことのある声がした。


「……足だ」




 

 朝霧渚わたしの中に渦巻く感情は、一体何なんだろうか。


 窓から差し込む陽光を横目に、体を起こす。

 あらら、髪がボサボサになってら。こりゃ洗面所で早めにと解かさないと迷惑かけるな。


 目をこすり、ぐしぐしとボサボサの髪を触ると隣で寝ている明さんへと目を落とした。

 悪夢を見ているのか眉間にシワを寄せたまま、目を閉じている。


 昨日の夜、明さんは私に同情してくれていたのだろうか。

 誰にも打ち明けることのできない思いを何も言わずにただ聞いてくれた。痛みがわかるからなのだろうか。




 私は確かに、あの時春馬を……



 ただ春馬は断って、私は確かにはずなんだ。

 でもなんでだろう。こんなにも気持ちが晴れやかに。


 雲が遮ったのか窓から入ってきている光が少し暗くなる。


「んー……んぁ〜」


 欠伸をする。


 この気持ちは晴れやかであっているのだろうか。なにか大切なものがなくなってしまったということではないのか。

 喪失感なのか、はたまた満足なのか。


 春馬の部屋にあった漫画みたいだ。今まで知らなかった感覚、振られるってこういうことなんだなぁ……


 だいぶ特殊ではあったけれど、いや特殊だったからこそ私の傷はそこまで深くない。

 今も尚うなされている隣に比べれば、こんな痛みは些事だろう。


 幼馴染という関係性のまま進んできて、変わったと思えばすぐにその関係ごと捨てさせられたのだから。

 比べ物にならない。


 ただ、それを踏まえても。


 私もちゃんと引きずってはいるらしい。少しうれしくもある。

 私は好きだったんだと実感できるからね。


 好きだと言うのにそれを認め一歩踏み出すことができず、弱いまま進んできた。

 それどころか開き直り、まるで自分が悪くないように考えて。


 そんな自分がちゃんと人を愛することができていたんだから、そりゃ嬉しい。 


「重いんだなぁ時間って」


 洗面所に映る爆発した髪にため息をつく。

 持参してきている櫛で毛先から整えながら梳かす。


 こういうときだけは無心でいられるから意外と楽しいんだよね。


「ふああ〜……おはようございます……」

「おはよー」


 ぱっと入口の方を見ると明さんが立っている。

 髪が短いからなのかもともとなのか、はたまた寝相が良いのか、そこにはサラサラの髪の女性がいた。

 サラサラ明さんは歩みを寄せて私の隣に立つ。


 あ、目があった。


「髪、綺麗だね」

「?そうなんですか?」

「私の髪を見てみなよー、もうぼっさぼさ!」


 跳ねた髪を持ち上げると、見せつける。


「なーんか野生動物の毛みたいでさ……」

「ははは、なんですかそれ」

「実際そんなふうなんだもん!」


「じゃあ、丁寧にブラッシングしないとですね」

「そーだねぇー……」


 キラキラとした光が私の目に映る。


 やっぱり可愛いんだよねぇ、明さん。

 前々から思ってはいたけれどなんでこうも抱きしめたくなるのだろう。


「ちょっと!ど、どうしたんですか?」

「いや、なんか抱きしめたくなって……」


 このままキスでもしようかという距離まであと僅か……まぁしないんだけどね。


「百合!百合だ!」

「ん?」


 洗面所の入口、一際小さな人影が私たちを覗いていた。

 この部屋の宿泊者の一人である、茜ちゃんだ。


 クラス内屈指の曲者……と思われがちだけど普通の女の子。

 ただ百合好き。なんと言おうと百合好き。


 そこだけは曲者かもしれない……



 頭の中で紹介文を済ませると、私はまた茜ちゃんに向き直る。


「違う違う、もっと深い関係だよ?」

「渚さん?」

「ふかい、かんけい……?」


 何その初めて日本語に触れた人みたいな反応は。


「渚さん?」

「実はね、明さんは私の……」




「ちょっと?溜めないでください?」

「渚さん?渚さん!?」

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