第40話 変な人
「んー……」
僕は悩んでいた。
誰が見てもあからさまに悩んでいた。
いわゆるアピールである。こうすれば誰かが話しかけてくれるかもしれない。
そんな淡い期待を寄せての行為だ。
無論、誰も話しかけてくれない。
改めて考えるとそりゃそうだろう。
誰だって面倒事に巻き込まれたくないんだから。
例えばそれが自分が古くから知っている友人で気を許しているなどの前提条件があるならいざ知らず。
ただの友達、であれば話しかけないのがあたりまえである。
コホン。
僕は悩んでいるのだ。
どうやって渚に告白のことについて話すのか、について。
あのときはあの場のノリと勢いだけで返事をしてしまったが、どうやって伝えれば良いのかわからない。
伝えるために条件が二つあるのだ。
その一、渚が一人ときしかできない。
これは単純明快、僕が他の人にそういう話を聞かれたくないのだ。
恥ずかしいだけだし。
その二、そもそも渚と出会う機会がないということ。
奈良県という広大な範囲の中でただ一人の人間を見つけるというのは中々に難しい。
砂場の中からアリを探すようなものだ。
この二つをまずクリアしないと、話にならない。
いくらそれ以外が完璧だったとしても結局はこの壁にぶち当たる。
どうしようもないのだ。
僕一人ではどうにもならないものなのだ。
いや、その一に関しては僕一人でどうにかなるけども、絶対に譲りたくない。
「……あれ、どうにかならないかな?」
「無理だよ。春馬までの道のりが遠いし春馬に切り抜けて貰わないと……」
ヒソヒソとそんな声が聞こえた。
今更ながら、自販機の前で何やってんだ僕。
奈良公園から春日大社に向かう道中。なんとなくのどが渇いた僕は緑茶を買ったのである。
しかしその自販機がなんとも珍しいもので、鹿せんべいが売っていたのだ。
だからそれのついでと言わんばかりにせんべいを買った。
道中で鹿にでも上げようと思ったのだ。
しかし、これが間違いだった。
まさか鹿がこんなに来るとは。
「はは……はは……」
溢れんばかりの鹿が我が物顔で道を闊歩し僕の元へと来る。
見えるだけでざっと30匹くらいはいそうだ。
そんな中に立派な角をもったオスが半数以上。
僕の中にちょっとした恐怖が刻み込まれる。
手元にある鹿せんべいの枚数はそこまであるわけじゃない。
二枚だ。二枚しか無い。それでこの数、どうしろと。
やめて!お辞儀しないで!
それ確か「せんべいくれ!」っていう催促だろ!?
そんな事言われてもそんな枚数あるわけじゃないんだって!
どうすりゃ良いんだよ……
最初は砕いて何回か逃げれるチャンスを作ることができたが。
すぐさまその逃げ道を別の鹿が塞いだ。
そして気がついたら奈良公園中の鹿に囲まれていた。
もう、おわかりだろう。僕は渚のことを考えることで現実逃避を始めたのだ。
いっそのことフリスビーみたいに投げてみるか?いや、人に当たったら危なすぎる。
八方塞がりがすぎる。
「はは……」
なんだか泣けてくる。
別に僕は動物が得意な訳では無い。
なんなら苦手な部類だ。
どこを見ているかわからない黒い目、何をするかわからない野生の本能、狂犬病などの病気。
動物というのは必ずしもそういうものばかりではないというのはわかっている。
ただ怖いのだ。
小さい頃犬に噛みつかれてから全部怖いのだ。
そ、そうだ。気楽、気楽に考え……
何をだ?何を気楽に……?
ああ、駄目だ。
僕はここで死ぬんだ……
じわじわと僕の体を圧縮していく鹿。力が強い。
怖い。
その時だった。
「またせたな!」
後ろの方からなにやら聞き覚えのある声が聞こえたのだ。
そう渚、渚にそっくりな声……
ほぼ半泣きのまま声のした方を見る。
そこには制服に鹿の面、大量のせんべいを持った、渚がたっていた。
僕の頭はフリーズした。
今の状況と渚の状況、鹿の行動、すべての情報を並列に処理しようとして処理落ちしたのだ。
なぜ、鹿の仮面を?そしてなぜそんな大量のせんべいを?鹿はなんで渚の方にいかない?
もしかして渚、鹿に変なやつだと思われてない?
「キュイ!キュイ!」
鹿は高い声で鳴いている。
鹿の鳴き声ってこんな感じなんだ。
「そこのぼっちゃん!私が来たからにはもーう大丈夫!ぜーんぶ丸く収めてみせるよ!」
渚はそう言うとウインクする。
多分、鹿に夢中で僕の顔見てないな。これは。
それに、別に身長が高い訳では無いが、ぼっちゃんと呼ばれるのは少々納得がいかない。
「キュイ!キュイ!」
奈良公園の鹿は基本的に温厚だと聞いている。
なんでこんな殺気立ってるの。
「ふっふっふ……喰らえ!鹿せんべいの舞!」
はしゃいでるなぁ。渚。
バラバラと持っていた大量のせんべいを砕きつつばらまく渚。
本人的には舞踊のような華やかなイメージなのだろうが、どちらかというとおからの雨、という方が正しいように感じる。
……ついでに僕もせんべい播いとこ。
「放心状態だね、春馬」
「ちょっ!うわっ!」
僕の右肩に明がいた。
いつものようにメガネを掛けて、寡黙な少女のような装いだ。
ただし、少し寒いのか頬が赤い。
こいつ、顔が良いからいちいちびっくりするんだよ。
「あっはは!驚きすぎー!」
「そりゃ驚くよ!何?明……さん!」
「いや、突然渚がせんべい買って走り出したから着いてきたってだけだよ」
「すごいんだよ?渚さん。『春馬が泣いてる!』って言いだしてね……」
昔から渚の人の機微を敏感に感じ取る力はすごかったと思う。
何をしてほしいか何をやられたら喜ぶのか、すぐに感じ取って行動に移せるそんな子供だった。
だから毎日助けられていた。
感情を伝えるのが苦手な僕にとって渚というのが一種の会話の手段として確立されてしまうほどに。
僕は依存していた。
「――――うん、知ってる」
明がその顔を見て何かを感じ取ったのか、神妙な面持ちで向き合う。
「……鳴海さんへの思い、揺れた?」
「――――ううん、微塵も」
確かに依存していたんだ。
多分ほんの数か月前まで。
渚がいなくなってしまった未来を想像することができなかったのに。
今は、鳴海さんが隣に居るような未来が見えた。
もちろんずっと一緒に入れるなんて思っていない。
でも、今の僕には鳴海さんがいた。
渚という依存から抜け出せるほどに、鳴海さんという存在は大きくなっていた。
一度、大きく目を開き、そして、なんともないような笑顔を見せた。
一瞬だけ明が後ろに手を回したのが見える。
その時の表情が少し、曇ったように感じた。
「……なら、良かった。」
なんとも拍子抜け、したのか渚の方へ向くと大きく息を吸う。
「渚!もう行くよ!」
餌を求めた鹿に生き埋めにされた渚のグッドサインだけがニョキッと生えた。
そして徐々に沈んで……ター◯ネーターだな、これ。
「春馬、大丈夫?怪我、してない?」
「大丈夫か!春馬くん!」
岡西が担任を連れて戻ってきたタイミングで渚の餌が尽きたのか、渚の元を鹿が離れていく。
担任は一度僕を見て、奥の方の鹿の大群を見るとなにかを見つけた。
そしてゆっくりと僕達を見て、もう一度そっちの方を見た。
「あれ……朝霧さん!?」
そこにはクタクタになった渚がいた。
真っ白に燃え尽き……いや、やめとこう。
とにかく仕事に疲れたサラリーマンのような雰囲気を醸し出しながら直立不動だったのである。
先生からしたらそれはあまりにも奇っ怪ななにかに見えただろう。
「なんで!?春馬くんが鹿に襲われてたんじゃ!?」
「それを渚が助けたんですよ、先生」
「そうなの!?春馬くん!?」
「ええ……はい。助けてもらいました」
アワアワとカバンから絆創膏やらなんやらを取り出し始める先生。襲われているのが女子だから、なのだろう。顔が見るからに青白い。
「……大丈夫ですよ。渚……さん、なら」
「よく見てください、渚は……渚さんはもうこっちにいますよ」
先程の場所からまるでワープしたかのように僕達の隣に渚はいた。
「楽しかったね〜」
「し、心臓に悪い……」
へたり込む先生と対照的に渚はもう元気そうに走り回っている。
これがあれか、親の心子知らず的な……
「親の心子知らず……」
「あ、そ、そうだね」
明、やっぱりそうだよな。そう思うよな。
だってさっき鹿に埋もれて心配していた渚が今はもうあんな遠くに……
「あ!先生、すいません。渚さん行っちゃったんで私達元の班に戻りますね!」
「ああ……わかりました……ど、どうか!」
「怪我だけはしないでね!?」
なんだか圧がすごかった。
もし怪我したらそのまま天国へ葬るのではないかという勢いだ。
明は少しぎょっとしたような顔をして、走り出す。渚はもうはるか遠くだ。
「大丈夫ですよ!怪我なんてしないんで!」
「そう言ってる人が転ぶんですよ!?本当に気をつけてねぇ!!」
笑顔で見送る先生。その背中は若干疲れているように感じた。
いくら高校生といえどまだ子供だ。小中学生と比べて幾分かは楽だろうがやはり付き添いというのは疲れるのだろう。
「っで、それとこれとは別ですが。春馬くん」
「え?あ、はい。なんですか?」
「修学旅行、楽しめてますか?」
クルリと僕の方を向いたショートヘアの先生の表情はやけに穏やかだった。
まるで子供に話しかけるように、丁寧に、宝石を扱うように、言葉を選んだのがわかる。
ああ、心配してくれているのか。
一年の頃、誰ともかかわらなかった僕に対して、楽しんでほしいと、そう思ってくれているのか。
心配してくれる人がいるというのは、自分に好意を向けてくれる人がいるということは、なんとも嬉しいものだ。
先生の穏やかな瞳の中に僕が映った。
ゆらゆらと揺らめいていてその瞳に吸い込まれそうだ。
答えは
「はい。楽しいです」
正直に、思ったことを述べた。
ただそれがなんだか、すごく心地が良かった。
一歩、先生が近づいた。
穏やかな表情のまま。
「なら、良かったです。まだまだ修学旅行は初日、楽しんでいってくださいね」
そう言うと、ゆっくりと僕達の元を去っていく。
テストのときは、中々頼りにならない、先生だと思っていたが……
こういうところは大人なんだなと、改めてそう感じた。
※
「なーんか、よくわかんねぇな。神社とか寺って」
「修学旅行で絶対言ってはいけない一言だよそれ」
「えー、なんでよ!いいじゃん!」
「その神社とか寺がいっぱいあるとこに来てるんだよ?今」
ブツブツと文句をたれながら後ろをついてくる佐田。
たった今、春日大社を見てきたばかりなのだがどうやら佐田にはあまり響かなかったらしい。
まぁ、普通の高校生がお寺大好きですっていうのも中々変な話だ。当たり前だろう。
佐田は自分のどうしようもない思いをどうにかしたかったのか、地面の砂利を軽く蹴った。
「やめろ!鹿が逃げるだろ?」
「……それは、ごめん」
しょんぼり佐田。
――――なんとも変だ。
何度も、何度も考えた。
なぜこいつはあんなことをしたのか。そしてなんで今更謝ってきたのか。
答えが見つからない。
人には行動に意味がある生き物だ。
感情に左右されたときには違うだろうが、基本的にその行動に意味を付ける生き物のはずなんだ。
つまり、佐田のこの行動自体も意味があるはずだ。
わからない、本当にわからない。
「次の目的地も近いからなにかまた巻き込まれなければすぐ着くよ」
そんないきなりフラグを立てるな。
それどう考えても巻き込まれるやつだから。
ただまぁ、なんとかなるだろう。こいつらと一緒なら。
「そうですk――――そうなんだ」
「……敬語抜くの難しい?」
「まぁそうです――そうだね、今までそれでしか会話してこなかったからさ」
「それもそっか、ゆっくりでいいからね?」
「うん、ありがと」
精一杯の笑顔を見せてみる。
岡西はそれを見て微笑みを返す。
「――――そういえば次って……」
佐田がそう呟いた瞬間、岡西の首がグリンとそっちへ向いた。
なんか、ホラー映画のワンシーンみたいな。
いや、別にいいんだけどね。
なんで僕の周りって変な人しかいないんだろうね。
「さとー?」
圧がすごい。眼力もすごい。
何なら言葉の端から殺意も見える。
ほら、鹿が引いてるよ。
「……どこ……」
「さとー??」
怖いって。
その圧迫感だけで人死ぬよ。
足を止めた岡西はジリジリと後ずさりをする佐田を追い詰めていく。
「……あ、あ!こ、興福寺!興福寺だ!」
「……よし。許そう」
気を取り直して、のような雰囲気を醸し出しつつまた同じペースで歩き始める岡西。
ふうと一息をつく佐田。
それを眺める僕と林。
なんとも変な集団である。
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