第3話 振り抜く右腕

 走る、走る。

 ネオンの光り輝く薄暗い街を、ただひたすらに駆け抜ける。

 何処に行っているかも分からない。

 ただ一心不乱に、走り続けた。


 電子魔法が使えない分、俺は人より体を鍛えている方だ。

 だけど、それでも走れば息は上がる。

 ずっと俺の手を引いていたリビアもそれは同じで、明らかにスピードが落ちていた。


「お……おい。ちょっと……止まれ。もう、追って来てないから……」

「……そうね。ちょっと休憩しましょう」


 振り返らずとも追われてないのは明白。

 あんな血塗れの男が街中を歩けば、騒ぎになるに決まってる。

 だけど今、街は静かだ。


 そう、静か過ぎるのだ。

 リビアが俺の家にやって来たのは、午前中の出来事だ。

 だというのに、街を見渡しても人の姿が見当たらない。


 何処に消えた?今は昼間だぞ。


 俺は周囲を見渡し、違和感を感じた。


 いつも通りの街並み。高層ビルが立ち並び、壁面から立体映像が飛び出している。

 色鮮やかなアニメーションや巨大ホログラムの数々が浮かんでいて、中には時刻を表すものもあり、14:27分と表示されていた。

 だというのに、空はまるで夜みたいに薄暗くなっている。

 この現象を、俺は知っていた。


「《電子空間》か!?」


《電子空間》——街中の特定のスポットに貼られている特殊なQRコードを読み取る事が起動条件となり、対象範囲を電子空間に転送する設置型電子魔法。


 この電子空間は《Hyperlinkハイパーリンク》と呼ばれる一人の電子魔導士の力で成立している。

 電子魔法を手に入れ、所構わず暴れる輩が増えた為、周辺地域一帯を電子空間に変換する事で、間接的被害を最小限に抑えることが目的とされている。


 だけどこの電子魔法発動の際は、無関係の人が前もって退避できる様に、近隣住民には通知が届く使用の筈だ。

 俺に通知は来ていない。


 一体どうして————


 スマホを確認する為、ポケットに手を入れるがそこにスマホはなかった。


 入れておいたと思ったが、強引に外に連れ出されたせいで部屋に置き忘れたみたいだ。


 此処が電子空間だとすると危険だ。

 これは電子魔導士が暴れている時に、発動されるもの。

 だとすると、この空間内の何処かで電子魔導士が暴れている筈。


「安心したまえ。起動させたのは、私だ」


 周囲を見渡していると、聞き覚えのある低い声が耳に届く。

 その声は心の中を見透かす様に、俺の疑問に答えていた。


「携帯一つで異空間を作り出せる。全く……便利な世の中になったものだ」


 黒いハットを被った、紳士的な服装。

 だが、全身から滴る赤黒い血が、その男を紳士から程遠い存在に感じさせていた。


 さっきの血濡れ男……いつの間に。


「そちらの学生、君に用はない……と言いたかったのだが、一つだけ質問に答えてくれるか?」

「…………なんだ」

「《鞘》の持ち主はお前か」


《鞘》——その単語に、数分前に体の中に消えた、あの不思議な棒を思い出して、反応してしまった。


 血濡れ男は、その一瞬の反応を見逃してはくれない。


「なるほど。何処に隠したかと思ったが、まさか人間の中とはな。貴様がそんな手段に出るとは思わなかったぞ。《ブレーメン》」

「私だって予想外だっての——《青髭》」


 空気が鋭く、一触即発の雰囲気が流れる。

 間違いなく、戦いが始まろうとしていた。


「【音よ響けシャルヴェレ】」


 先に動いたのは、リビア。

 静寂を破るかの様に、ブブゼラの音色が空気を震わせた。

 音の振動が大地を揺らし、周囲の建物に亀裂が走る。

 音は次第に大きく膨らみ、大気は揺れ、それは目に見える波紋として男に襲いかかった。


「【血よ守れブルートシルト】」


 青髭と呼ばれた男は懐から金の鍵を取り出すと、何もない空間に鍵を突き刺した。

“ガチャッ”という音が、鍵の捻りと同時に確かに聞こえる。

 次の瞬間、巨大な扉が空中に現れ、隙間から大量の血液が溢れ出した。


 あれは俺の部屋で見た、生き物の様に動く血液。

 うねうねと脈打つ血液は意思を持つかの如く盾となり、音の波紋から主人の身を守る。


「聞いてた以上に厄介な魔法ね」

「そちらは聞いていたより、随分と間抜けだな」


 ぐいっと俺の右足が何かに引っ張れた。

 視線を向けると、赤黒い液状の物体が鞭のように伸び、足に巻きついている。


 ——これは、血だ。


 血塗れ男が鞭を操る。

 足に巻きつく鞭に引かれ、俺の体は空に高くに投げ捨てられた。


 ——やべっ……これ、落ちたら死ぬ。


 しかし、体はすぐに空中で静止した。

 と同時、全身が燃える様に熱い。


「——え?」


 焼ける様な、激しい痛み。

 声も出ない。体も動かない。

 かろうじて視線を動かせば、何やら鋭利な針の先端の様なものが、体中の至る所を刺し貫いていた。


「私の目的は《鞘》の回収。この少年が取り込んだというのなら、出て来るまで切り刻むだけのこと」


“ヒュン”と風を切る音と同時に、俺の平衡感覚が狂い出す。


 違和感、右肩が軽い。


 それもそのはず、しなる血の鞭の一撃で、俺の右腕は根元から綺麗に落とされていたのだから。


「全身を切り刻む前に出て来るといいな」


 左腕、右足、左足。

 四肢の全てが切り落とされる。


 声すら上げられない、今までの人生で感じた事のない痛みが全身を襲った。


痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い


 何やってんだよ、リビアのやつは。

 お前のせいで巻き込まれたんだから早く助けろよ!


 祈っても、悪態をついてもリビアは来ない。

 彼女は、青髭の操る血で阻まれているから。


「四肢を切っても出ないか……それなら、封じているのは心臓部か」


“ヒュン”と風切り音と共に一閃。

 横一閃に振り抜かれた腕から、僅かに遅れて飛んで来たしなる血の鞭が、俺の首を容易く刎ねた。


「肉体は頂くとしよう」


 そう呟き、血濡れ男は四肢と首のない俺の肉体に手を伸ばす。


 その光景を俺はどういう原理か、空に舞う切り飛ばされた首側の視点で眺めていた。


 ああ……こんな、訳のわからない事件に巻き込まれて、俺は死ぬのか。


 まだやりたいことは沢山あった。

 美味いもんを山ほど食べたいし、彼女だって欲しい。

 高い酒や高いマンションに住むなんてのも、いい夢だ。だ

 けど何より、俺はまだ魔法を使えてない。


 子供の頃、漫画で見た“奇跡の力”

 目にした時から憧れで、現実で手に入るものだと知った俺は、それはもう興奮した。

 だけど俺に電子魔法の才はなく、他人が使っているのを見ることしか出来ていない。

 どんな魔法でもいい。

 どんなにショボくてもいい。


 一度でいいから、こんな絶体絶命の状況をひっくり返せる、そんな《奇跡の力》を使ってみたかった。


 首が跳ねられているというのに、妙に頭が働く。

 肉体を失って尚、こうも思考が回るものなのか。


 せめてもの恨みに青髭を睨んでいると、妙に整ったその顔に少しイラッとした。

 青髭と呼ばれているくせに、別にその顔に青髭はなく、そこそこ整った顔立ちの優男。

 人の人生を終わらせておきながら、クールぶっているその顔に、苛立ちが増した。


 よく見るとなんかムカつく顔してんな。

 くそっ!どうせ死ぬんなら、一発でいいから殴ってやるんだった。

 腕さえあれば、絶対に殴るのに……


 悔しさで、


 そして、感じる違和感。


 ——俺は今、何を握った?


 感覚がおかしい。

 そもそも頭だけなのに、俺はどうやって意識を保っている?


 重力に従って落ちて行く感覚、それ以外にもう一つ。

 つい数分前に失ったの腕の感覚を、俺は確かに感じている。


 淡く輝く光の粒子が俺の体を形取る。

 次第に粒子は輝きを失い、残ったのは数分前に切り刻まれた、俺の肉体だった。


 これは……再生した……のか?なぜ?どうして?……いや、今はそんな事どうでもいい。

 血濡れ男は残った俺の胴体を見ていて、肝心の俺自身には一切警戒していない。

 これは——チャンスだ!!


 痛ぶられた憎しみを、拳に乗せる。

 取り戻した新たな肉体は、運よく血濡れ男の背後をとっていた。

 まるで、神様が俺に殴れと言っているみたいに。


「くたばれ。エセ紳士」

「———なっ!?」


 今更気づいても、もう遅い。


 力の限り振り抜いた俺の右ストレートは血濡れ男の右頬を捉え、落下の勢いもそのままに、地面に叩きつけた。

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