独りの瞳
風鈴はなび
不思議な少女
ギシッ…ギシッ…
時刻は午前7時10分、入学式を控えた今日、僕は春の暖かな風に吹かれながら教室に向かっていた。
ただし教室は教室でも自分の教室ではなくもう使われていない旧校舎のものだ。
「………」
新校舎に人が来るまでここでゆったりと小説を読むのがここ数年の日課になっている。
今日はどこまで読めるか、なんて考えながらガタついた音を立てる扉を開ける。
すると誰いないはずの教室に仮面をつけた少女が座っていた。
「えっ…」
何をしているわけでもなく、ただ座っているだけの少女に思わず声が出る。
するとその声に反応したのかこちらに顔を向け、コクリと会釈をしてきた。
「あっ…ども…」
こちらも会釈をすると、少女は顔を最初と同じ向きにしてまた何もしない状態に戻ってしまう。
そんな不思議な少女につい視線を送ってしまうのは、恐らく仮面のせいだろう。
鬼の顔、般若の面と呼ばれる類だろうか?威圧感と存在感がとにかく凄い。
そして仮面を見つめていると、その少女が口を開く。
「………去りましょうか」
霞のような声で少女は僕に言葉を掛ける。
言葉の意味は理解できるがどうにも現実離れしたこの光景を前にすると違う意味に聞こえてくる。
「あっ…いや、別に大丈夫…」
確かに怖いしよく分からない人だとは思うけど、不思議と悪い人では無いということはわかる。
それにさっきの声、とっても悲しそうだった。
「………」
無言のまま扉から一番近い席にカバンを置き、小説を取り出す。
少女は依然として動く気配がなく、まるで美術館に展示された銅像のよう。
栞を挟んだページを開き、鳥の唄を聞きながら小説の世界に入り込む。
文字で紡がれるここでないどこか遠い世界の話。
「………」
ページをめくる音が二人だけの教室に消えていく。
時折目の端で彼女を捉えるが、一度も動いてはいない。
いつしか小説よりも彼女を見る時間の方が長くなっているのに気づく。
「……ふぅ」
小説に栞を挟み、深呼吸をしてから身体を少女の方に向ける。
「…君、高校から入る子?」
勇気を振り絞って少女に質問を投げかける。
すると少し間を空けてから、少女はこちらを向いた。
「………えぇ」
「なんでそんな仮面付けてるの?演劇部志望とか?」
「………いいえ違います」
「そっか…」
自分から話しかけといて気まずくなってどうする…
時計の示す時間も7時30分すら過ぎていない。
この調子で後一時間以上過ごせるか…?
「………私、変ですよね」
その声はとても、寂しそうだった。
今、仮面の下で少女はどんな顔をしているのだろう。
変であると言えばその通りだ。
鬼の面を付けて学校に来て、しかも旧校舎の教室で佇んでいる少女なんて変に決まってる。
なのに、僕はそれを変だと一瞥することが出来なかった。
「まぁ…人によるんじゃないかな…最初は驚いたけど…」
「………仮面、外したくないんです」
「ならいいんじゃない?無理に外す必要は無いと思うよ」
「………見たいと思わないんですか?仮面の下を」
「え…?そりゃ気になるけど…君が嫌がるなら別にいいよ」
この少女の仮面の下、それを見たくないと言ったら嘘になる。
どんな顔をしてるのか、隠されているからこそ気になってくる…がしかし、仮面を外したくないと言った少女に仮面を外してなんて頼むほどデリカシーがない男ではない。
「………そうですか」
そう言うと少女席を立ち、こちらの方へと歩いてくる。
鬼の面とセーラー服がなんとも言えない雰囲気を作り出し、まるで漫画の世界に入り込んだかのような錯覚に陥る。
一歩、また一歩と古びた床を軋ませながら、少女は扉に手をかけた。
「………お名前、教えてくれますか」
「え…あっ…!僕の名前ね、僕の名前は"
「………それではまた」
「あれ…行っちゃった…」
名前を聞いておこうと思ったのだが、少女は僕の名前を聞くとすぐに扉を開けて出ていってしまった。
まぁ名前は別の機会に聞けばいい、あれほど目立つ仮面をつけているのだ…きっとすぐに会えるだろう。
入学式の始まりが8時45分、残りの時間は小説でも読んで潰すとしよう。
一人しかいない教室に暖かな春の日差しが微笑んだ。
「高校生…なんか実感無いな…」
入学式も無事終わり、学校での予定は教室に向かい新年度の説明を受けるだけになった。
「A組は…ここか」
何回新年度を迎えてもこの"教室の扉を開ける"
という行為には慣れない。
誰がいるのか、誰と一緒なのか、仲のいいヤツがいるか、そんなことばかりが脳を過って緊張してしまう。
ガラガラガラ…
意を決して扉を開けるとそこには新しく高校から入った人や中学から一緒の人が入り乱れおり扉を開けた僕のことなど気にしていないようで少しホッとする。
「席は…一番後ろね…っし」
名簿を見て確認した席は大当たり。
人混みを掻き分けながら時々挨拶を交わして自分の席にカバンを置き、教室を見渡してみる。
空の引き出し、綺麗な机に新品のカーテン…やはりこの雰囲気は好きだな。
「さて…」
休憩も出来た事だし、例の少女を探しに行くとするか。
あの見た目だ、きっとどこかしらの教室で話題になってるに違いない。
どのクラスに誰がいるかの把握もできるし一石二鳥だ。
「…どんな名前なんだろ」
教室を出ると早速あの少女の話らしきものが聞こえてくる。
「…あの仮面付けた子見た?」
「見た見た!なんなんだろうねアレ…演劇部にでも入るのかな?」
「さぁね…でもまだこの階では見てないんだよねその子」
どうやら少女はまだ下の階にいるらしい。
ちょうどいい…ここで待ち伏せしてるみたいになるより、自然と出会った方がいいだろう。
そう思い階段を降りているとその少女と鉢合わせる。
相変わらず少女の仮面は鬼のまま。
「あ、君」
「………あの時の」
「良かった探してたんだよ」
「………私をですか?」
「そうそう、名前…聞いてなかったから」
「………私は"
「…あれ?」
「………なにか」
「…あっごめんごめん!名簿に乗ってた名前と一緒だったからさ…僕たち一緒のクラスだよ」
名簿を見た時に何やら綺麗な名前の人がいるなと思っていたのだが…それがまさかこの仮面の少女とは…不思議なこともあるものだ。
「これからよろしく」
「………」
燕さんからの返答はなかった。
もしかしてグイグイ行き過ぎたのかも…
「あっ…ごめん急に馴れ馴れしいよね…」
「………いえ、別に平気です」
「なら良かった…」
せっかく他のみんなよりちょっと先に出会っているだ、燕さんとはぜひ仲良くしたい。
「………なんと呼べばいいでしょうか」
「成宮でいいよ。僕もなんて呼べばいいかな」
「………桜灯、と呼んでくれると」
「桜灯さん…綺麗な名前だね」
…つい思っていたことを口に出してしまった。
キモくないだろうか…初対面の男にいきなり綺麗な名前だね、なんて言われるのは女の子からしたら恐怖でしかないのでは?
「……ありがとうございます」
「ごめんね急に…でも綺麗なのは本当だよ」
「……変な方」
「…すみません」
変な方って…名前を知ってこれから仲良くなるぞって時にやらかしてしまった…この先も桜灯さんと仲良くなるのは難しそうだな…
「…えー連絡はこのぐらいかな。明日から普通授業も入ってくるから忘れ物には気をつけてね。それじゃ解散解散!」
「ふぁ…あ…」
いつも通りなテンションの先生が教室を出ていくと同時に教室も段々と熱を帯びていく。
"明日ダルくねー?"だの"先生当たりすぎ!"だの懐かしくそれでいて飽き飽きとする様な雑談がクラスの雰囲気を形作っていく。
ただ一つ不可解なことがある、それは…
「…桜灯さんの事誰も話してないな」
自己紹介の時に演劇部に入部したいという話をしてたおかげかこのクラスでの桜灯さんの立ち位置は"演劇部志望の変わった子"に落ち着いたらしい。
まぁ変にイジメられるよりはマシだろう。
そんな桜灯さんはというと、カバンに荷物を詰めて帰ろうとしている様子。
「…流石にそれはキモイかぁ」
今一瞬だけ邪な考えをしてしまった。
確かに一緒に帰りたいなぁ、とは思ってはいる…もっと仲良くなりたいし。
でも会って数時間の奴に一緒に帰ろなんて言われたく無いだろう。
「まぁ一人でいっか」
そして一人でいそいそとカバンにプリントを入れ帰ろうとしていると声が掛かる。
「……成宮さん、この後少しお時間ありますか?」
「まぁ…全然暇だけど」
新作のゲームをする予定があったが今その予定は無くなった。
女子から…しかも桜灯さんから帰ろうと言って貰えるとは…もしかしたら僕は今人生の頂点にいるのかもしれない。
「……では旧校舎で待っています」
彼女はそう言ってスタスタと歩いて行く。
一緒に行けば良かった気もするが男女二人で旧校舎に行くなど誤解される可能性もある。
…とにかく少し経ったら旧校舎に向かうとしよう。
「…相変わらず鬼の面はイカついな」
"あの仮面は彼女なりの意思表示なのかもしれないな"とか思いつつカバンを肩にかけて教室を出る。
旧校舎に行くためには一度校庭に出てから体育館を迂回しなければならず、少しだけ時間がかかる。
下駄箱で靴を履いて校庭に出ると、昼前の太陽が嫌になるほど輝いていた。
「なんか緊張するな…」
旧校舎に入ってからというもの気持ちが張りつめてしまって治らない。
何度も見たはずの光景もまるで初めて見るかのように感じてしまう。
「…ふーっ」
肺の中の息を全て吐き出してから意を決して扉を開けると、教室は今朝と全く同じ状況だった。
扉を開ける音に反応し仮面の少女がこちらを向いて会釈をし、それを僕が返す。
「……成宮さん、お時間頂きありがとうございます」
「あ、全然大丈夫だから気にしないでね」
「……成宮さんになら話しても良いかなと思いこうして来てもらったのです」
「…僕になら、話しても…良い…?」
「……私の"瞳"についてです」
そう言うと彼女は後頭部に手を回し、仮面を付けているための紐をするりと解いてしまう。
「え、ちょ、仮面外すの嫌なんじゃ」
そんな僕の驚嘆を無視して彼女の顔を隠していた仮面が地面に落ちる。
カラン…乾いた音が聞こえた"気がした"。
いや確かに聞こえた、しかしそんな音をすんなりと聞き流してしまうほどに僕の全てが彼女の方へと向いていたのだ。
「……これが私の素顔です」
もし僕が絵描きならこの視界の総てを生涯を使って描いただろう、もし僕が音楽家ならこの瞬間を表す曲を作るため命すら投げ打っただろう。
それほどまでに言葉にできない"なにか"が僕の視界に広がった。
「……成宮さん?どうか…しましたか?」
「…あ、いや大丈夫。大丈夫だから」
これは質問に答えた、というより自分に言い聞かせたの方が正しいかもしれない。
彼女は素顔を見せてくれた、しかし目は閉じたままだった。
「……成宮さん、一つお願いしたいことがあります」
「…はい」
「……今から瞳を見せます。その事を誰にも言わないでくださいますか」
「…わかった」
なにか特殊な事情があるのだろう、彼女の声は酷く切実なものであった。
そしてゆっくりと彼女が瞼を開ける。
そこには黒曜石の様な瞳を想像していた僕を嘲笑うかのような曇天が彼女の瞳を陰らせていた。
「灰色の、目…」
確かに人によって瞳の色が薄かったり濃かったりすることはある…しかし彼女の"それ"は明らかに異質なものだった。
黒にも白にも似つかない灰色の瞳。
「……幼い頃からなんです」
虚ろな色の視線を落とし、何かを堪えるかのようにゆっくりと話し出す。
「……私の家系は強い信仰を持った人間が多く、こんな瞳を持つ私は酷く忌み嫌われているのです」
「桜灯さん…話したくないなら…」
そんな僕の静止は今の張り詰めた彼女には届かなかった。
「……貴方もこの瞳を歪だと思いますか?」
揺らいだ声で彼女は僕に問いかける。
窓から風が吹き込み古ぼけたカーテンが彼女の背で靡いている。
「…歪だとか醜いとか、そんな事は一切思わないよ。だって桜灯さんの目、綺麗だもん」
どんなに色が濁っていようと彼女の瞳は濁ってなんかいない。
一度目を合わせた時に感じたあの美しさを僕は知っている。
「宝石みたいだよ」
「………!」
落としていた視線を上げた桜灯さんと目が合ったその刹那、目の錯覚だろうか?彼女の瞳が少し色付いた気がした。
「あんまり無責任な事は言えないけどさ、僕が力になれる事があるならなんでも言ってよ」
「……なぜ貴方はそんなに…」
「なぜって…理由なんてないよ。ただ友達として桜灯さんの助けになりたいだけ」
「……ありがとうございます」
桜灯さんの声が震えていたような気がした。
2人だけの昼過ぎの日差しが柔らかに微笑んでいた。
「……今日はありがとうございました」
「大丈夫だよ、なんか困ったことがあったら言ってね」
「……はい」
「じゃあ僕はこの辺で。また明日!」
「……えぇまた明日」
手を振りながら仮面の少女に背を向けて帰路へと着く。
時刻は1時40分、色々な事があった今日、僕の高校生活が始まったのだ。
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