第43話 「糸に潜む罠」
丸の内、夜。
ビル群が並ぶオフィス街に、冥府機関のメンバーたちが現れた。普段ならこの場所はビジネスマンたちで賑わうが、深夜のこの時間は別の顔を見せる。静まり返った通りに微かな風が流れる中、夏菜と風間は歩みを進めていた。
「蜘蛛の妖怪か……また厄介な相手ね」
夏菜が冷静な口調で呟きながら、肩にかかる黒髪をそっと整えた。その目はすでに周囲を鋭く観察し、わずかな変化も見逃さない。
「そうだけどさ、こんな広い街でどうやって見つけるつもりなんだ?」
風間が指輪を軽く弄りながら尋ねた。彼の明るい茶髪が街灯に照らされ、その軽快な動きが周囲の暗闇に溶け込む。
「妖気の痕跡は、ビルの上に向かっているわ」
夏菜は短剣を手に取り、わずかに妖気を注ぎ込む。その瞬間、短剣の刃が微かに青白い光を放ち、風間も自然と身構えた。
二人が進む先、ビルの壁面に異様な光景が広がっていた。そこには白い糸のようなものが絡み合い、蜘蛛の巣を形成していた。それは単なる蜘蛛の巣ではなく、妖気を纏った異質なもので、空気を歪ませるような感覚を周囲に漂わせていた。
「これ……触ったらマズそうだな」
風間が軽く刀を抜き、巣の一部を切り払おうとした。しかし、夏菜がすぐに手を伸ばし、彼を止めた。
「待って。罠よ。下手に触れると位置がバレる可能性があるわ」
風間は舌を巻き、改めて慎重に周囲を見渡した。その時、微かな音が頭上から聞こえた。風を切る音と共に、巨大な影が二人の頭上に現れた。
それは人の上半身と蜘蛛の体を合わせたような異形の妖怪だった。鋭い赤い眼が二人を睨みつけ、大きな顎からは糸が滴り落ちていた。
「来たか……!風間、散らす準備をして」
夏菜が即座に短剣を構え、冷静に間合いを測る。その動きは一切の無駄がなく、敵の動きに完全に集中していた。
「了解!風を起こす!」
風間が指輪に妖気を注ぎ込むと、強い風が街路に巻き起こり、蜘蛛の妖怪が放つ糸を散らし始めた。しかし、糸は異常に粘り強く、完全に吹き飛ばすことは難しかった。
「その糸、少しでも触れたら動きを封じられるわ。慎重にいきましょう」
夏菜が短剣を振り、蜘蛛の足を狙って一撃を加える。その動きは素早く、鋭い一閃が妖怪の体に浅い傷を刻んだ。
妖怪は大きな声で叫び、糸を更に広範囲に撒き散らした。それはビルの壁や地面に絡みつき、戦闘の空間を狭めていくようだった。
「ちょっと、これじゃ動きにくいぞ!」
風間が苦笑しながら、軽快な動きで糸を避けつつ、風で糸の範囲を少しでも抑えようと奮闘する。
蜘蛛の妖怪はビルの壁を駆け上がり、空中から二人を狙って糸を放つ。その動きは地上戦を前提とした戦い方を無力化しようとしているかのようだった。
「上を取られたら厄介ね……風間!」
夏菜が鋭く呼びかけると、風間は頷き、風の力で一気に跳躍した。その動きは人間離れした高さとスピードで、ビルの二十階部分に到達する勢いだった。
「上を押さえる!夏菜さんは下で援護を頼む!」
彼が言うと同時に、夏菜はビルの窓枠を蹴って軽やかに跳躍し、蜘蛛の妖怪に短剣で接近を試みた。その俊敏な動きに、妖怪も一瞬対応が遅れる。
夏菜が放った一撃が妖怪の足に命中し、麻痺毒が体に浸透していく。しかし妖怪はすぐに糸を振り回し、夏菜を捕えようと試みた。
「危ない!」
風間が刀で糸を切り払い、夏菜の退路を確保する。その連携は短い時間の中で生まれた信頼によるものであり、二人の戦闘スタイルの相性の良さを示していた。
蜘蛛の妖怪が怒り狂い、全ての足を使って二人に突進してきた。その圧倒的な力とスピードに、一瞬の迷いが命取りとなる状況だった。
「ここで決める!」
夏菜が地面を蹴り、低い姿勢から一気に跳び上がる。短剣を両手に構え、蜘蛛の妖怪の頭部に狙いを定めた。その瞬間、風間が風の力を最大限に利用し、彼女の動きを加速させる。
「行け!」
風間の一声と共に、夏菜の短剣が妖怪の頭部に深々と突き刺さった。麻痺毒が瞬時に妖怪の体を駆け巡り、その巨体が激しく揺れる。そして、最後の一声を上げて糸が崩れ落ちる中、蜘蛛の妖怪は完全に沈黙した。
「ふう……なんとか片付いたね」
風間が息を整えながら、崩れた糸を見渡す。夏菜は静かに短剣を鞘に収め、冷静な表情で一言だけ呟いた。
「次はもっと厄介な相手が来るかもしれない。準備を怠らないように」
丸の内の夜は再び静寂を取り戻したが、二人はそれぞれの戦闘の余韻を胸に、次の戦いへと思いを巡らせていた。
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夏菜と風間は、任務後の疲れを癒すため、近くにある24時間営業のファミレスに立ち寄ることにした。蜘蛛の妖怪との激しい戦闘を終えた二人は、戦いの緊張感を引きずりながらも、どこか日常に戻る安堵感を漂わせていた。
「ここでいいすか?」
風間が明るく言いながら、ファミレスの自動ドアを押し開けた。温かい照明に包まれた店内は、夜遅い時間にもかかわらず、いくつかの席に客が座っていた。深夜特有の静けさがありながらも、微かな談笑や食器が触れ合う音が聞こえる。
「いいわよ。ただ、あまり目立たない席をお願い」
夏菜が小さく息を吐き、落ち着いた声で答える。彼女は戦闘でついた小さな傷を隠すように、肩にかかる髪を整えながら周囲を警戒するように目を動かしていた。
「じゃあ、あの奥のテーブルでいいか」
風間が軽く笑いながら指差し、二人は店の隅にある席に腰を下ろした。メニューを開きながら、風間が真っ先に声を上げる。
「俺、ハンバーグ定食にしようかな。夏菜さんは?」
彼の無邪気な表情に、夏菜は思わず小さく微笑みを浮かべた。
「適当にサラダとスープでいいわ。あまり重いものを食べる気分じゃないから」
夏菜はそう言いつつ、戦闘で消耗した体を少しずつ休めるように背もたれに寄りかかった。
オーダーを済ませ、二人はしばらく無言で店内の様子を眺めていた。深夜のファミレスには、彼らのように疲れた表情を浮かべた客がちらほらいる。ビジネスマンらしき男性がコーヒーを飲みながら資料に目を通し、若いカップルがひそひそと笑い合っている。
「なんか、こうしてると、俺たちがさっきまであんな化け物と戦ってたのが嘘みたいだよな」
風間がぽつりと呟いた。彼の視線は、店内の明るい照明に向けられている。
「……そうね。でも、それが私たちの仕事。一般の人たちには、知られない方がいいこともある」
夏菜は短く答え、コーヒーカップに手を伸ばす。その仕草には、戦闘中の冷徹さとは異なる柔らかさがあった。
「でもさ、なんで夏菜さんはこの仕事をしてるんだ?さっきの戦いも見て思ったけど、本当に効率的で冷静だよね。何か理由があるんでしょ?」
風間は興味深げに尋ねた。その言葉に、夏菜は一瞬考え込むように目を伏せた。
「理由……そうね。誰かを守りたいから、というわけでもない。ただ、自分にできることがこれだけだと思ってるだけ」
夏菜の声には少しの硬さが混じっていたが、風間はそれ以上深く聞くことはせず、笑顔で話題を切り替えた。
「そっか。俺は、もっと単純だな。ただ、自分がここにいるのが楽しいから。先輩たちと戦うのも、こうして話すのも、全部好きだよ」
彼の明るい声に、夏菜は再び小さく笑みをこぼした。
やがて注文した料理がテーブルに運ばれてきた。風間はハンバーグに夢中になり、夏菜はサラダを静かに口に運ぶ。二人はしばらく無言で食事を続けたが、その静けさには、互いへの信頼感が漂っていた。
「ねえ、風間。これから先、もっと厄介な敵が出てくると思うけど、恐くない?」
夏菜がふと尋ねると、風間は口をもぐもぐさせながら首を振った。
「全然!だって、夏菜さんも、先輩たちもいるからさ。俺、一人じゃ何もできないけど、みんながいるなら大丈夫だって思うよ」
その言葉に、夏菜は目を細め、どこか遠くを見るように小さく呟いた。
「……そうね。私たちの力は、一人じゃ完璧じゃない。だからこそ、こうして集まる意味があるのかもしれないわね」
二人は食事を終えると、店を出て再び静かな丸の内の街へと歩き出した。深夜の空には星が微かに輝き、風間がふざけて「次の任務、蜘蛛より厄介なのはゴキブリじゃない?」と笑うと、夏菜は「それはごめんだわ」と静かに笑った。
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