第12話 ファーブルさん

 あだ名で思い出したが、女の子から聞いた話。

 ファーブルさんというお客がいた。もちろんあだ名で、由来はファーブル昆虫記。要するに昆虫マニアだ。


 2DKのマンションは、腐葉土の詰まった水槽が所狭しと並んで壁も見えない状態らしい。水槽の住人は南米や東南アジアの珍しい昆虫の数々。エアコンはフル稼働で湿度・温度ともに24時間一定。夏でも冬でも熱帯みたいな気候が保たれている。


 そんなだから、NGの女の子が多い。

 知らずに行って、泣きべそで帰ってきたというトラブルもある。

 極端な虫嫌いでなかったとしても――いや、よほどの昆虫好きでもない限り、そんな部屋に長居はしたくないだろう。裸になって性的なサービスを行うなんて論外だ。


 しかし、お客としては太い。

 月に数回、2時間のロングを頼むため、結構美味しい客なのだ。繁殖させた希少昆虫の販売で結構な収入を得ている、という話を聞いた子もいる。


 そんなわけで、その店ではこんな工夫がされた。

 プロフィールに虫が得意か苦手か必ず記載したのである。


【好きなもの】プリン、アニメ、温泉

【苦手なもの】激辛料理、ホラー映画、虫


 こんな具合だ。

 ファーブルさんウェルカム、という子は反対に【好きなもの】にカブトムシなどと書く。本当は虫が苦手でも、ファーブルさんの指名を取るためにプロフィールを誤魔化す子もいた。まあ、デリヘル嬢のプロフィールなんて男ウケするよう最初から嘘まみれなのだが。


 冷え込みの厳しい冬のある日。

 ややひさしぶりにファーブルさんから予約があった。

 指名はファーブルさんの一番のオキニの子。

 その子は本当に昆虫が大好きで、自分でもカブトムシやクワガタを飼っている。ファーブルさんに指名されると行為そっちのけで昆虫談義に耽り、飼育のアドバイスをもらったりしていた。


 しかし、その日の予約は少し妙だった。


『迎えに出られないから、勝手に入っていい。入ったらまずエアコンをつけてほしい』


 それほど忙しいのになぜデリヘルなんて呼ぶのか。

 ひょっとしたら水槽の引っ越しなどを手伝ってほしいのかもしれない。

 そんな想像をしながら、マンションのインターフォンを押す。

 返事はない。

 ドアノブを回す。

 鍵はかかっていない。

 そっと押し開けると真っ暗な隙間から鉄錆めいた腐葉土の臭いが溢れ出す。


 しかし、何かがおかしい。

 いつものむわりとした熱気がないのだ。

 湿り気を帯びた空気が外よりも冷たい。

 慌てて壁にかかったリモコンのスイッチを押す。

 熱帯の昆虫は低温に弱い。

 季節は冬。

 こんな温度では全滅してしまう。


 だが、何度スイッチを押してもエアコンに反応はない。

 照明のスイッチも入れるが、やはり反応がない。

 スマホのライトを懐中電灯代わりに、男の名前を呼びながら奥へ進む。

 室内のドアはいつも開けっ放しだ。

 2台のエアコンで全体を一定の気温に保つためだ。

 足下の配線や餌箱などに躓かないよう、慎重に一歩ずつ、一歩ずつ。

 無音の部屋を、そろそろと、そろそろと。

 普段なら虫ががさごそと動く音がするのに、嫌に静かだ。

 みんな死んでしまったのだろうか。

 ほとんど足元しか確認できないまま、寝室まで進む。


 しゃり


 何かを踏んだ。

 かがみ込み、スマホを近づけて確かめる。

 腐葉土、ヒノキチップ、ソイル、赤玉土……昆虫用の床材だった。

 それがぶち撒けたように散乱している。

 水槽が倒れてしまったのだろうか。

 男の名前を呼びながら、スマホのライトで辺りを照らす。


 ベッドの上に、黒い塊があった。

 人型にわだかまっているように見える。


 しゃり、しゃり、しゃり


 慎重に、すり足で近づく。

 足裏が土を擦る音だけがする。


 しゃり、しゃり、しゃり


 男の名前を呼びながら。

 大丈夫ですか、大丈夫ですか。

 ライトを近づけ。

 黒い塊。

 小さなものが。

 集まって。




 虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫




 のけぞった。

 尻餅をついた。

 四つん這いになって、泥だらけになりながら、配線に絡まりながら、水槽が落ちる、ガラスが割れる、土が飛び散る、泳ぐように、溺れるように、喘ぎながら、這った、這った、這った。やっとの思いで外に出る。


 息も絶え絶えに電話をすると、送りさんが駆けつけて部屋を確認した。

 黒い塊は虫の死骸が集まったもので、ファーブルさんはそれに埋もれて亡くなっていたそうだ。

 警察に通報し、事情聴取を受け、やっと解放された頃には夜が明けていた。




 後日、噂に聞いたところでは、ファーブルさんは詐欺に遭って全財産を失い、電気代も支払えなくなったらしい。フィリピンでの希少昆虫養殖事業という投資話に騙されていたとの話だ。犯人グループは逮捕され、少しだけニュースを騒がせた。


 ファーブルさんの死因は心筋梗塞。死亡推定時刻は二日前。

 電気も止められ、大切な昆虫たちが弱っていく様子を見ながら、胸を押さえて死んだのだろう。


 結局わからなかったのは予約電話の主だ。

 着信履歴は確かにファーブルさんの電話番号で、そのスマホはファーブルさんと一緒に虫の死骸に埋もれていたという。

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