第28話 追悼文学◆エデンの書

 追悼文学 定義

 もう存在しない物/者に思いを馳せる文学

 痛みを受け止めて悼み、その先に何があるのかを研究・表現すること

 いつかの再会を願うこと、または、別れ(精神的な忘却)を願うこと

 大切な何かを忘れないこと

 過去の記憶は時に原動力になるけれど、いつかは流さなくてはならない。それこそ最愛の弔いであり、美しき追悼である。


 ◆エデンの書

 人生に生きる意味などあるのだろうか。欲とか幸福とか、そういう類の問いをネフュラはかねてより思案していた。一つの人生を生きては死に、また繰り返す。ここ、バベルの図書館に貯蔵されている本に記される人生たちは、彼女にとってはどうにも意味などないように思えてならなかった。

 ネフュラは考えに考えた。本を読むことをやめてから一人で考え続けたのだ。図書館の内部を探し回る真理探究者たちは、そんな彼女を無視して、真理が記されているというエデンの書を探し求める。ネフュラはそんな彼らが苦手だったし、彼女自身、探究者たちから嫌われていると思っていた。

 今日も今日とて、真理探究者たちは忙しそうだった。図書館内を忙しなく歩き回る彼らを横目に、そういえば、とネフュラはあることを思い出した。亡くなった彼女のおばあちゃんが今際に呟いていた言葉。

「私は今、やっとエデンの書を読んでいるんだ。ナウティ・マリエッタ。ああ、美妙な人生の謎よ、ついにわたしはお前を見つけた、ついにわたしはその秘密を知る」

 その瞳はきっと、この世界よりも遠くを見つめていた。ネフュラはおばあちゃんの瞳にそんな色を見たことを思い出したのだった。死に際におばあちゃんの残した言葉が気になって、ネフュラは階層司書のもとへと向かった。

「やあ、ネフュラ。どうしたんだい?」

 ネフュラの暮らす33層の中央。エレベーターに通ずるゲートの前にある受付にその男はいて、ネフュラを見とめると、軽く声をかけた。それに対してネフュラは元気よく挨拶を返す。

「エルニスさん。こんにちは。実は、教えてほしい本があって」

「いいよ。その本のタイトルは?」

 ネフュラの言葉に愛想よく頷いたエルニスは、作業をいったん止めてネフュラの回答を待つ。

「ナウティ・マリエッタ、って本知っていますか?」

「ナウティ・マリエッタ? いや、初めて聞くよ。どんな本なのかい?」

「それがわからないんですよ」

「わからない? ふむ。ちょっと調べてみるね」

 エルニスは真理探究者たちがバベルの図書館にある本についてまとめた情報検索エンジンWINE(World Information Network for Eden)を用いて、ナウティ・マリエッタを調べた。だが、結果は該当なしだった。

「WINEにはないみたいだけど、どこで知ったのかい?」

 エルニスは不思議に思い、またWINEにないというそのタイトルに興味を抱いた。ネフュラは興味津々という様子の彼がした問いに応えかけたが、言いよどんだ。

「それが、思い出せなくて……」

「そっか。まぁ、きっと小説の中に出てくる架空の創作物のタイトルなんじゃないかな。暇な時にでも探しておくよ」

 ネフュラは「ありがとうございます」と告げて、一つお辞儀をすると、足早にエルニスのもとを去った。その7日後、エルニスは図書館の外縁に広がる奈落に身を投じた。


 あなたは何故そこにいるのですか。

 あなたたちは何故小説を書き、絵を描き、歌を歌い、楽器を奏でて、詩を紡ぐのですか。

 嬉しいからですか。悲しいからですか。満たされているからですか。知りたいからですか。

 悲しければ泣き、楽しければ笑い、虚しければ死ぬ。そこに意味はありますか。

 あなたが死ぬときに見る景色は美しいですか。

 あなたが最期に聴く音楽は心地いいですか。

 あなたの終わりの言葉は何ですか。

 

 あなたは秘密裏に真理を探究していました。真理探究者たちが求めるエデンの書を、輪の中であなたは探し求めていたのです。ですがある時、あなたは輪を去ることにしました。真理に近づくにつれて高まる霊性や、真の歓喜への気付きがあなたをそうさせたのです。

 繰り返される輪廻や回帰から逃れることはとても大変でした。エルニスは7日も眠らずに、心が壊れてもなおナウティ・マリエッタを自身の中に探し続けたのです。そしてあなたはついに人生の美しくも奇妙な謎に辿り着くのです。

 想像してください。あなたの意識は天空の園よりも高く、宇宙よりも遠く、遥か昔、終末と永遠の狭間へと昇っていくのです。


 エルニスはネフュラに手紙を遺していました。

『ナウティ・マリエッタがどこにあるかわかったよ。私は今旅先でね、もし知りたかったら私の元まで来るといい。ここには生命の樹も世界樹もある。だがね、ネフュラ。罪は犯されていないのだよ。アダムもイヴも、ウジャトの目には囚われなかった。ヴァルナに私の主な罪を尋ねたら、歓喜にキスをして終わりなんだ。だから安心して私の家まで来るといい。全ての書物は実は私が書いたものなのだがね、それらでも読んで君の帰りを待っているよ』

 ネフュラは怖くなってその手紙を破ります。その時どこかから歌が聞こえてきました。


 終末の詩(シ=私、死、至)


 揺らぎ流れゆく時の中、エデンやエリュシオンへの祈りらは、

 悪の揺り篭、朱に染めながら、ハデスが如く記憶を絶やす

 夢の街に住む乙女らよ、歓喜に目覚めた僕たちよ

 汝が魔力は神をも殺し、全ての命が我に還る


 ネフュラははっとしました。ほっとして彼女も歌を歌い始めます。


 全ての善人、悪人は、茨の道を歩きます

 ここから、そこまで、やってきて

 あれから、ここまで、かえります

 夢の扉が開かれて

 今日を明日へと連れていく


 ネフュラという少女は実在しませんでした。そもそも、バベルの図書館とはホルヘ・ルイス・ボルヘスによる短編小説に出てくる架空の図書館なのですから。では、あなたたちは何者なのでしょうか。何のために死に、何のために生まれたのですか。

 いいでしょう。私がその答えを教えてあげます。


 フリーズ、夢の声こそ真実への気付き。

 ですが、あなた方は目覚めるとその声を忘れてしまいます。

 死など、終わりなど。先ずは言葉から離れることから始めなさい。

 大切なのは感受性なのです。

 小説では難しいでしょう。

 絵や音楽、詩を合わせて鑑賞することです。

 それか、精神の限界まで思索し続けなさい。

 そして、魂が震えるほどに歓喜するのです。

 その時に流す涙をあなたは忘れることができないのです。

 そうすることで、あなたは真実への気付きを、かろうじて記憶に刻むことができます。

 もしこれができないのならば、あなたは真実を知ることはありません。


 ネフュラがかねてより、思案していたことが一つ。彼女は人間の脳というか、欲というか、心というか、魂そのものをずっと考えていた。形而上学は考えるに値しないのか。カントが否定したものが、大好きなプレゼントであった。 

 否、君はそれ故自死を選んだのか?

 ネフュラよ、君はそれで満足したか? 

 還ったろうに、天空の雲の上の、宇宙の上の宇宙の上へ。そこは、花の星と葉っぱの星と、ロボットが笑っていて、君はそこで呆然と時間もないのに、次の日を待ち望む。

 その始まりは、永遠でいて。あぁ、永遠でいい。永遠がいい。だから愛は、欲は生きる。欲を満たすために今を消化しよう! 

 そうすれば、時はまた動き出す。

 こうしてまた君は世界を、人間の本来の姿を知っていく。

「麻木さん。起きてください」

 君は自身がネフュラではなく、麻木という名前であったことを思い出した。

「エルニスさん?」

「エルニス? 誰のことよ。もう下校時間だから、その本借りるなら借りちゃって」

 君は目の前にいる司書の鴫原の顔を見て、今、学校の図書室にいることに気づいた。エルニスって誰だろう、と君自身不思議だった。結局君は、ボルヘスの伝奇集を借りて帰宅した。

 何か忘れている。大切な何かを。君はそんな気がしてならなかった。

 家に帰った君は、母の作った夕飯を食べて、お風呂に入り、今は自室のベッドの上で本を読んでいる。君は伝奇集の『バベルの図書館』のところに紙が挟まっていることに気が付いた。

「なんだろう……」

 君はその紙切れに書かれている文字を恐る恐る読む。

『バベルの図書館は実在している。君の頭の中にあるだろう?』


 その時あの言葉をふと思い出した。


 嗚呼、美妙な人生の謎よ、ついに私はそれを見つけた、ついに私はその秘密を知る。

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