三島由紀夫30冊読んでみた話

みやこ

三島由紀夫30冊読んでみたきっかけ

 高原英理とか山尾悠子とかの幻想文学が好きで色々読んでいたのだけれど、度々登場する名前があり、一人は澁澤龍彦、もう一人が三島由紀夫だった。

 特に記憶に残っているのは高原英理『エイリア綺譚集』(国書刊行会)に収録されている『ガール・ミーツ・シブサワ』で、これは幽霊のような状態となったゴシック少女が澁澤龍彦の生涯を追うという話なのだけれど、その中に澁澤邸での一幕として三島が登場するシーンがある。このシーンが記憶に残っているのだった。


 この時点において、三島由紀夫およびその著作に関する特別な知識はゼロに等しかった。もちろん彼のタイトルは、これは流石に何かで目にするか耳にするかしたことがあったのだが、あいにく私は純文そちら方面にはまったく疎い人間である。あと楯の会事件も知ってはいたが、これもやはり名前だけだ。


──で。

 読んだわけである。高原英理『ガール・ミーツ・シブサワ』の、ゴシック少女の三島一刀両断っぷりを。いや一刀どころではないか。というのもこの語り部の少女、三島に対してあまりに辛辣。悪行を告発するかのように彼の言行尽く批判しているのだ。そんな『ガール・ミーツ・シブサワ』の三島言及は203ページからスタートし222ページまで続く。その間三島は


「分かりやすい憧れ熱中屋さん」(これはまあいい)

「『こいつ、仏教の輪廻転生ということを全然わかってないなあ』」(これは三島の阿頼耶識論を聞いてる松山俊太郎の台詞)

「(『豊饒の海』の今西という澁澤龍彦モデルのキャラクターが高身長設定であるのは実際の澁澤を小柄と揶揄するためだったことに対し)あなた身長一六三センチでしたね。(略)あなたは人のこと、チビなんて言える立場じゃないでしょ、わたし小柄な人を悪く言う気もないし、背の高さなんてそれこそ肉体的条件でしかないからどうでもいいけど、どうしてそういうふうにさあ、なにかってと身体差別でもの言うのさ」(直前に澁澤から三島への友情エピソードが述べられていただけに三島の意地悪が際立つ)

「最後に文学者であることを捨てたと言っている作者の死に方をわたしは文学的には褒めない」「それは文学者の死ではありません。文学関係ない右翼の人からさんざん褒められたらいいさ」「三島由紀夫の死は文学への裏切り」(語り部の少女の苛烈さ、ここまでくると快い)


 そのとき抱いた素直な感想はこうだった。


 うーん、三島由紀夫とは何やら滑稽な作家であるらしい。


 正直澁澤龍彦よりも印象に残った気がする。


 一方で、幻想文学方面の作品を読んでいると、三島への言及は本当に多い。山尾悠子『迷宮遊覧飛行』(国書刊行会)では三島の作品を写経していたらしいことがわかるし、『シブサワ』でこれほどけちょんけちょんに言った高原英理も『リテラリー・ゴシック・イン・ジャパン』(ちくま文庫)で『月澹荘奇譚』を収録している。

 高原英理『少女領域』(国書刊行会)で紹介されていた森茉莉『甘い蜜の部屋』(ちくま文庫)のあらすじには「この作品を三島由紀夫は『官能的傑作』と評した」なんて載ってる。いや三島が評したからなんやねんと思うのだけど、とにかく幻想方面を読めば読むほどその男は顔を出すわけだった。

 『シブサワ』ほどの具体的記述は初めてだったこともあり、この辺りで三島由紀夫という文字列を見ると作家・三島由紀夫が頭に浮かんでくるようになった。


 以来気になりつつも、ミステリ、ホラー、幻想文学、奇書に手を出す日々が続き、純文方面や三島には向かずにいた。いや、実際は『リテラリー・ゴシック』に収録された『月澹荘奇譚』は読んでいたのだけれど、正直印象に薄かったと思う。同書で一番好きだったのは赤江瀑『花曝れ頭』。須永朝彦『就眠儀式』(須永朝彦の吸血鬼小説はこれきっかけにハマり滅茶苦茶好きになった。クロロック公とか良すぎ)。山尾悠子『傳説』。伊藤計劃『セカイ、蛮族、ぼく。』(これ伊藤計劃!?)。


 興味が再発したのは、2024年。理由はふたつで、ひとつめは純文学方面を読む機会の増えたこと。芥川賞候補に激重百合があると聞いて手にとったのが向坂くじら『いなくなくならなくならないで』(河出書房新社)で、関係性の再生産に次ぐ再生産、変化に次ぐ変化に、息つく間もなく突入するラストの静かなカタストロフ。読み終えた後、表紙の意味に気付き戦慄する読書だった。これをきっかけに純文学方面も手を出そうかと思い、しかしそれだけではまだ三島を読み込むところまではいかなかった。


 二つ目の理由は赤江瀑を知ったこと。名前と存在自体は高原英理『月光果樹園: 美味なる幻想文学案内』(平凡社)で知っていたが、書店に並んでいない印象があった。しかしある日、仕事帰りに本屋に寄ったところ、あるではないか、『赤江瀑アラベスク』。しかも『天上天下』『魔軍跳梁』『妖花燦爛』の三セット! (いずれも創元推理文庫、東雅夫編)


 これは読まずにいられないと買いこみ、いざ開いて、まあ見事に耽溺した。美味なる幻想怪奇の数々。特に2『魔軍跳梁』は十七の幻想怪奇短編すべてが当たりでびっくり。『花曝れ頭』、すげえよな。これは『リテゴシ』で読んだときも思ったけど。収録作の中では『魔』も特に好み。この一冊はとにかく読んでほしい。最高だから。

 第一巻の『天上天下』は極限の情念と美意識の炸裂である『星踊る綺羅の鳴く川』、これと相補性をうねらせる『海峡──この水の無明の真秀ろば』があるんだけど、個人的に赤江瀑という作家を知るための一冊といった趣で、やはり赤江瀑の怪奇幻想を味わうなら2『魔軍跳梁』が最強。第三巻『妖花燦爛』は『平家の桜』が神。『春の寵児』は抜ける。後は『恋川恋草恋衣』『霧ホテル』が特に好きでしたね。というわけで赤江瀑アラベスク読むなら、それが初赤江瀑であるなら『魔軍』→『天上天下』→『妖花』が良いと思う。


 閑話休題。

 で、なんで赤江瀑が三島由紀夫に繋がるのかと言うと、秘密は帯にある。『赤江瀑アラベスク』の帯は「水底から天上まで幻視の赤江世界の精華!」「人と魔の織りなす現実(うつつ)と妖しの檜舞台──」「芸術への狂おしい執念、実ることのない凄絶な恋慕」とあるんだが、他に三冊に共通する文があって、それが以下。


「泉鏡花、三島由紀夫の系譜に連なる巨星の多彩な業績を精選する決定版傑作選全三選」


 ここで三島が再び視界に届いた。(ちなみに鏡花はちょいちょい挑んでは挫折中)


 赤江瀑ほどの幻想作家の川上にいるらしい。憂国の筋肉作家が。それほどなのか。それほど偉大なのか。それほど素晴らしいのか。

 果たしてどれほどの作品を残しているのか。


──で。


 読んでみたわけである。三島由紀夫の数冊を。「よーし」という少し改まった構えで。


 読んで──読みおえて、おおと感嘆の声が漏れた。大いに満足させられた。というのもだ。


 何だかいやに心地良い。


 加えてなんと多彩な作家であることか。

 

 根底、というか作家性は確かにあって、それは華美な文章だとか老い=無残・無様・醜悪だとか覗き・観測行為だとか同性愛だとか天皇観だとか、そういう語られ尽くした部分は確かに感じた。けれどそれ以上にびっくりしたのはその作風の広さ。


 憂国と美学一辺倒なんかじゃなかった。

 そこにはもう色んな人生が息づいていた。

 怖かったり意地悪だったり厭だったりどうしようもなかったり世間を見下してたり、純粋だったり無垢だったりする連中の物語、その多種多様。

 

 負けたと思った。

 


 長々と書いたけれど、以上が読み始めたきっかけ。

 ここからは読んでみての感想とかを書いていくつもり。なお自分に書評ができるとは思っていないし、するつもりもない、このシリーズはエッセイということになる。読んで私がどう感じたか、そういうところが主軸になる。全ての作品を読んだわけではないし、三島論を読み込んだこともない。ので、的外れなことや変な解釈、誤読も入ってくると思う。そういうものと受け止めてほしいねんな。よろぴっぴ。

 

 今後の読書のきっかけにしたいので、三島論でオススメの本があったら教えてほしいとも思う。この疑問点の解説ならこれ読むといいよ、なんてアドバイスがもらえたら泣いて喜びます。


 とりあえず感想を書いていくこととする。

次の第二話は、『真夏の死』である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る