File 7 : ガイア 5

 私が生まれた前後の話は近所のおばさん達に聞いたことが殆どだ。おばさん達が声を顰めて話した事は噂話も多かっただろうし、誇張されてることもあったと思う。


 だけど、私の両親、山城大河と山城風子の事はそうやって知ったのだから、他に話しようもない。 




 私の父の大河が産まれたのは田舎町だった。とにかく貧しい家で、大河の父母は家の前の小さな畑を耕し、近所の家の手伝いなどをして糧を得ていたらしい。


 大河は小学生の頃から早朝の新聞配達をして金を稼ぎ、家に入れていた。そして少しづつ貯めた金でボロボロの自転車を買い、学校が終わった後には酒屋や米屋の配達などを手伝っていた。ガタイも男振りもいい男だった。


 母の風子の家も同じで金はなく、見た目の良かった風子には色々な誘いが絶えなかった。


「風子ちゃんはさ、そりゃあ綺麗な子だったんだよ。この辺りじゃ極上で…」


 大河と風子は従兄妹同士。2人はよく畑の隅で座って話し込んでいた。人目を気にせずというか、ただの従兄妹の2人、周りの皆も色恋沙汰になるなんて思いもしなかった。


 そんな17歳の大河と15歳の風子が突然消えた。2人で手に手を取って駆け落ちってやつ。青天の霹靂もいい所で大騒ぎになった。


 楽しい事なんか何もない貧乏暮らしの若い2人が恋人同士になるなんて、当然の成り行きだ。でも、そうは思えない奴もいたんだ。


 風子の父親さ。激怒して荒れまくった。


「大河!あの野郎!

 ウチの売り物に手出しやがって!」


 そうだよ。

 風子の親父は見た目のいい風子を高値で売る算段をしてたのさ。16歳になるまで待って、色気が出てきた時に金持ちの妾奉公に売り飛ばそう…ってね。


 逃げた2人は半年足らずで風子の親父と兄貴に捕まった。


 その時、風子はお腹が大きくなっていて、それを見た風子の親父は完全に頭に血が昇った。


 大河は風子の目の前で思いっきりボコボコにされた上に、性器を思いっきり踏みつけられて損傷してしまった。


「お前の大事なモノは切り落とさずにおいといてやる。もう、使いモンにはならねえけどよ!」


 大河には病院で治療を受ける金もない。仕方なくそのまま放置して子供はできなくなった。


 私は一度だけ、大河の裸を見た事がある。私が初めて大河と会った夜、2人でお風呂に入ったんだ。そしてずいぶん大人になってから、その時の事を思い出し、近所のおばさん達が私に話した事は本当だったのだ、とわかった。


 大河のそれは、全く機能を果たす事が出来なかっただろう。


 残酷だろ?

 ずいぶん昔の話だよ。


 


 そんなこんなで、私は大河が18歳、風子が16歳の時に産まれてきたんだ。


 風子は私を産むまで実家に軟禁されていた。そして、産まれてきた私は風子の母親が殴られながらも懇願したおかげで、1ヶ月だけは風子の手元で育てられた。


 大河の家に私が渡される時、風子は私の事をずっと抱きしめて離さなかったって私のばあちゃんが言ってた。


 風子は大河に会うこともできなかった。


 それから大河は自分で役所に行き、私の出生届を出した。"山城大地" ってね。そして、じいちゃんとばあちゃんにこう言ったんだって。


「この子はガイアって名前にした。大地の神様の名前さ」


 風子は3ヶ月後、どこぞのお大尽と言う人に売られて行った。そして、大河もしばらくして私を祖父母に預けて出稼ぎに出た。


 そういうわけで、私は小学校に入るまで祖父母と暮らしていたんだよ。大河はお金を毎月送ってきたけど、私に会いに来た事はなかった。だから、自分の父親と母親がどんな人間なのかなんて知らなかったし、考えもしなかった。



 

 それが…私が小学校に入る少し前、突然、大河が家にやって来た。


 その時の大河は20代で、随分と身なりも良くてね。子供ながらに、かっこいい、素敵だ、って思った。


 そして、その素敵な男が私に向かって腕を広げ、私を呼んだんだ。


「おいで!ガイア!父さんだ」


 かっこいいその男が誰なのか、私には分からなかった。でも、本人が父さんだって言うからそうなんだと思った。


 何かを考える暇もなく、私はそのまま大河に抱っこされて田舎の貧しい村を離れる事になった。祖父母にはそれっきり会っていない。


 後で知った事だけど、その時、風子の実家が火事になり、風子の父親と兄貴が家の中から丸こげで見つかったそうだ。


 本当かどうかはしらないけど2人とも手足を縛られていたって。でも、なぜか犯人は見つからないまま、時効になっている。




 大河と私はそのまま運転手付きの黒塗りの車に乗って、1泊2日の旅をしながら大河の家に行ったんだ。


 海沿いの道を車で走って、私は海なんて初めて見たから大はしゃぎした。


 それを見た大河が、降りてみようって言ってさ。海岸に行って2人で貝殻を拾ったんだ。私は綺麗な貝殻を大河にあげたくて夢中になってね。気がついたらびしょ濡れになっていて、大河が自分の上着で私を包んでくれたんだよ。


「寒くないか?」


 そう言った声が優しくて、私は思わず大河にしがみついてたよ。



 旅館で豪勢な食事が出た時、私はそんなご馳走を見た事なかったから目がまん丸になってさ。


 大河はそんな私の頭を撫でて言ったんだ。


「ガイア、ゆっくり食べろよ。全部食べていいんだからな。安心しろ。俺のそばにいれば、もう、腹を空かせることもない」


 そう言われても何だか落ち着かなくて、私は口の中にいっぱい食べ物を押し込んだ。急いで食べなくちゃ、誰かに取られる気がしたんだ。


 大河はそんな私を笑って見てた。


 大河は日本酒を手酌でちびちび飲んでいてね。なんて言うんだろ、子供の私でさえ男の色気を感じたよ。本当にかっこよかったんだ。

 

 次の日、大河は私のために用意していたズボンとシャツを着せてくれた。水色の大きな四角い襟が付いてて、お揃いの丸い帽子もあって、水兵さんみたいだった。


 そして、可愛い絵のついたドロップスの缶を私にくれたんだ。


 ドロップスなんて、私には珍しい高級品だったから、開け方が分からないでいると


「ほら、かしてごらん」


 って大河が優しい声で言ってね。缶の蓋を開けて、一粒私の口に入れてくれた。

 

 ドロップスを口に入れた時、私はよほど嬉しい顔をしてたんだと思う。


 大河は、くっ…っと笑って私のほっぺたを撫でたんだ。


「可愛いな。風子にそっくりだ」


 あの優しい笑顔、今でもはっきりと覚えてる。



 私は大河に抱っこされて車に乗った。大河はいい香りがしてさ、こんな人が私の父さんなんだって本当に嬉しかった。大河のそばにいるだけで何だか安心して、私は抱っこされたまま寝てしまった。



「ガイア、起きてごらん。家に着いたよ」


 そう言われて大河の家を見た時にはびっくりした。余りにも大きかったから。

 

「ここがこれからお前の家だ」

 

 私は家の中を走り回ってはしゃいだ。大河は胸の前で腕を組んで仁王立ちして、走り回る私を自慢げに見ていたよ。


 大河がこの頃どうやって金を作っていたのか、あれこれと思い当たる事はあるけれど、はっきりとは分からない。


 ただ、何度か電話で大河が風子の名前を呼んでいたから、2人はずっと繋がっていたのは間違いない。


 私の知らない所で会っていたのかもしれないが、私には分からない。




 家に着いた次の日、私には 'お乳母さん' と呼ばれる女性がついた。老婆だった。

 

 私はこのお乳母さんに徹底的に男の子として育てられたんだ。


「だいち坊ちゃん。あんたさんは大河さんの1人息子やで、それらしくせんとな」


 そう言って、着る物、言葉使い、身のこなし、全て男の子にさせられた。


 私は大河にとって風子との愛し合った記憶。

 そして、子供がもう作れない大河にとって、私が唯一の後継者だったんだ。


 今なら跡取りなんて、男でも女でも関係ないさ。でも、昔はそうじゃなかった。跡取りは男。そんな時代だった。だから、私は男の子でなければならなかったんだろう。

 

 大河からそう言われた事はなかったけど。


 私は大河が私を男の子として育てたいなら、それでもいいって思ってた。大河が喜ぶなら、そうしたかったんだ。


 私はもう大河が大好きだったんだよ。




 私は小学校に入る事を楽しみにしていた。


「学校に行っとったらお友達ができるで」


 お乳母さんがそう言ったから。


 だけど、行ってみたらつまらなくって困った。授業が簡単すぎて、なんで皆こんな事勉強するの、って思った。


 友達、っていうのも出来なかったしね。


 ある日、たまりかねた私は、学校の授業はつまらないからもう学校には行きたくない、って大河に言ったんだ。


 そうしたら大河は私を膝の上乗せて頭を撫で、こう言った。


「別に学校だけが人生を豊かにするわけじゃないさ。ずっと家で勉強したって構わないんだよ」


 そして家庭教師を連れてきたんだ。その先生と私は3時間ほど勉強したんだけど、途中から先生は焦りまくって震えてた。


 そして、大河が家に帰ってくるまでずっと待っていて、帰ってきた大河と話し込んでいた。ちらっと聞こえたのは '天才' っていう言葉だった。


 私は自分ではわからなかったけど、頭が良かったんだね。昔はギフテッドとかタレンティッドなんて言葉はなくて、天才って呼ばれてた。


 そこから先はあっという間だった。


 大河は金に糸目はつけず充分な環境を整え、私に家庭教師を何人も付けてくれた。

 家でずっと勉強してたんだ。


 私は中学や高校の教科書なんてすぐ理解したよ。特に化学は楽しくってね。いろんな事をして遊んでた。それは、今なら実験…って言うんだろうな。 

 

 10歳をいくつか過ぎた頃だと思うけど、私は面白いモノを家庭教師と一緒に作り出した。即効性のある毒、'パヤ毒' って今は呼ばれてる。


 最初の内、私は動物で 'パヤ毒' の効果を見てたけど、だんだん何かが足りない気がしてきてね。


「人間にも効くかな?」


 そう言って大河にその毒を渡したんだ。大河はものすごくびっくりしてたね。


 後で聞いたら、仲間がパヤンカとか言う遺跡発掘場で試してみたんだって。そしたら、面白い様に毒が効いて人がどんどん死んでいったらしい。

 

 それを聞いた大河は私を呼んで優しく言ったんだ。


「あの薬はよく効いたらしい。だけど危ない薬だからもう作るのはおやめ。お前に何かあったら、俺は辛くて生きてはいけなくなるのだよ」


 私はまだ思考が幼かったから、それがどんな意味かなど考えもしなかった。


 そりゃそうだろ。


 周りは大人ばかりの環境で、好き放題に化学の実験なんてやってたんだからさ。

 

 でも、大河が生きていけなくなるのは私も嫌だから、そんな危ない薬はもう作るのは止めようって心に決めたんだ。


 そして、大河はこうわたしに言ったんだ。


「俺ももう、危ない事はしない。約束するよ」

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