File 4 : 伊藤遥香 2


 …頭が痛い。


 なんだろう、この違和感…。

 …やっぱり、頭が痛い。


 どこからか声が聞こえて来るわ。


「あなたのお名前を教えてください」


 柔らかな、でも少し怖さを感じる声ね。私に何をしようとしてるのかしら?


 あ!これってもしかしたら…?例の?


 あなたは誰?

 理由の分からない事に、私が答える義務はありませんよね?

 

「理由ですか?

 あなたは女性の自殺未遂現場を目撃して110番通報後した後、何者かに襲われた。

 なぜあなたは襲われたのか?

 自殺未遂の女性は誰なのか?

 警察は一刻も早く真実を突き止めなければなりません。

 それがあなたのことを知る理由にはなりませんか?

 あなたは伊藤香苗さん。捜査2課の刑事ですね?」


 …黙秘します。

 …今、私が置かれている状況を教えてください


「私は特殊捜査研究所の久我山警視正といいます。

 あなたは今、特殊捜査研究所の取調室にいます。周りには医務官もいて、頭部外傷の治療も行っています。

 あなたにはこれから 'インネル' を使って取調べに協力していただきます。

 この取調べは井上副総監の許可もいただいていることをお伝えしておきます。

 'インネル' についてはご存知ですね?」


 やはり、私の記憶を読み解くつもりなのね。でも、無駄よ。私は 'インネル' の弱点を知ってるもの。


 久我山さん、意識がない私の心の声、聞こえてる?



「では、始めます。あなたがこの件の始まりと認識している所から記憶の映像が始まります。そして、あなたの記憶、脳内会話は全て映像化され「拒否します!」記録として残ります」


 待って…ま…って…


 久我山は強引に取調べを開始した。





     ♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 





 スマホに彼からのメッセージが届いた。


『今から行くからね 待ってて』


 その文章を読んだだけで、私は胸が一杯になっている。

 

『お願い 早く会いたいの』


 しばらく会えなかった彼からのメッセージは一昨日の夜。


 私は少しお化粧を直して彼を待った。

 

 しばらくするとドアベルが鳴って、彼が玄関のドアを開ける音がした。


 私は急いで玄関に行った。だって、早く彼の顔が見たいから。


「香苗、帰ったよ」


 彼は疲れているだろうにそんな素振りは全く見せず、いつもの柔らかな笑顔で私を見つめている。


「お帰りなさい」


 私は玄関にいる彼に飛びついた。そして、彼の顔を両手で包んで何度も唇にキスをした。


「会いたかったの。ずっと…」


 彼は私の胸に手を置いてクスッと笑った。


「香苗、いけない子だね。

 こんなにドキドキして。…でもダメだ」


 彼は私の耳元で囁いた。


「ダメだ…こんな所じゃ…」


 彼は意地悪な顔でそう言うと、私を抱きかかえて、そのままシャワー室に連れて行った。私は彼の首に縋り付くように両腕を回し暖かな胸に顔をつけて、彼の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。


 とくん、とくん…私の心臓が跳ねるように音を立てているのが分かる。


 彼の顔を見ている事しか出来なくなった私を見て、彼はしょうがないなぁと、私の服も脱がせてくれた。


「俺が脱ぐまで待っていなさい。立っていられるかな?」


 こくん、と頷いた私の胸にキスをしながら彼も服を脱ぎ捨てた。


 そして2人で熱いシャワーを頭から浴びた。ソープの泡もシャンプーの泡も彼が全部洗い流してくれた後、彼は私を壁に押し付けるようにキスしてくれた。私はもう立っていられなくて彼にしがみついていた。


「おねがい…もう…」 


「香苗?どうした?待てないの?」


 彼はそう私に聞くと優しく笑った。そして

キスしながら体を拭いて私をベッドに運んでくれた。


 それから…。

 いつもは優しい彼が嘘のように激しかった。私は何度も…。


 私は裸の彼の胸で泣いてしまった。

 あまりに彼が素敵だから。幸せで涙が止まらなかった。


 彼は私の顔を見て、意地悪な顔で言った。


「…ん?どうした?…もう一回?」


 私が彼の顔を見つめて頷くと、彼は耳元で囁いた。


「何がもう一回欲しいの?言ってごらん。なんでもあげるよ。」


 恥ずかしくて私が言えない事を知ってて、彼は意地悪を言う。私の眼にまた涙が溢れてきた。彼は優しく私にキスをして、眦の涙をそっと唇で拭ってくれた。


「香苗…可愛い。

 大好きだよ」


 彼は優しく私を抱き続けた。それは、私の身も心も溶かしてしまう熱い時間だった。




「ごめんね、香苗。今夜は祖父さんに呼ばれてる。行かなくちゃならない。

 明日、帰ってくる。2人で美味しい物でも食べて、ずっと一緒にいよう。

 だから泣かないで。そんな顔されたら俺、ここから離れられなくなるよ」


 彼はメソメソしている私に、長い長いキスをしておじい様の所へ行ってしまった。


 彼は私に欲しい物があるならなんでも言ってごらん、買ってあげるよ、と言う。

 でも、彼以外に欲しい物なんて何もない。


 私は窓のそばに立って、じっと外を見つめた。


 15階の窓から見る外の景色は綺麗だけど、1人で見るのは物悲しい。


 赤く輝く朝焼け

 陽の光に照らされるビル群

 ゴールデンアワーの光のゆらめき

 闇に浮かぶ街あかり


 その全てを彼と見ていたい。

 彼の腕に包まれて、この景色をずっと見ていられたら、どんなに幸せだろう。


 彼の車がガレージから出ていくのが小さく見える。

 もう、彼に会いたくなっている自分の姿が窓に映っている。


 ただ、ただ、彼のそばにいたい。

 彼にそばにいて欲しい。


 …愛してる






     ♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢







 なぜか映像はそこでフリーズしたかの様になり、伊藤香苗がマンションの15階から見つめる景色だけがモニターに写り続けていた。


 久我山は一旦捜査を中止し、開発担当の田代に調整を依頼した。しかし、田代は機材に異常はないと言う。


「久我山君、機材は全て正常に動いてるよ。おかしな所は全くないね」


 久我山警視正の横で、部下の竹下が言った。


「今回は最初からおかしかったですよね? 'インネル' の弱点知ってるから無駄だとか言ってたし…!

 それに、なんかラブレター見せられてるみたいでした。俺、相手の男にすごく嫉妬してます。なんだか、悔しい!」


 こんないい女と…と竹下が呟いたのは聞こえなかった事にした。


 久我山も竹下の意見に同じ感想を持っていた。こんないい女と…以外の点で、だ。


「画像は最初から霞んでいたよな。

 おかげで伊藤香苗の記憶の中にある男の顔も判別できなかったし声も少し変だった」


 田代はそれを聞いて、開発室から何人か人を呼び、あれやこれやと皆で調整を続けたが、埒があかなかった。




 程なくして、男が1人捜査室に飛び込んできた。


「香苗を渡してもらおうか?」


 そう言って久我山を睨みつけたのは、山城正人だった。


(…ふぅ〜ん、なるほどね。

 この美女の '素敵すぎるお相手' は、あんたでしたか)


 久我山は顔色も変えず、山城正人に対峙した。


「この女性は飛び降り自殺の目撃者でしてね。参考人として取り調べ中ですよ。すぐには渡せませんね。残念ですけど…。

 まぁ、こうして医務官もいて様子をみてますし、ご心配は無用です」


 久我山はにやりと笑って山城正人を見た。


 だが、山城正人は引かなかった。


「久我山、お前、香苗をここに連れてくる許可を誰に取った?

 俺は香苗を今すぐ佐倉病院に入院させる許可を取った。副総監から直々に…!

 だから、お前には文句は言わせない」


 山城正人はそう言って部下と思われる男達に合図を送り、伊藤香苗を運び出した。


 ちっ!

 久我山は捜査室を出て行く山城正人の後ろ姿を睨みつけた。

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