フォートグレイシア

井ノ上ダイチ

プロローグ

あこがれ

 一枚の紙に描かれている狼のような生物のスケッチ。それの体表は青く透き通った、無数の鋭いトゲで覆われており、丸太のように太い四本の脚を折りたたみながら眠っている。別の紙にも似たような生物が描かれているが、こちらはトゲが生えていない代わりに黒い角が一本、額から生えている。

 二枚の紙を見比べながら、その少女は首を傾げ、背後で荷物の山と格闘する父親に尋ねた。


「お父さん、これって何?」


 尋ねられた父親はその手を止め、娘の手にあるスケッチを覗き込む。

 

「ああ、それか。それは青晶狼クリスタウルフだよ。背中のトゲが青い水晶のように見えることからそう名付けられたんだ。それでこっちの角が生えてるのは角狼ホーンウルフだ」

「へえ。そのまんまな名前だね」

「はは……それを言われちゃ何も言い返せないなあ」

 

 娘の率直な感想に、父親は苦笑を返した。

 当の彼女は食い入るようにそのスケッチを眺めている。

 

「お父さん、どうやったらこんな生き物を見られるの?」

「お、興味があるのか?」

 

父親は嬉しそうに笑い、娘の頭を優しく撫でる。

 

「父さんは『探索者』っていう仕事をしててな。いろんなところを旅してるんだ」

「たんさくしゃ?」

 

聞き慣れない単語に彼女は首を傾げる。父親は娘にも分かるように説明を始めた。

 

「探索者ってのは、この都市の外の世界を冒険して、お宝を見つけたり、こうやって色んな生き物を調査する仕事をする人たちのことを言うんだ」

「じゃあ、お父さんも外に行ったことがあるんだね!」

「ああ。いろいろ危険な目に遭ったりもしてるが……楽しいぞ! それに外の世界にはまだまだたくさん生き物がいる。父さんはそいつらがどうやって生きてるのかを調べているんだ」

「すごい! 私も大きくなったら探索者になりたい!」

「そうか、それは嬉しいな。でもな……」

 

 父親は真剣な表情になり、娘の肩に手を置いて向き合う。

 

「……さっきも言った通り、探索者はとても危ない仕事だ。父さんみたいに運良く帰ってこられるとは限らないし、大けがをしたり、命を落とすことだってある。だから……その選択をするなら父さんは止めない。だが、よく考えて決めなさい」

「……うん」

 

 少女は真剣な表情でうなずく。その様子を見た父親は再び彼女の頭を優しくなでた。


「そうだ、これも見せてやろう」

 

 そう言うと彼は荷物の山から筒状の物体を取り出した。その先端には蓋が付いていて、中には丸められた紙が入っていた。

広げられたそれを見た少女は、思わず目を見開いた。

 彼女を包み込めそうなほどに大きな紙の上には、手描きの木々や雪の大地、そしてそこに立つ多くの生物の姿が描かれていた。

 

「すごい……!」

「だろう? 父さんが探索者だったころに作った、この都市の外の世界の地図だ」

「これが、外の世界?」

 

 少女は目を輝かせながら地図に見入っている。その様子を見た父親は、再び彼女の頭に手を置いた。

 

「そうだ。いつかお前が大きくなったら、この地図に描かれている場所に行って、その目で確かめてみるといい。そしていつか、父さんも見た事のないようなものを、たくさん見つけてこい」

「うん! わたし絶対探索者になる! それでね、お父さんがビックリするようなものを見せてあげるの!」

「ああ、楽しみにしてるぞ!」

 

 父と娘は笑い合い、平穏な一夜が更けていった。

 

◆◇◆◇◆◇

 

 安全な居住圏の外──外界フォリス、エドルキア凍原。延々と続く凍った大地には生命の欠片すら見えず、まるで時が止まったかのように沈黙を貫いている。

 そんな彩りのない景色をぼんやりと眺めていた。吹きすさぶ風が頬を撫で、髪を揺らす。

 

「……」

 

 小高い丘から見る世界、どこまでも続く氷の大地は美しいが、同時に酷く無機質で冷たく感じる。どこか現実味がなく、まるで夢の中にいるような感覚に陥ってしまいそうだ。

 やがて、周囲が明るくなり始めた。視線を遠くへ向けると、眼前にそびえる山々と空の隙間から、ゆっくりと日が昇るところだった。オレンジ色の光が山々の輪郭を染め、空がほんのり色付いていく。

 

「きれい……」

 

 その一言が思わず口をつく。安全な都市では見られない、澄み切った朝焼けに思わず目を奪われていた。


「相変わらず早起きだな、ティルア」

 

 不意に後ろから声をかけられた。振り返ると、そこには長身の男の姿があった。


「ブロード教官……」


 私――ティルア・ナンガが所属する見習い探索者パーティの教官を務めるブロード・マカル。革と金属を組み合わせた軽鎧を身にまとい、その肩の上には愛用の槍を背負っている。


「今朝も日の出を見てたのか?」

「はい」

「飽きないねぇ……。まぁ、うちの探索隊じゃ一番早く起きてるし、俺としては助かるけど」


 ブロード教官は傍の岩に腰を下ろすと、タバコを取り出して火をつけた。独特の香ばしい匂いが辺りに広がり、敏感な鼻腔をくすぐる。

 私も近くの岩に腰掛け、持ってきたスケッチブックを開いた。防寒着のポケットから鉛筆を取り出し、眼前の景色を丁寧に書き写していく。

 

「……お前、いつもそれやってるな」

「趣味……のようなものです。外界の景色は美しいですから……」

「確かに都市では見られないし、綺麗な景色だとは思うが……親か兄弟にでも見せるのか?」

「いえ。その……私は孤児なので……」

 

 思わず手を止め、顔をうつむかせる。 

 ブロード教官はバツの悪そうな顔をして頭をかいた。

 

「……すまない、知らなかったとはいえ無神経なことを言った」

「いいえ、気になさらないでください」

 

 私は再び鉛筆を走らせた。

 

「……教官も、こうして日の出を見ることがあるのですか?」

 

 タバコの煙を口から吐き出しながら、彼は首を傾げた。

 

「ああ……。まぁな」

 

 そう言って再びタバコを口にくわえる。

 

「都市じゃこんな奇麗な朝日は見られないから、最初の頃はすごい興奮してたよ。だが、何度も探索で外界に出れば、そんなもんは慣れちまうんだ」

「そういうものなのですか……?」

「直にわかるさ。……ところで、今日の予定は覚えているな?」

「はい。今日はエドルキア地方北部の旧文明遺跡の調査です」 

「ああ、そうだ。先遣偵察班がある程度調査しているが、大まかな構造と魔獣の分布くらいしか判明していない。何が出てきても油断するなよ」

「……はい」

 

 しばらくの間、沈黙が流れる。肌寒い風が陽光にさらされて心地よい風へと変わっていく。

 ︎︎大体の景色を書き終えた時、ブロード教官はタバコをそこらの岩でもみ消し、立ち上がった。

 

「さ、そろそろ準備しよう。朝食を取らんとな……」

「そうですね……」


 そう言って私も立ち上がり、鉛筆をポケットに押し込んだ。代わりに小さな角笛を取り出して口に咥えた。


〈ピイイィィィ……〉


 起床を告げる音が、丘のふもとの探索者たちのキャンプ地に響き渡った。

 こうして今日も探索が始まる。まだ見ぬものを探しに行くために。

 ──そして私に探索者の夢を教えてくれた、父さんを見つけるために。

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フォートグレイシア 井ノ上ダイチ @Land_inoue

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