第13話 はだかの、ぜんぶ

「毒虫ちゃん、私はね。死にたいけど消えたくないの」


 ベッドに座るあたしの目の前に立つアッキちゃんが、タンクトップに手をかける。

 反応をする間も与えてくれず、タンクトップが放られる。


「見られたいけど見られたくない」


 次に、アッキちゃんはショートパンツを脱いで床に落とす。

 止めるな、ってアッキちゃんの目が言ってるから、あたしは動けないでいる。

 とうとう下着姿になってしまったけれど、アッキちゃんは止まってくれない。


「目立ちたくないけどアイドルはしたい」


 ブラトップに手がかかる。

 さすがに止めよう、と声を出す前に、アッキちゃんはブラトップも外してしまった。


「消える日がくるかもしれないなら、作り物でもいいから……」


 最後の一枚が、アッキちゃんの脚から引き抜かれる。


「きれいなあたしを見て覚えていてほしい」


 そう言って、裸になったアッキちゃんが私を見据える。

 あたしは、アッキちゃんの痛々しいまでの決意を前に、何も言えなかった。



「作り物じゃないあたしを見たのは、毒虫ちゃんが初めてだよ」



 彼女は、そうも言った。

 ゴミだらけの部屋をバックに、真っ白なアッキちゃんの体が浮かび上がる。

 胸の中心から、おへその左側まで斜めに傷が広がっている。


 エアコンからしみ出た水が、一定間隔で雑誌の上に落ちる音がする。さっきあたしが、応急処置で置いた。

 アッキちゃんは放っておいたらって言ってたけど、さすがに部屋に水溜りができるのを無視できるほど汚部屋に慣れていない。


 というのは裸のアッキちゃんを目の前にして考えることでもないんだけど、どうでもいいことでも考えていないと頭が沸騰しそうなのだ。

 友だち同士でこの状況あり?

 でも温泉とかいくもんね、あるよね。

 ……あるか?

 思考はずっと高速回転で堂々巡りだ。


「か、彼女、には見せなかったの?」


 声が上ずってるのが自分でも分かって、ダサい。

 気づくとお尻のしたの毛布がくしゃくしゃによれている。無意識のうちに貧乏ゆすりをしていたらしい。


「舞火も、その前の子も、前の前の子も、かっこよくてきれいなアッキが好きだったの。毒虫ちゃんくらいだよ、全部が知りたいとか言ってくれたのは。

最初はさ、タトゥーにあこがれて落書きするみたいなバカで、目立ちたがりで、いかにも陰キャが無理してるって感じのいちご大福だったのに」

 

 黒歴史を掘り起こされて頬が熱くなる。たまらず俯いたあたしの手を、アッキちゃんが引っぱった。

 立ち上がって、ゴミのなかで向かい合う。

 アッキちゃんのデコルテのタトゥーにふれるあたしの手には、もう落書きのタトゥーはない。


「毒虫じゃなくて、そろそろ名前で呼んでよ」


「それは、チェキのときに聞こうかな」


「CD一枚、チェキ一回、会話一分。認知まで遠いなあ」


 ふふ、って笑い声がどちらともなく出た。


「毒虫ちゃん性格悪いね」


「毒虫だもん」


 ふれるだけのキス、を、した。

 素のままの、真っ白な鳥みたいなアッキちゃんをただ抱きしめて、頭を撫でる。

 

「カップ並べて匂わせするよりも、ずっと近くなっちゃった」


「そうだね、でも、まだ付き合ってないし。友だち、だし」


「あは、今はそれでもいいや。ねえ、寝かしつけてよ。今日はすごく、疲れた」


 すでにとろとろに眠そうな顔になっているアッキちゃんが、言うが早いかベッドに潜り込む。

 ファンシーな柄の毛布に包まれて身を丸くするアッキちゃんは、生まれる前にまでさかのぼったみたいだ。丸い額をなでて、肩をとんとんと叩くと、嬉しそうに目を細める。

 枕元に煙草の吸い殻が山程つめこまれたお酒の缶さえなければ、ほんとうに赤ちゃんみたいなんだけど……。


「って、寝タバコするな!」


「なに急に」


「寝・タ・バ・コ! そもそも可燃物だらけの部屋で吸うな!」


「はぁい、でも、どうせ死なないよ」


「死ななくてもだよ!」


 思わず大声をあげると、アッキちゃんはうるさそうに毛布に顔をうずめた。


「死ななくたって、苦しいんでしょ」


「……それはまあ」


「じゃあ、やめな」

 

 もぞもぞ動く毛布の小山を撫でながら、外を見る。日が落ちかけていた。

 試験終わりの開放感から寄り道をしていた、という言い訳を使うにもそろそろ厳しい時間だ。

 規則正しい寝息が聞こえてきたところで、そっとベッドから離れて、ゴミ袋を持って部屋を出た。

 来たときと同様、玄関の資源ゴミたちを崩しながら。




 

 夏休みに入って、何度かアッキちゃんに呼び出されては部屋に通った。構ってちゃんの世話は大変だわ、というのは「言ってみたいだけの愚痴」なので愚痴アカウントには書かない。

 だって本当は嬉しいし。毒虫は自虐風自慢アカウントではない。


 行くたびに部屋を少しづつ片付けるけれど、きれいな部屋までの道のりは遠い。アッキちゃんには生活力というものがゼロだからだ。

 あたしはアッキちゃんの部屋から帰るときに、ひとりで夏の夕焼け空を撮る。

 それをたまに、いちご大福の方にアップロードする。


 静かで満たされた気分で、それを誰が見ても見ていなくてもどっちでもいいって感じだった。

 メッセージアプリでやり取りを出来るようになったあたしは、アカウントをほとんど動かさなくなっていた。

 

 そんなある朝のことだった。


『これから寝るから、六時間後にうち来て』


 アッキちゃんからの連絡を受けて、ちょっと余裕をみて家を出たあたしは、アッキちゃんの部屋の最寄り駅のファストフードで時間を潰していた。

 新作のシェイクが出ていて、せっかくだからという軽い気持ちで写真をとって、いちご大福の方に上げた。

 無言で上げたその写真に、即座にいいねがひとつついた。


「なんだろ?」


 と開いて、いいねを付けてきたアカウントに驚くのと、彼女があたしの横に立ったのはほぼ同時だった。


「はじめまして、いちご大福さん」


 小さなカップのアイスコーヒーを手にした、長身の女の人が微笑んでいる。

 外は暑いのに、紺のパンツスーツを着てしゃんと立っている。足元はピンヒールで、くもりも傷もない手入れの行き届いた靴だ。

 肩につかないくらいのボブの髪は赤みの少ないブラウン。全体的にバリキャリって感じの服装だけど、いたずらっぽくわらう顔の両方の頬にえくぼがあって、それが親しみやすさを覚えさせるような人。

 眩しい輝きを放つわけではないけれど、彼女のまわりにだけ涼しい風が吹いているような人。

 近くの席のサラリーマン風の男の人がちらちらと盗み見るような人。

 要するに、歳上の、嫌味のない美人だ。


 そんな人があたしに何の用だろう、と疑問は持たない。えくぼと、それから耳に光る安っぽいピアスですぐに分かった。


「オンはそういう感じなんだ、舞火さん」


「そう。いつもは若作りの~? ウィッグ?」


 なぜか語尾を上げて話す口調は、キャリアウーマン風のいまの彼女からは浮いていた。


「なんでここにいるの? ていうか、いちご大福になんか用? ネトスト?」


「今日は午前中だけ出社だったの。午後はリモートだから、ちょっとここでやろうかなって」


 そう言って彼女はあたしのトレイをずらすと、勝手にノートPCを広げた。


「質問に答えてないんですけど。ねえ、なんであたしがいちご大福って分かった? なんでこの駅にいるの?」


「さあ? あなたの言う通り、ネトストなんじゃない? 最近アッキに彼女出来たらしいって噂きいたから、どんな子かなと思って。あなたこそ、よく知ってるよね、私が舞火だって」


「分かるよ、アッキちゃんから薄情でダサいピアスつけた元カノさんの愚痴は聞いたから。……アッキちゃんに彼女が出来たって『噂』ねえ。どこの【憤怒】担当さんから聞いたのかしらないけど、あたしは彼女じゃないよ。友だち。でも、元カノさんよりも、仲良しかもね」


「へえ、最近は『そういう友達』にしたんだあ? まあアッキ、重いもんねえ?」


 くすくすと笑う声が耳に不快で、あたしは音をたててシェイクをすすることで対抗した。

 一気に吸ったからか、頭が即座にキーンと痛くなる。

 

「若いねえ~。冷たくて甘い物いっぱい飲んでさあ?」


「うるさいな。ねえ、今更アッキちゃんの周りをうろついてどうなるの。まさかヨリ戻そうっていうんじゃないよね? そっちから捨てておいて」


「ヨリを戻す? まさかあ。冗談言わないでよ」


 舞火は、耐えきれないというように、あっはは! と声をあげて笑う。

 客の視線が集まっているのに気づいた彼女は、すぐに手元を口で抑えたが、手の隙間からは笑い声が漏れ続けた。


「用がないなら、行くね。キモいからいいねとか付けて監視してこないで。後をつけてリアルストーキングしたら通報するから」


「行くのは、アッキの部屋? この近く? 私、教えてもらってないの」


「関係ないでしょ」


「それもそうね、私が興味あるのは、いちご大福ちゃんの方だし」



 腰をあげかけたあたしは、舞火の言葉で動きを止めた。


「ね、時間まだある? 話そうよ?」


「そのムカつく疑問形しゃべりを止めてくれたらね」


「ウケる」


 舞火の耳元で、五芒星のピアスが光った。

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