第10話 俺以外の男を見ないでください
ブルーイット侯爵家御用達の店は、ヴィクトリアも知る人気の有名店であった。
到着するなり丁重に迎え入れられ、ゆったりとしたソファ席で、商品を案内される。
ヴィクトリアは、いくつも並べられた髪飾りの中から、真珠やサファイアを散りばめた櫛形の髪飾りを選ぶ。そこからさらに「見るだけでも」とドレスや靴を並べられてしまった。
「今日は、そこまでのつもりでは」
やんわりと断ろうとしたが「昼食には早いですから、ゆっくりと選んでは」とヒースクリフに勧められて、引き続き品物選びをすることになった。
結局、興味を示したものはすべてサイズ合わせや試着を勧められてしまい、思った以上の時間を使ってしまった。ヒースクリフは店員と談笑するでもなく、お茶を飲んで静かに待っていた。
待たせているのが悪いなと思い、試着の合間にヴィクトリアが話しかけると、心の底から楽しそうな顔で「それもお似合いですね」と微笑みかけてくる。
無理をして合わせているわけではないと、表情を見ればわかった。だが、申し訳無さからヴィクトリアはつい謝ってしまう。
「私の用事に、ものすごく付き合わせてしまって、すみません」
「謝らないでください。あなたのいろんな姿を見ることができて、とても幸せです。これまでお会いできなかった分、全部の季節のドレスを着たあなたが見たい」
にこにこと笑いながら、ヒースクリフは待合の席から立ち上がり、仕立て上がりの既製品の白いドレスを身に着けたヴィクトリアを見下ろす。
「社交界デビューの時期は、そういったドレスを身に着けたんですか?」
「そうですね。去年です、デビュー慣例の白のドレスは。今年は紛らわしいので人前に出るときは着ていないんですが、白は好きなんですよ。家では着ています」
答えているヴィクトリアを、ヒースクリフはひたすら見つめていた。
あまりにも見られすぎている気がしてきて、ヴィクトリアは首を傾げながら「ヒースクリフ……さん?」と声をかける。
「ごめんなさい、見惚れていました。去年は、オールドカースルにいました。帰ってきていれば、可愛らしいあなたを見ることができたのに。一生の不覚です。時間を戻したい」
話しながら落ち込んできたようで、表情に影が差す。いけない、とヴィクトリアは場を盛り上げるべく、明るい声で「見てください!」と注意を引いた。
くる、と白いドレス姿で一回転してみせて、ヒースクリフに笑いかける。
「いまこうして、私はあなたの目の前にいますよ! 今日の最新の私を見ることができるのは、あなたが今日、私と一緒にいるからです。それで良しとしませんか?」
「ああ……。その通りです。去年のあなたを見たかった気持ちは消えませんが、今日のあなたを見られるのは今日だけですからね。ありがとうございます」
ヒースクリフはそう言うと、目に焼き付けようとするかのように、口を閉ざしてヴィクトリアを見た。ヴィクトリアは、頬に血が上ってくるのを感じて、そっと俯く。
(見すぎだと思います……! ラルフが知らないだけで、ヒースクリフはこんなにも女性に興味津々だったということですね。前世では、悪いことをしました。ラルフがぐずぐずせず、ナタリアと早く結婚していれば、ヒースクリフももっと自由に恋愛ができたはずなのに)
今回は、彼を縛り付けるラルフがいないので、恋愛したければすればいいし、両親を泣かせる前に結婚をすれば良いと思う。
そこまで考えて、ふと不安になった。
現在の主であるエドガーは、ヒースクリフの私生活について、どう考えているのだろう。
ヴィクトリアは「ラルフがいない世界なら、ヒースクリフには義理も何もない」と決めてかかっていた。それでも、エドガーとの関係性によっては、ヒースクリフが「エドガー殿下より先に結婚するわけにはいけません」と言っている可能性は捨てきれないのである。そこは要確認、と胸に刻み込む。
ヒースクリフはこれほど真面目に「練習」をして、ご令嬢を口説くスキルを加速度的に高めているというのに、使う場がないのはもったいなさすぎる。
頑張っている以上、本人は自分の縁談に前向きな気持ちになっているはずなのだ。
であればやはり、このまま一気に婚約、結婚までいってほしい。
そのときには、ヴィクトリアは盛大に祝って送り出そうと思う。
(私はあなたを祝いたいんですよ、ヒースクリフ。愛しい人の横で、ぜひ人生最高の笑顔をしているところ、私に見せてください……!!)
気合いを入れ直したヴィクトリアは、キリッとした顔で、ヒースクリフを見上げた。
「いまのヒースクリフ様のセリフは、とても素敵だと思います。ここで、さらにダメ押しの甘いひとことがあると完璧だと思います。私を意中の令嬢だと思って、全力で落とすつもりで口説いてください!」
世間の凡百の男性たちが言う「月の女神」などではなく、もう少し私の心にぐっとくる言葉で、とヴィクトリアは期待を胸に拳を握りしめる。
ヴィクトリアを見つめていたヒースクリフは、瞬きすることもせずに言った。
「あなただけを見ています。俺以外の男を見ないでください」
周囲にいた女性店員やブリジットが、ばたばたと倒れる気配があった。だが、ヴィクトリアはかすかに首を傾げてしまう。これで本当に良いのかな? と。
「その……、条件の提示? 『自分はこうするから、あなたもこうしてほしい』と言うのは、愛なんでしょうか」
ただの束縛では、という気がしなくもない。
悩むヴィクトリアに対し、ヒースクリフは重ねて言う。
「愛です。愛し合うこと、結婚を約束するということは、互いに相手のものになるという意思表示のことです。俺は、そういう形である程度の自由を失うとしても、望むところです。あなたがいれば、それで良い。あなた以外いらない。ヴィクトリア嬢はどうですか。俺では足りませんか」
目を逸らすことなく、真摯な口ぶりで尋ねられて、ヴィクトリアは即答できずに言葉をつまらせた。
(真剣告白! 本当に、口説かれているのかと思いました……! さすが「僕」のヒースクリフは、伸びしろがすごいです!)
もう何度目かの「他のご令嬢だったら、ここでもう完全に落ちている」との感動を胸に、ヴィクトリアはしっかりと頷いてみせた。
「素晴らしいと思います。『練習』でそれだけ言えるなら、ヒースクリフさんはもう免許皆伝ですよ。感動で胸が震えました。今晩、きっと夢に見てしまいます。これから先の人生においても、何度も今日のこの場面を思い出すことでしょう」
最大限の賛辞を伝えたつもりであったが、ヒースクリフはいたずらっぽい表情になり「それだけですか?」と煽るように尋ねてきた。
「それだけ、とは?」
「俺に、きちんとドキドキしてくれましたか」
「しました! 私の中で、本気の相手に言われたいセリフ一位です! 一生心変わりせず愛し抜いてくれそうな、ほどよい執着と独占欲と言いますか。好きなひとにプロポーズとして言われたら『はい』以外の返事はありません!」
ここは褒めて伸ばすところだと、勢いよく答える。
ヒースクリフは、とろけるような笑みを浮かべて、口を開く。
「では、俺に向かっていま、言ってみてくれませんか。『はい』と」
ヴィクトリアは、迷わず言おうとした。
だが、ふと妙な気配を感じて周囲を見回す。その場の全員がおのおの頭を抱えたり胸をおさえたり、その場にしゃがみこんだりしていた。
(どういうこと? 死屍累々すぎない?)
ヒースクリフに返事をする前に、まずこちらは大丈夫なの? と心配になり、声をかけようとしたとき、店員のひとりがトルソーの陰から飛び出して、慌ただしく近づいてきた。
死屍累々の場の空気を不審に思った気配はあったが、ヒースクリフを見つけると、歩み寄って遠慮がちに「通りでお待ちの馬車の件で、少々揉め事が」と耳打ちをする。
すぐにヒースクリフは「わかりました」と返事をして、ヴィクトリアに向き直った。
「確認がありますので、少しこの場を外します。ゆっくりなさってください」
「はい!」
良い返事をしたヴィクトリアを、一瞬だけ目を細めて見つめてから、身を翻して足早に店員とともに立ち去った。
ドアベルが鳴り、店外へと出て行く気配。
「どうしたのでしょう。馬車で揉め事?」
胸騒ぎがしてぽつりとヴィクトリアが呟いたとき、ドアのベルが、もう一度涼やかな音を立てた。
ヴィクトリアのいる位置からは、トルソーや棚が目隠しになっていて、出入り口を見ることはできなかったが、声は聞こえた。
出迎えた店員が、来店した相手の名を口にしている。
「いらっしゃいませ、ようこそお越し下さいました。ベンジャミン公爵令嬢ナタリアさま」
* * *
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます