バケット一つと

一の八

バケット一つと




知多市の岡田という地区がある。


家から少しだけ遠いのだが車でいけばなんてことのない。


そこは、木綿の発祥ということもあり、綿にまつわる店が並んでいる。

細々とした坂道ばかりの場所で車で来るには向かない。


観光地ということもあってか、ちらほらとスマホで道を確認しながら歩いている人もいる。


前から女性3人組が歩いてきた。

なんだか楽しそうな雰囲気で、挨拶をすると一人の女性が大きな食パンを抱えていた。


”まさか”と思ったが、思い当たる店はあそこしかない。


以前にたまたま見つけた、「かもパン」というお店。

店内とてもシンプルでありながら、落ち着いた雰囲気の店でとても心地がいい。


以前に来た時にあんぱんが美味しかった。

一口入れると思わずあんぱんを凝視するほどに美味しかった。


外側の生地がモチモチで中の餡子も甘ったるさもないくらいちょうどいい甘さだった。

口に入れて、思わず「おいしい」って口に出していた。


また、来たいな。アンパン美味しかったな。



そんなこんなで今日、再びこの店に訪れたのである。


またもや時間が夕方近くという事もあり、店内に残されたパンは僅かなものばかりだった。


あんぱん、あんぱん……あん…あっない。


どうしようかな。

アールグレイのなんちゃら。

紅茶は、苦手だしな。


パウンドケーキ。

水分持ってかれそうだしな。


並べられている棚を見る。

これにしよう。

選んだのは、さつまいものパンとバケットを一つ。


店員さんのもう少し早い時間ですと…


ぐっ…


まぁ、しかたない。

また、来ますよ。

お店の人の優しい笑顔に「ありがとうございました」

それだけでもまた来てよかったなって思えた。


パン屋の隣には、おしゃれなレストランが併設されいる。

以前来た時にも気になるなと思っていたが、じっくりとみないままでどんな店か気になっていた。


入口には、メニュー表が並べられている。

前菜がこれで……


ふむふむ


メインがこれで……


ふむふむ


で、お値段は……


ふむふむ

高い!

よく見てみると、特別なコースの案内だった。


それなら仕方ないのかと考えていると。


奥の方から店員さんが近いづいてきた。

「すみません、もう料理の提供の時間が終わってまして。」


なんだか申し訳無さそうな顔をする店員さんに精一杯に愛想笑いを浮かべると。


「よかったら隣のカフェならまだいけるのでよければ」


またそのお隣には、オシャレなコーヒー屋さんがある。


外観からも分かるくらいに落ち着く雰囲気のある店で無性に気になる。

でも、1人だし。


普段ならそんなお店にも敬遠している所だったけど、今日行かなかったらもうこの店に入らないかもしれないな。


そんな事を思ったら、一度入ってみても悪くないのかもしれない。



一歩、また一歩、一歩と店に近づく。


これで3歩進んだなと思いながら、お店の扉の前に。


なんだか緊張していた。

誰もそんな緊張を気にしているわけではないけど。



店内に入ると、思っているよりも広くカウンターのような所、テーブル席。

そのどれもが統一感のある感じがまた店が落ち着かせる雰囲気を作っていた。


店内では何を言ってるのか分からないけど、お洒落な洋楽が流れていた。


店を入ってすぐの所でカウンターがある。

その向こうでは店員さんがいそいそ仕事をしていた。


その前にはドリンクメニューがあり一通りに目を通すと。


オレンジのホットがあるんだ。

こっちのやつは、えっ?

ビールのメニュー表がある。

お酒も提供してるんだ。


今日は、やめておこ。


とりあえずこれにするか。


ブラジルなんとかの…



これください。



「かしこまりました」店員さんは会計を済ませると。


「出来ましたらお呼びしますので、お名前を伺えますか?」


今ってそういうシステムなのかって感心して考えてみると……いや、はじめてだよな。って他にいるお客さん女性二人でたぶんそのまま持ってきても分かるよ。


だって目と鼻の先にあなたいるから。


それでも、店のルールがあるのだから。

それに従わなければと自分自身を納得させ席に着いた。


長いソファーに腰掛けると、バケットを横に置いた。


すると、席の横にはひざ掛けがあった。

小さな心づかいが行き届いているな。

なんだかそんな心遣いに気持ちが少し温かくなった。


しばらくすると、名前を呼ばれる。

渡されたカップは、コーヒーカップというよりも湯呑みのような大きさのもので少しだけ重量感があった。


カップの中の黒い液体は、ゆらゆらと薄く湯気をあげ鼻先に香りをとどけた。

店員さんにお礼を言って、席に戻る。

テーブルの上にコースターとコーヒーカップと置く。


カップを手に取り、飲んでみると口の中で程よくコーヒーの苦みと酸味を感じた。

カップの重みがまたコーヒーの余韻を楽しむのにちょうど良かった。


ふうと少しだけ息を吐いてみる。

なんだか最近は、こんな風に自分をゆっくりと落ち着かせる時間がなかったな。

それほどまでに何かをしていたと言われれば、分からない。

どんな事していたいのかと言われれば、それも分からない。


分からないけど、少しだけなんにも考えなくていい。

この時間が今は好きなんだなって事は分かる。


コーヒーを飲み終えてバケットを持ち、カップを返す。


「すみません。パンを持ち込んで」

「いえいえ。ここのお店持ち込みのパンも食べられるので次回はどうぞ!」


「そうなんですね。美味しかったです。」


次回はバケットと一つとコーヒーにしようかな

バケットを抱えたまま扉を開いて、お店を後にした。






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