第10話

永遠のように長く感じたあの行き道に比べ、帰りは案外すぐに着いた。恐らく家からあのオークション会場はそれほど離れていなかったらしい。




家に着いて、まずシールズから預かっていたナイフをハチに手渡した。


「ああ、落ちてたか」


素っ気なくそう答えたが、ハチは嬉しそうだった。ナイフの刃を手ですーっとなぞると「手入れしないとだな」と言って、部屋の奥へと消えていってしまった。



私はハチについても、この世界についても何も知らないんだなと思った。


自業自得だ。誰かが教えてくれたらいいな、なんて待っていたんだから。受け身で、自分から行動を起こさない、知ろうともしなかった私は勝手に孤独を感じ、勝手にしょげていただけだ。


分かっていた、全部自分が生んだ結果だったってことも。


「ハチ……」


私はハチが消えていった方に向かった。

キッチンの向こうの勝手口を押し開けると、ハチが工具を広げてナイフを研いでいた。



屈んでナイフを研いでいるハチの広い背中を見て私は安心している。なんでだろう。



「ん、ユウ? どうした?」



手を止め、ゆっくり振り返ったハチは首をかしげた。もうどっぷり夜に浸かっていて、外は真っ暗闇だった。いつもなら私はとっくに寝ている時間だ。


そんな私がふいに外に出てきたのだ、ハチは心配そうに立ち上がって、勝手口に突っ立ったままの私の前に来た。



「さすがに、怖い思いをしたから寝られないか」


困ったように笑って、よしよしと頭を撫でる。


「一緒に部屋入ってやるから……」


「ハチはなんで、優しくしてくれるの?」


「え?」


「なんで一緒に住まわしてくれるの?なんで、今日だって助けてくれたの?」



突然の質問攻めに、ハチは目を丸くさせた。



「な、なんでだろうな。最初は、同情だったかもしれない」


「同情……」


「でも一緒に住んで、暮らして、こんなにも穏やかな気持ちになるんだって分かった。俺、人と暮らすのほとんど初めてみたいなもんだから。

そうそう俺はね、ユウがせっせと洗濯をしている姿を後ろから眺めるの、ちょっと気に入ってるんだ」



「だからあんなにじっと見てたの?」



「あ、気づいてた? 俺よりもうんと小さい背中が、ちょこまかと動くのが見ていて楽しかったんだよ。

それと同時に、別に何にもしなくていいのに、もっと肩の力抜いて過ごせばいいのにって思ってた」


「それじゃ私いる意味ない」


「いてくれるだけでいいこともある」


「邪魔って思わないの?」


「思わないよ、誰が思うもんか。

俺、長い間一人で暮らしてきたから大概のことは出来るし、ユウを守るなんて朝飯前だよ? 自分で言うのもなんだけど、かなりいい男だと思うし」



そうやって、自分はこんなこともできますよ、と身振り手振りを交えて語るハチに私はくすりと笑ってしまう。



「ユウは俺の邪魔にはなりたくないと思ってるんだろうけれど、それは違うよ。だってユウは選ぶ方なんだから。俺の方が愛想をつかされないように、つなぎ止められるように頑張らなくちゃいけないんだよ」



ハチは私の手をとって両手で包み込むと、

ぎゅっと力を込めた。ハチの温もりが私の手にも伝播する。



「ハチは頑張らなくていいよ、そのままでも私はハチがいい。……もう帰りたくないくらい、ここに居たい」



この日、私は生まれて初めて心の奥深くから湧き出た気持ちを相手に伝えることが出来た。


誰でもよかった私が、この人がいいと思えた瞬間だった。


頭の上で、ハチがふっと微笑んだのが分かった。

ずっといればいいよ、と彼は言った。

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