第12話

 次の日。朝食を食べ終わった僕達は、リビングのテーブルで向かい合っていた。


「話は分かった。礼を言うぞアルク」


「いえ、そもそも僕がマヌケだったのが原因です。どんな処罰でも言い渡してください」


「アルクは自分に厳しすぎだ。油断していたのはわしも同じ。むしろ助けてくれたアルクを責める道理はない」


 僕を責めるでもなく、むしろ自分の責任だと言わんばかりだ。その寛大さと優しさは魔王だった頃と変わらない。


「それと一つ聞きたい」


「はい、なんでしょう?」


「あの時、わしに願いがあると言っていたな? それはなんだ?」


 そうだった。すっかり忘れていたがそういう話だった。


 だけどこの状況。リビングでゆったり流れる時間の中で、あんな願いを口にするのは憚られた。


 だから――――。


「僕とデートしてください」


 僕みたいな無能で軽薄な側近などいらないと、こんな奴をこれ以上そばに置けないと、心底嫌われたらいい。


 しかしそう思って口にした言葉は、しばらくキョトンとしたティア様にすんなり承諾されることになった。


「仕方ない。側近の頼みだ」


「…………へ?」



 こうして、まったく想定していなかった方向に、話が進んでしまった。




「――――しかしアレだな。こっちの世界に来てしばらく経つが、初めて豊橋を出たな」


「そうですね」


 ティア様と並んで歩く、紅葉が色付き始めた山道。


 ここは豊橋から少し離れた、岡崎市の『くらがり渓谷』という山の中。


 自然豊かな遊歩道のすぐ隣には綺麗な渓流が流れ、テレビで聞いたマイナスイオンというものが出ている気がする。


(空気が美味しい。豊橋は住みやすいけど、たまにはこういうのもいいな)


 耳に入るせせらぎと、木々の隙間から差す優しい木漏れ日に、卑しい心が浄化されてくみたいだ。


「魔界には無い光景だな。……ふふ、悪くない」


 ティア様もマイナスイオン効果のお陰かご機嫌のようだ。


「ところでアルク、どういう風の吹き回しだ? その、いきなりデートだなど」


 戸惑うのも当然だろう。いきなり僕なんかに誘われたら迷惑なはずだ。


「すみません、特に深い意味はないんです。ただ……」


「ただ?」


 ティア様が上目遣いで僕を見上げてくる。その仕草に胸が高鳴るが、努めて平常心を装う。


「たまには何もかも忘れて、ティア様と静かに過ごしたかっただけです」


「…………そうか」


 俯き、立ち止まるティア様。


 きっと引かれただろう。気持ち悪いと思われただろう。だけどそれでいい。僕みたいな醜く無能な吸血鬼、ティア様のそばにいるべきじゃないんだ。


 しかし――――。


「……ん、少し歩き疲れた」


 そっぽを向き、ぶっきらぼうに差し出された華奢な手。その手が意味することに気が付き、僕はこれが夢じゃないかと錯覚した。


「おいアルク、いつまで呆けておる! 早く手を出せ! デートとはこういうものじゃないのか⁉︎」


「…………失礼します」


 温かく、柔らかい手。その感触に溺れそうになっていると、グイっと手を引かれた。


「ほら、早くニジマスとやらを食べに行くぞ!」


 歩き疲れたと言う割に、ぐんぐん先に行くティア様。そんなティア様に引っ張られながら、僕は一歩一歩を噛み締めたのだった。



 遊歩道を登った先の受付らしい小屋に到着した僕達は、時期ギリギリだったニジマスの掴み取りを終え、店員のお爺さんが焼いてくれた塩焼きを堪能した。


 渓流を見下ろすように建てられた小屋のバーベキュー場には、僕達以外にも複数の家族やカップルが楽しそうに談笑している。


「ふぅー、実に美味であったな。塩をまぶして焼くだけで、あれほどの味になるとは思わなかった」


「まったくです。泳いでる魚を捕まえるのは大変でしたけど、その苦労も吹き飛ぶ美味しさでした」


「うむ、わしは大満足だ。感謝するぞアルク」


「もったいないお言葉です」 


 他愛無い会話。ティア様と過去に幾万と交わした言葉に、新鮮さと喜びが混ざっている。


「しかし本当に驚いたぞ? アルクの口から、デートなんて言葉が出た時はな」


「…………すみません、その言葉は忘れてください」


 自分で言ったくせに取り消したい。もっと別の言い方があったはずだ。


(でもティア様に嫌われるためだったし、他の言葉が思い浮かばないな。そもそもティア様が了承してくれるなんて、欠片も思ってなかったし……)


 後悔――はしていない。結果的に今の時間があるわけだし、ティア様も満足してくれてるみたいだ。


 だけどこれじゃ僕の本来の願望とはまったく違うものになっている。


「いや、忘れるのは無理だろう。覚えてない部分はあるが、多分わしの人生初デートだ。何よりニジマス美味しかったし」


「そっちですか⁉︎」


「ふふっ、冗談だ」


 冗談めかして言っているが、半分は本気な気がする。塩焼きを食べていた時のティア様は、本当に幸せそうだった。


 そして今のティア様は――僕の顔をじーっと見つめていた。


「ん? 僕の顔、何か付いてます?」


「な、なんでもない! 気にするな!」


 ぷいっとそっぽを向かれた。


 口元とその周辺を触ってみる。食べカスは付いていない。付いてるのは鼻とか目とか、顔のパーツくらいだ。


「……やっぱり僕、気持ち悪かったですか?」


 きっとそうだ、そうに決まってる。こうなったら身体変化で顔を変えるか、マスクで常に顔を隠して生きてくしかない。


「ち、違う! 最近のお前はどこまで卑屈なんだ! もっと自信を持て、お前の顔は十分整っておるわ!」


「はは、ティア様は優しいですね。けど無理しないでください。僕のことは僕自身が一番分かってますから……」


 魔力を顔に集中。顔のパーツをグネグネ動かしながら、雑誌で観たお笑い芸人をイメージする。せめてティア様に笑ってもらいたい。


 しかし顔を変えている途中で、ティア様が僕の顔をガシッと掴んだ。


「や、やめろバカ! そのままで良い! 命令だアルク、顔を変えるな!」


「……分かりました。ですがティア様、他の人達にガン見されてるので、その……」


 ティア様が周囲を見渡す。他の席の人達は僕達に視線を集めたり、連れの子どもに「たー君は見ちゃダメ」と目を隠している。何か誤解を生んでいるんだろう。


「〜〜ッ! い、行くぞアルク! ここを出るぞ!」


 慌てて僕の腕を引っ張るティア様は顔を赤くしている。僕もティア様に腕を引かれるまま、この場を後にした。



「――――ティア様、何か怒ってます?」


「……怒ってなどいない」


 下りの遊歩道。僕は変わらずティア様に手を引かれ、デコボコの山道を歩いていた。


 あれからティア様は僕と顔を合わせてくれない。僕が何か聞いても、ずっとこの調子だ。


(やっぱり僕がダメだから怒ってるんだ。……だけどこういうティア様、久しぶりに見たな)


 古い記憶を思い出す。


 あれは僕が側近に任命された頃、ティア様は今みたいに、僕に対してだけ素っ気ない時期があった。


 あの頃の僕は、自分が不甲斐ないせいだと毎日自分を追い込み、側近の名に恥じないようにと魔法や魔力の修行に明け暮れた。


(懐かしいな。あの頃はどうしたらティア様が笑ってくれるか、よくシレンダさんに相談してたっけ。……そのシレンダさんが、どうして…………)


 急に沸いた悲しみとも哀愁とも言えない感情。その感情のまま、本当になんとなく、左手に流れる渓流に目線を移した僕は――その場で固まった。


「ちょ、アルク、急に止まるな!」


 ティア様の抗議も耳に入らない。


 水際に転がる大きな苔むした岩。その上に立ち、僕達を眺める黒髪の人物に目を奪われていた。


「おいアルク……? いったい何を見て…………は?」


「どうして、ここに……?」


 僕の視線を追ったティア様もその場に固まる。


 流れるような目付きと綺麗な黒髪。メイによく似た、だけどより質の高い生地で造られたメイド服に身を包んだ女性。僕が描いた似顔絵と、なんら変わらない姿の人物がそこにいた。

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