第2話

 僕の故郷は何もなかった。


 長く続いた魔王同士の争いは男女問わず大人の魔族を消費し、その村に残されたのは僕――忌み嫌われ、迫害された吸血鬼の最後の一人だけだった。


 食糧は尽き、残された家畜の血も吸い尽くし、空腹すら感じなくなった僕は、暗雲の下、ただ死ぬのを待っていた。


 体に力なんて入らず寝返りすら打てない。


 大気に溶け込む魔素だけが、僕の命を細々と引き延ばしていた。



 ――彼女に出逢ったのは、そんな時だった。



『朽ち果てた村、か……何も無いが統治したものは仕方ない。シレンダ、一応ここも地図に記し…………ん? おい待て! 子供が倒れているではないか‼︎ おい貴様、息はあるか⁉︎ 生きておるなら返事をせい‼︎』


 ボヤける視界と意識の中、僕は生まれて初めて誰かの温もりを感じた。


 僕を見つけたのは若く美しい魔王様だった。


 地面に付きそうなほど長く美しい白銀の髪と、頭に生えた二本の赤い角。血のように真紅の瞳を携えた、凛々しく美しい顔立ち。白く透き通るような肌と魅力的な肉体を包む漆黒のドレス。


 そんな絵に描いたような美女魔王様に、僕に初めて温もりを与えてくれたティアマト様に、僕は残りの人生を全て捧げると決めた。



『――おお、歩けるまで回復したか。重畳だ』



『――忌み嫌われた吸血鬼? それがどうした。わしには関係ない』



『――あの子供がいつの間にか成長したな。これから楽しみだ』



『――お前にこの執事服をやろう。破れても、お前の魔力に応じて修復される一品だ』



『――お前……いや、アルク。アルクは今日からわしの側近だ。いっそう尽くし励め』



 それから僕は全てを魔王様に捧げ、また魔王様も僕を信頼してくれた。


 僕以外の家臣、侍女魔族長のシレンダさんを始め、他の魔王を倒し手に入れた領地出身の家臣達も、みんな魔王様を敬い心を寄せていた。


 いつの間にか、他の魔王は全ていなくなっていた。


 魔界史で初めて魔界を統一した強く美しい魔王。


 領民達に領地を均等に分配し、働きに相応わしい報酬を与えた。種族による差別や迫害を嫌い、時々迷い込んできた人間にも分け隔てなく接した。


 ――――気が付けば、僕が魔王様に拾われて500年が経とうとしていた。



「さて、そろそろ魔王様を起こすかな。今日の予定はジュルグム地方の監査と市長のアーデングリフィさんに財政状況と困り事を聞いて、それから……」


 魔界の朝。


 晴れていても薄暗い空。そこから魔王城の廊下に射す薄い朝日を横ぎりながら、僕は魔王様の寝室に向かっていた。


 魔界の中央に建てられた煌びやかな城は、見て回るだけで半日くらいかかってしまうほど大きい。


 そんな城だからこそメイド魔族のみんなは朝から箒や雑巾を持ち、だけど楽しそうに鼻歌を口ずさみながら掃除に励んでいる。


「あ、アルク様おはようございますニャ」


「うん、おはようメイ。今日も朝から元気そうだね」


 僕に話しかけてきた魔猫族メイドに返事を返す。肩まで伸びた紫のフワフワした髪から、猫耳がピョコピョコ跳ねている。


「もちろんですニャ。魔王様と、そしてアルク様に仕えることこそ私の喜びですから」


 銀縁の眼鏡をクイっと持ち上げながら、誇らしげに大きな胸を張るメイ。まだ若いはずの彼女だが、見た目だけはクールな美人といったところだ。


「ほら、語尾のニャを忘れてるよ? 魔猫族だからって無理にキャラ作りしなくてもいいんじゃない?」


「な、なんのことでしょう……ニャ。あっ、炊事場の掃除忘れてたのでこれで失礼しますニャ!」


「うん、お掃除ありがとう。頑張ってね」


「んニャ!」


 そそくさと離れていくメイに、僕は「あ、逃げたな」と小さく呟いたのだった――。



 あれから少し経ち、魔王様の寝室に続く大回廊も終点が見えてきた。そもそも側近のはずの僕の自室が、魔王様の寝室からこれだけ離れてるのは変だと思う。もし何かあった時にすぐ駆け付けることもできない。


 何度か魔王様に掛け合ったことがあるが、いつも『お前は自分の名を噛み締めよ。一歩一歩噛み締めて歩くのはいいことだ』という意味不明な返事が返ってくる。


(まあ今の魔界は平和だし、魔王様をどうにかできる魔族なんて存在しないから大丈夫だろうけどさ)


 それに寝る時以外は大体そばにいる。けどやはり部屋がこれだけ遠いのは少し複雑な気分にならないこともないのだ。だって僕は――。


「お、兄貴おはざーす! 魔王様起こしに行くんすか? 毎朝こんな距離大変っすねー」


 思慮に耽りながら歩いていると背中越しに明るい声をかけられた。振り向かなくても誰か分かる。僕を兄貴と呼ぶのは一人しかいないからだ。


「おはようカスケード。ほんと、毎朝困っちゃうよ。もう少し近い部屋に引っ越したいくらいだ」


「なははは! そりゃ仕方ないっすよ! 俺も兄貴も男なんすから!」


 そこに立っていたのは赤髪と黒い瞳の人物。僕より頭二つ分高い身長に、カラフルでラフなシャツと膝までの短いズボンを着た鬼人カスケードだ。


 その奇抜な格好はこの城の中でも群を抜いていて、だがただでさえ頑強な鬼人の中でもずば抜けて高い身体能力を有しているため、家臣の中にカスケードを知らない者はいない。


 純粋な肉体の強さなら、素の魔王様をも凌駕する怪力お化けだ。


「それはそうだけど……けど魔王様、そういうの気にしてないと思うんだけどなぁ。少なくとも僕にそういうこと話したことないし。…………あれ? もしかして僕、魔王様に嫌われてる?」


「だったら常にそばにいさせないでしょ。相変わらず兄貴は鈍感っすね」


「全然鈍感じゃないしむしろデリケートだけど?」


「なはは、まあそういうことにしときましょう」


 やれやれと首を横に振られた。僕を兄貴呼ばわりするくせに、たまにこういう態度を取るのもカスケードらしい。


「なんか納得できないけどいいや。早く魔王様を起こしにいかなきゃだし、カスケードも城の警備頼んだよ?」


「ういっす! この城の秩序と安全は俺に任せてください!」


 ビシッと大袈裟な敬礼をお見舞いされた。だが次の瞬間には、カスケードはどこかに消えていた。おおかた身体能力にモノを言わせて走り去ったんだろう。元気な鬼人だ。


 ともかく、これで魔王様の寝室まで誰の姿もない。回廊を再び進み、侍女魔族長シレンダさんの部屋の前に差し掛かった。


(あれ? 今日はシレンダさんと会わないな。珍しい)


 見慣れた黒髪美女がいないことに違和感を覚える。魔王様が最も信頼し、僕なんかよりもっと昔から魔王様に仕えていた最古の側近だ。


 いつもなら僕がこの辺りまで来るとシレンダさんが何気ない顔で部屋から出てきて、一緒に魔王様の部屋の扉をノックするのがルーティンになっている。


 それでも朝に弱い魔王様だ。ノックで起きない時はシレンダさんが扉を開け、シーツに包まる魔王様を直接起こすのもよく見る光景だ。


(何か魔王様から命令を受けてるのかも。仕方ない……お願いします魔王様起きててください)


 高い回廊の天井。その天井まで届きそうな大きな扉の前に一人で立つ。少し緊張しているのか心拍数が上がり、小さく咳払いなんかもしてみる。


「……魔王様起きてください。朝ですよ」


 ノックと共にあげた声。動揺も緊張も一切感じさせないだろう声色で、いつも通りの声掛けをしてみる。


「………………返事なし、か。仕方ない、朝に弱い魔王様が悪いんですからね」


 慣れないシチュエーションのせいか小さく震える手で、努めて静かに扉を開ける。


「魔王様ー、朝ですよー?」


 回廊の明かりが薄暗い部屋に差し込んでいく。その明かりを頼りに部屋の両脇にある窓に近付き、閉ざされたカーテンを開け放ってみた。


「んん……まぶし……い……眠い……」


 そこでようやく聞こえたのは眠気をたっぷり含んだ魔王様の声。普段より幼く聞こえる声色は寝起きのせいだろう。


「ほら、そろそろ起きてください魔王様。今日も朝から予定が詰まってますよ」


 部屋を占拠する大きなベッド。天蓋から覗く真っ白なシーツの中央には、薄手の毛布に包まった小さな膨らみが出来ている。


「もう少しだけ……寝させろ……」


 その膨らみから聞こえた声に違和感を覚えた。やはりいつもの魔王様の声と違う。声質は同じだが、いつもより幼い印象がどうしても拭えない。


「――魔王様、後で殴ってもらってもいいので……失礼します」


 その不安を払拭したくて、ベッドに体を乗り上げた。ゆらゆら揺れる膨らみに手を掛け、ゆっくりと毛布を剥がしてみる。すると――――。


「ぐえ……おいアルク、何のつもりだ? シレンダはどうしたのだ?」


「ま、魔王……さ……ま…………?」



 そこには見慣れた美女魔王様ではなく、魔王様そっくりな、可憐な少女が僕を睨んでいた――――。

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