バス停のキミ

毛布 巻男

第1話 最寄りの光

 ここは片田舎のとあるバス停。


 駅へと向かうバスにも関わらず、いつも閑散としている辺鄙へんぴなバス停だ。

 そのバス停に毎朝同じ時間に立つ男がいた。今時にしては珍しく、待っている間スマホも見ずに流れる雲や鳥、たまに通る車なんかを眺めている。


 彼にとってはこの時間がいこいの時だった。日々の雑音から切り離された1人だけの時間。考え事をすることもあれば、何も考えずただ今を感じることもある。哲学のような、瞑想のような、そんなひと時。


 この日もそんな時間を過ごすはずだった。


 少なくともあの声が聞こえるまでは。






「何を思っているのだ、少年」


 物思いにふけっていた男は、人が接近していることに気が付かず、真横から聞こえた女性の声に体をビクリとさせる。

 すぐに我に返り、聞こえた言葉を反芻はんすうしていた。


 少年? 少年とは誰の事か。男の周りには他に人影は見当たらない。


「あ、違うか。何を思う。青年よ」


 今度は青年?

 男はそっと、声の主を覗き見た。

 白のシャツの上に黒いオーバーサイズのジャケットを羽織り、タイトな明るいグレーのパンツを履いた女性が堂々と立っている。少し茶色味がかった髪は、肩の辺りから綺麗に内側に巻かれていた。

 微笑んだその顔は、恐ろしいほど美しく、そしてその目は真っ直ぐに男を見つめている。


「え、あの、僕のことですか?」


「君以外に誰かいる?」


「あの。僕、青年って歳じゃないかなって思うんですけど……。ましてや少年はありえないかと」


「わかるよ。こんな美人なお姉さんに声かけられたらビックリしちゃうよね」


「え、ビックリはしてますけど、そんなこと言ってな」


「君さ。このバス停が特別だって知っているかい?」


 話を遮られた男は、狼狽うろたえながらも首を横に振り否定する。女は続けた。


「太陽から最も近い恒星は何だかわかるかい」


「いえ」


「ケンタウルス座のαアルファ星さ」


 女は空を見上げながら更に続ける。


「ケンタウルス座のα星系には複数の星があるんだ。α星A、α星B。安直な名前だろう。そしてもう一つ、肉眼では見ることが出来ないが、太陽と最も近い恒星であるプロキシマ・ケンタウリだ」


 男も釣られて空を見上げる。晴天の空は、青と白のコントラストがとても美しい。

 しかし女の話はまだ見えてこなかった。


「えっと、その星がどうかしたんですか?」


 女は男を向き直り、自信ありげに頷く。


「次のバス、君が乗るバスが到着する時刻。そのタイミングでこのバス停の真上、つまり看板が伸びるその先に、プロキシマ・ケンタウリが来るんだよ」


 男は女が指差すバス停の立て看板を振り返る。

 四角い時刻表の上に、停留所名の書かれた丸い鉄板がついている、よくあるバス停の看板だ。


「あの、それって凄いことなんですか?」


「凄いなんてもんじゃない。奇跡だよ」


「そうなんですね」


 男はよくわからなかったが、何か奇跡的なものに立ち会っている様に思えて、再び空を見上げた。

 バス停を包むように、春の心地よい風がふわっと巻き起こる。


「何十年かに一度、起こるような事なんですか?」


「ん? さあ?」


「え、あぁ、周期とかがあるもんでも無いんですかね。すいません。詳しくなくって」


「知らないよ。私だって詳しくないんだから」


「え? そう言う天文とかなんかの専門の方ではないんです?」


 女は、はぁと深いため息をつく。


「君にとってこのバス停は最寄りのバス停だろう? あの星、ケンタウリは太陽にとって最寄りの星、最寄りの光なんだよ」


 満足げな表情の女がゆっくりと頷く。


「つまりはそういうことさ」


「いや、全然わからないです」


 雲行きが怪しくなり、男は怪訝な表情をした。

 目の前の女性は何者なのか。天文の専門家でないとしたら……。占星術を学んだ人なのかもしれない。


「あの、じゃあ占い師とかそっち系の方ですか」


 女の顔が曇る。


「君は占いなんてものを信じているのか」


「いえ、信じているとかでは無いですが、なんかそういうものもあるのかなぁと」


 女は手を横に広げ肩をすくめた。


「やれやれ」


(こんな模範的な"やれやれ"をする人、実在するんだ!)


「折角だから覚えておくといい。占いというのはね、コールドリーディングとバーナム効果を活用した適当語りだよ」


「コールド? 何ですかそれ」


「知らないならいいさ、一言で言えばハッタリみたいなもんさ」


「そうなんですか……」


 その時、男は目の端に見慣れたバスを捉えた。

 何となくバスに乗る前に決着をつけておきたいと思っていた。


「あの、じゃあどうやって星が真上に来るってわかるんですか」


「えんみだよ」


 女は間髪入れずに答えた。


「えんみ?」


「今朝、味噌汁を飲んだんだ。毎朝飲む味噌汁さ。けど今日のは味が違っていてね、豆腐と金属と牛肉、その中間みたいな味がしたんだ」


「あ、えんみって"塩味えんみ"の事ですか」


「そう、その塩味だ。わかるだろ、明らかにケンタウリっぽさがある、間違いなく来ているよ」


「え? 根拠ってそれだけですか?」


「それだけとはなんだ。十分な根拠になるだろう。ケンちゃん来てるよ」


「け、ケンちゃん呼び!?」



 ピピンピピン、と言うバスが停車する音がその場に響く。いつもと何ら変わらないくすんだ緑色の車体のバスが目の前に止まった。


「君にもわかる時がくるはずさ。恒星の味ってやつがね」


(いや、来ないだろう……)


 そう思いながら男は乗らないわけには行かないので開かれたドアからバスへと足を踏み入れる。慣れた手付きで交通系ICカードをかざす。ピピっと読み取り音が鳴る。

 バスの中でも話しかけられたら嫌だなと思いながら、ふと振り返ると、そこには誰もいない。開かれていたバスの扉はブザーを鳴らしながらパタリと閉まった。

 男はバス停を見るが、そこにも女の姿は無い。男はキョロキョロと周囲を見渡したが、他の乗客たちは彼のことなど気にも留めていないようだった。




 バスが発車する中、男がふとバス停の向かいの通りに目をやる。そこには、自動販売機に真剣な眼差しを向け、顎に手を当てている女の姿があった。


(バス乗らないのかよ!!)

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