24
3Dモデルができ、人生初ライブを行ったすぐ後――2022年の春から夏にかけて。
津結、は。
***
「……っ、すみません。少し、休ませて下さい」
顔を青ざめさせ、
無理もない。相当仲の良かった妹のことをこれ以上思い出すのは、酷というものだろう。なにせ、
『燻離は、妹の死体の第一発見者である。
自室の右の方にある妹の部屋から、いつもの歌声が聞こえないと不思議に思い、扉を開け、妹の首吊り死体を見つけた。』
何をどう調べたか分からないが、あのスパイプログラムから出力された結果には、そう記されていた。
妹、合歓垣津結はライブの後、イラストレーター兼3Dモデラーの男性との不倫を疑われる。結局その騒動は、相手が明らかにされないまま終わってしまい、だからこそ相手が合歓垣津結なのではないかと噂が立ってしまった。
結果起きたのは、心無い言葉――誹謗中傷。
ライブで数多くの賞賛や応援を浴びた直後に、彼女は数多くの悪意や罵声を浴びせられることとなった。
まさに天国から地獄。なおのこと、彼女には響いたことであろう。
それでも、彼女には味方がいた。動画のコメントや匿名掲示板で、誹謗中傷をする者と戦う者が数名。
最早、ファンというか信者というか――義勇兵、と称した方が正しいかもしれない。何があっても、どんな証拠を提示されても、何かと否定をし、あらゆる反証を示し、レスバという名前の戦争に身を投じ続けた。
しかし、あまりにも多勢に無勢。わずかな義勇兵の抵抗ごときでは誹謗中傷を潰しきれず、逆に叩き潰されてしまった。
その中でも最後まで戦い続けたのが、『もくもく』というユーザーネームの義勇兵。その義勇兵は、ある日までずっと戦い続けていた。
2023年4月1日。
それは、合歓垣津結の死亡日。
期せずしてエイプリルフールの日に、彼女は死んだ――嘘ではなく、本当に。……現実に。
「……君のハンドルネーム。もしかして、『もくもく』という名前だったりしないか?」
私は思わず尋ねた。燻離は、力無く頷いた。
「……戦い続けなければ、良かったんです。戦い続けなければ、根も葉もないあの不倫の噂は、時間と共に消えたって言うのに」
燻離学生は、その事実を蒸し返し掘り返し続けた。何よりも、妹の無実のために。
しかし、それが妹を長く苦しめる原因にもなっていた――と燻離学生は、ほとんど泣きそうになりながら続ける。
「……津結は。あの、クソみたいな誹謗中傷を受け続けて、明らかにおかしくなりました」
これ以上無理はするな、と言おうとして、やめる。私はそのまま、燻離学生の気の向くまま続く話を、ただ聞くことにした。
「アレだけ好きだったはずの歌を、どんどん、歌わなくなりました。エネルギーが、枯渇していくような感じで。表面上は大丈夫そうに、振る舞ってたんです。でも、その内、目の光が、なくなってて。明らかに、食べなくなったし、家からも出なくなった。それでも、気丈に……笑顔だけは、向けてくれてて」
……想像を絶する状態だ。
「だから私は、津結を助けたいと思ったんです。居場所を取り戻して、あげたかったんです」
「……それで」
とった手段が、掲示板での
それを、燻離学生は使った。
「津結は3Dモデルにお金を払ったばかりで、もうほとんど手持ちが残ってませんでしたから。私が、何とか工面したんです。知ってますか、感惑准教授。開示請求にかかる月数を」
9ヶ月。
気の遠くなるほど、長い時間だ。
それでも待った。合歓垣津結はその期間中に、配信活動の休止を発表する。
「知ってますか、感惑准教授。開示請求をするために、弁護士さんに払う金額」
安くても数十万。高くて、100万。
燻離学生からすれば、ものすごい大金だ。
「でも、支払ったんだな」
「妹を、助けたかったので」
それでも、無駄になった。
『開示請求、でしたっけ? もうやりましたよ。でもダメだった。だからここに居るんです。』
1ヶ月ほど前に、燻離学生がそう言ったのを、私は覚えていた。
「しかし、何故うまくいかなかったんだ? 開示拒否をされた訳ではないんだろ?」
「ええ、勿論。開示は通りました。その相手が問題だったんです」
無敵の人、って知ってますか。
燻離学生は、そんな質問を投げかけた。
「全てを失ってしまい、または元から何も持っていないからこそ、これ以上失う者がない人……だったか」
そういう意味で、まさに敵無しの人間。
或いは、味方無しの人間。
それ故、傍若無人に、何にでも手を染めてしまう人間。
「ええ。まさに、相手がその『無敵の人』でした。開示して、相手から何を言われたと思いますか? 『俺は何も持ってないぜ。罰金でもなんでも、とれるもんならとってみろや!』……あの時、初めて私は、人を殺したいと思いました――コイツをここで殺してやろうと」
いや、思っています。今でも。そんな勇気は、無いけれど。
……燻離学生は、そう訂正する。
『誹謗中傷って、人を殺すんです。
奴らがしたのは人殺し――その人の将来の可能性まで含めて、命を丸ごと殺す重罪です。
だから私は復讐したい。有体に言えば、奴らを社会的に殺したいんです。』
燻離学生の言葉が、脳内で再生される。
社会的に殺す。
それ故の、スパイプログラム。
「……スパイプログラムを入れたら」私は再度、繰り返す。「すやりはアイドル活動を続けられなくなる。確実に、アイドル生命が終わるぞ」
「終わりませんよ」
「私は――慈愛リツは、それで終わりを迎えたんだ!」
「大丈夫ですよ」
「何が!」
「終わるのは、私だけですから」
……何を言っているのか。
本当に私は、理解ができなかった。
「音夢崎すやりは、殺させない。すやりには、普通にアイドルとして生き続けてもらいます。死ぬのは、私だけ」
「……どういう、意味だ」
「そのままの意味ですよ、准教授。……ご大層な頭を持ってるんですから、少しは考えて下さい」
まあ、良いですけど。
燻離学生は、そのまま続けた。
「すやりには、スパイプログラムをインストールしてから、自律AIアイドルとして初のライブをしてもらいます。そうすれば、コメント欄には必ず、誹謗中傷するヤツが現れる。これは絶対です。1ヶ月半前のツイートにも、ご丁寧に現れてくれましたから。熱心な
合歓垣津結は。
「何もできない無力さを呪っていました。自殺を選んでしまった弱さを悔やんでいました。でも、それでも、アイドルは楽しかったと言っていました。アイドルを――話すことを、皆でワイワイ遊んで楽しんで楽しんで楽しみながら、もっと自分の歌を世界に届けたかったと。そう、書いてありました」
でも、それは叶わなかった。
だから。
「私が叶えてあげるんです、自律AIとしての生を与えることで。だから、感惑准教授。だからですよ。あなたを脅して、私の知り得る限りのすやりの人格や人生をその自律AIの中に詰め込ませて、音夢崎すやりという1人の人間を作り上げてもらおうとしてるんです。素晴らしき日々を、
勿論。
「貴方にも死んでもらいます、感惑准教授――恩はありますけど、すやりにとっては邪魔者でしょうから。……ああ、別に私が殺す訳じゃありません。スパイプログラムを流出させたとあっては、きっとあの男達が黙ってないでしょうからね」
……私は。
もう、なんの言葉も出なくなっていた。
コレは、報いなのだろうかとさえ思った。
人格を持った
だが。
だからと言って。
燻離学生が死んで良いなどと、思っていない!
これ以上、私の技術のせいで、人を死なせてなるものか!
そんなのは、もう、ゴメンだ!
「……させん」
私は咄嗟に、スパイプログラムの入ったPCを抱えた。
「させんぞ、そんなことは、断じて!」
「良いんですか、そんなことして」
燻離学生は、スマホを取り出した。指先1つで私の身を破滅させる、何よりも強力な兵器。
だが。
「連絡するならすれば良い」
どうでも良かった。
私が消えて、彼女が生き残るのであれば、それでも良かった。
今の私は、不思議と死が怖くない。
きっと義勇兵の心持ちは、こんなものなのかもしれないな、と思った。
「その時は、このPCを破壊する。スパイプログラム諸共」
「……っ、卑怯者!」
燻離学生は怒鳴った。
「私の可愛い妹の仇を討つことが、そんなに悪いことかよっ!」
だが。
「悪いかだと? 悪いに決まっている!」
私はもう、恐れない。
「そもそも君の妹は、君に復讐して欲しいと頼んだのか! 君の口ぶりからすれば、君の妹はただ、自らの弱さを後悔しただけじゃないのか!」
だからもう、止めない。
「確かに誹謗中傷をした奴らは、裁かれるべきだと思う! 裁きたくなる気持ちも分かる! 私には経験がないから、本当の意味で理解することはできないが、それでも共感はできる! 妹を死に追いやった奴への殺意も! 妹を守れなかった無念も、後悔も! 長い間、そうしたやり場のない感情に苦しめられたことさえ! だがな!」
止めない。全て、言い尽くす。
ここしか無いのだ。彼女を止める機会は、ここしか。
「お前のその復讐は、何にもならない! 残酷だが、本当に何にも! いいか! たとえお前が全ての罪を被って悪人として死んだとて、合歓垣燻離と音夢崎すやりとの繋がりが世間で認知され続ける限り、すやりもまた悪人として認知され続ける! それで、『今は亡き妹に、素晴らしき日々を送ってもらう』だと? 馬鹿言え! 最悪な日々の幕開けでしかない!」
そんなことも分からないのか、と言いかけて、やめた。
そんなことも分からないから、こんな馬鹿なことをしたのだ。
「こんなの、妹への
それでも。
私は一瞬、躊躇った。
だが、言うことにした。
「お前はただ、妹の死を理由に、妹の仇討ちを大義に、ただ自分の気持ちをスッキリさせたかっただけじゃないのか! そんなことをした後に自殺だと! ふざけるのも大概にしろ!!」
…………。
……言い過ぎた、のかもしれない。
アレだけ喰らい付いてきた燻離学生が、すっかり黙ってしまった。
私も、息継ぎするのがやっとで、次に継ぐべき言葉を見失っていた。
だが、説得のために言葉を継ぐ必要だけは、少なくとも無くなったように思う。
「……」
燻離学生は黙ったまま、スマホを持つ手を下ろした。それから、涙を床に落とし始める。
「…………っ、ぅ」
燻離学生は、声を堪えて泣いていた。
妹のために全財産も未来も
いや……自覚していたのかもしれない。心のどこかで、きっと。
だから、私という外部から図星を突かれ、何も言い返せなくなった。
この後、彼女はどうなるのか。
生きる意味を失って、失意の内に死ぬのか。
それでも私は、燻離学生の暴走を止めなければならなかっただろう。私が間違っているとは、思っていなかった。
故に。
彼女を糾弾した私には、彼女を慰めることなど、できやしない。彼女が歩むかもしれない破滅への道を、阻むことなど――
ピリリリリリリリリ。
――突如。
燻離学生のスマホが鳴った。
ビックリしてスマホを落としそうになるも、慌ててキャッチし、画面を見る。
「……江戸、さん?」
江戸。
唐突に私の中に、ひとつの名前が浮かんだ。
江戸紋土。
スパイプログラムで探った、フリー記者の名前。
……江戸紋土。
その名前を、検索するように指定したのは。
燻離学生は、電話に出た。
「も、もしも――」
『ハロ〜。初めまして、合歓垣燻離。そして昨日ぶりだね、思態感惑准教授』
聞き覚えのある、声。
紛れもなく――影浦國義の声!
『お前らを消しに来た。とりあえずさ。いいから、ここのドア、開けろよ』
コンコン。
研究室の、ドアが鳴る。
(Chorus END.)
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