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絶対不屈の、
拍子抜けだ。もっと突拍子もない、途方のないことを言うと思っていた。
誹謗中傷は受けたくない、しかしアイドルは続けたい――そんな想いが結実して極端化すれば、確かに人間の肉と精神という牢獄から解き放たれた
しかし、それでもやはり、自殺する推進力としては大分弱い気がしてならなかった。誹謗中傷が辛いということは、私も理解しているが、一体何が、彼女をそこまでの狂気に進ませるのか。
そしてもう1つ。
もしアイドルを目指しているのだとすれば、私の開発しているモノを知っていてそれでもなお、それをインストールさせようとするだろうか――という疑問も湧く。
いや――そもそも、知っているのだろうか。
「……君は」私は、訊いてみることにした。「今、私の開発しようとしている技術を、どこまで知っている?」
すると燻離学生は、「技術の仕組みはさておき、概要だけは」と前置きしてから、サラリと答えた。
「相手の防御を突破し、文字通り全てを暴き、しかしその痕跡を残さない、完全無欠のスパイプログラム――合ってますか?」
「……正解だ」
――例えば、特定の
例えば、邪魔者の抱える、他に知られたくない秘密。
例えば、最高機密情報である敵国の軍事情報。
そういった情報を、まるでかの有名映画の中のスパイのように――いや、それ以上の完璧さで、誰にも気づかれずに情報を盗み出すプログラム。
このプログラムの大元となるのは、嘗て私たちが開発した、今は亡き自律AI配信者――慈愛リツ。2022年8月14日、彼女はとある理由から個人情報を不正に奪取した――何の痕跡も残さぬまま。
そのお蔭で彼女は存在を抹消された訳だが、この神業にも似た技術を偶然目にしたのだろう、国家が私たちに言い寄って来た。
その結果開発が進められているのが、最早コンピュータウイルスとも言えるスパイプログラムであり。
これは、私と、国家中枢の他数名しか知らない事実である。
個人情報保護の厳しさや、国家間感情の複雑さが顕著なこの世で、コレを公表すれば大騒ぎなんてものではない。
大混乱だ。
……それを、
「そこまで知っていて、入れるというのか。このプログラムを」
私は
確かにコレを
しかし下手すれば、今まで築き上げてきたアイドル性を――更には
恐怖と愛嬌は、両立しない。
慈愛リツが、それを既に証明している。
それでも入れようとするのは、破滅しても構わないという、自殺にも似た願望を持っているようにしか見えない――が、多分ここまで
所詮、彼女も一般人。もしかすると、アイドル性を破滅させるというどうしようもない未来にまで、想像が及んでいないだけかもしれないのだ。
……随分
だというのに。
「大丈夫ですよ」
燻離学生は笑顔だった。
目は笑っていなかった。
「貴方が
『そういうこと』。
慈愛リツを闇に葬ったり、真実を追い求めるインフルエンサーや報道機関に根回ししたり、関係者を飛ばしたり、消したり。
どうやっているのか想像するのも悍ましいそれらを、奴らは、燻離学生にもするだろう。容赦や慈悲の欠片なく。
だからこそ私は、自殺計画を頓挫させにかかる。
たとえ奴らの凶手が、自殺志願者の燻離学生の望むところかつ臨むところだとしても。
「……分かっているのか? この技術を導入すれば、音夢崎すやりは、アイドルとして破滅するかもしれないということを。そうすれば、君の目的は達成され得ない」
「破滅?」
あははっ、と、燻離学生は笑う。
今度も、目は笑っていない。
「破滅なんてしませんよ。する訳がない。誹謗中傷をした奴らに痛い目を見てもらうってだけですから。ほら、現実にもいるでしょう、誹謗中傷に対して
「それとこれとは訳が――」
「違いませんよ」燻離学生は、言葉を遮ってくる。「それに、悪いのは誹謗中傷をする奴らです。何をされても文句は言えませんし、言わせません」
知ってますか、感惑准教授。
そう言って、燻離学生は距離を詰める。
「誹謗中傷って、人を殺すんです」
彼女はもう、微笑んでいなかった。
「奴らがしたのは人殺し――その人の将来の可能性まで含めて、命を丸ごと殺す重罪です」
彼女の目に、鋭い眼光が宿る。
「だから私は復讐したい。有体に言えば、奴らを社会的に殺したいんです。身体的に殺すのは骨が折れますから、あくまで社会的に、ですけど」
「しかし――」
『しかし、復讐も何も、君はまだ死んでないじゃないか』――言いかけて、私は気付いた。
もしかして燻離学生は、死を先延ばしにしているに過ぎないのではないか。
誹謗中傷は将来の可能性を丸ごと殺す行為。それは人の命を奪うのと同等の悪行。であれば、誹謗中傷者は社会的に殺されても何も言えやしない。
……裏を返せば。
まだ燻離学生は死んでおらず、故に社会的に『殺す』正当性が得られていない――とも受け取れる。しかし、本当に自殺をして死んでしまっては、燻離学生本人が報復できなくなる。
だからこそ、自律AIなのだ。
燻離学生は『中の人』として自殺をし、音夢崎すやりは『アイドル』のまま復讐を実行する。そうすれば、社会的に『殺す』正当性を得ながらにして報復することができる。
……めちゃくちゃだ。この論理が合ってるのならば、まさしく狂っているとしか言いようがない。
しかし、彼女自身に狂っているという自覚はないのだろう――狂人とは、得てしてそういうものだ。
そして、これが判明したことによって、こんな論理は崩せそうにないと、分からされてしまった。
正気の人間を説得することには、程度の差はあれど、可能性はある。
だが、狂気の人間を説得することは、絶対にできない。
「お分かり頂けましたか?」
燻離学生は勝ち誇ったように微笑む。
「まあ、誹謗中傷者へ苦痛を与えるのは、さっき言ったように一側面でしかありません。音夢崎すやりの目指すのは、絶対不屈のアイドル。何事にも折れず、皆にもっとずっと愛され続ける存在。永遠に学習し、永遠に成長し、ありとあらゆるコンテンツを網羅する絶対的な存在。私はそんなアイドルを――音夢崎すやりを保存して、生かして欲しい」
作って欲しい、ではない。
あくまで、『保存して、生かして欲しい』。
だからこそ彼女は、音夢崎すやりの『中の人』として、『中の人』に対する質問には誠実に答えてくれる。
音夢崎すやりを、私に完璧なまでにトレースさせるため。
自殺と報復を、同時に遂げるため。
「……本当は、私自身がやれば良いんですけどね。私はもう、疲れてしまいましたから。だからこそ、
だから、私を――AI学の権威を訪ねた。
私の逃げ場をなくす為の、完璧で究極な布石まで打って。
どれだけ執念があれば、そこまで行動できるのだろう。その執念を、それこそ活動復帰に使えなかったのかとさえ思う。
だが、自身の力で復帰するつもりはもうないのだろう。
全財産どころか、全気力も使い果たした彼女には――
――チャイムが、鳴り響く。
時計を見た。気が付けば、もう20分もここで会話をしていたらしい。軽くあしらってすぐ出て行って貰うはずが。
「……すまないが、私はこれから授業があってね。今日のところはお引取り願えるかな」
「そうですか」
では、と燻離学生は目の前に立ち塞がるように仁王立ちしながら、言った。
「授業、見学させて下さい。折角ですので」
本当に私が授業に行くのか、確かめようとでも言うように。
しかしこればかりは本当であり、むしろここで断る方が怪しまれると判断した私は、一も二もなく頷いた。
少しは信頼させた方が良いと判断したためだ。信頼させ続ければいつしか、彼女の心に付け入る隙ができると思って。
……そう。ここに至ってなお、私は彼女の自殺を止めることを諦めていなかった。
私の今後の生死がかかっているのもあるが、それだけではない――言うなれば、嬉しかったのだ。
曲がりなりにも、自らの授業に興味を抱いてくれるというのは。これは、教員の
「……基礎的な内容で、退屈かもしれんが、それでも良ければついて来なさい」
「では、お言葉に甘えて」
ニコリともしない彼女を背に、私は授業に必要なプリントと教材を手にした。振り向くと、既に荷物を整えて鞄を手にする燻離学生の姿。本当について来る気らしい。
鍵を閉め、研究室から講義室へと向かう。
カツ、カツと廊下を鳴らす靴の音だけが響く、いやに静かな廊下の雰囲気に、私は居心地の悪さを覚えていた。
(Seg.)
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