第11話 「月と泥龜《すっぽん》」

 ...翌日、私は剣道の道具一式といつもより多めのお弁当をバックに仕舞って出発する準備をしていた。すると亀吉がその様子を見て私に言う。

「む...正華殿。いつもよりも飯の量が多い気がするが、何か用事でもあるのか?」

「いや、今日は剣道の夜稽古も行こうかなって思っててさ。あと2週間もしないで大会なのに、私最近あんまり稽古に行ってないなって思って...今日は夜ご飯も兼ねて多めにしてるの。」それを聞いた亀吉は大きく頷いて私に答えた。

「成程。...という事は、私の今日の飯もそこにあるという事か...承知した!」

「え?まぁ一応あるよ...あんまりその、亀吉の為って訳じゃないんだけど(小声)...」


 ...そうして大学へ向かい、朝の稽古を終えた私はいつものように正門付近で美優ちゃんと合流する。

「おはよー正華!今日も朝の剣道だったの?大変だね〜、確か今度大会なんでしょ?」

「うん、来週の土曜日が大会だね。私もついこの前まで怪我してて全然練習出来てないから、もっといっぱい練習しないと!」

「へぇ〜...練習、ねぇ〜...」私がガッツポーズをしながら言うと、美優ちゃんは私の顔を見て何故かずっとニヤニヤとしていた。私は不思議に思って訊ねる。

「ん?み、美優ちゃん?何でそんなニヤニヤしてるの?私の顔に何かついてる?」私が顔を手で何度か拭うと、美優ちゃんは溢れる笑いを堪えつつ言う。

「プフッ...!いや、何でもないよ〜?それより正華、最近何か良いことでもあった?例えば...『彼氏が出来た』とか?」美優ちゃんはそう言いながら自分のスマホをジッと見ていた。私はきょとんとして答える。

「え?な、何をいきなり...別に彼氏なんて大層な物は全く出来てないけど...」

「え〜本当〜?嘘じゃないの〜?だって昨日、二人だけでかなり親密に話してたみたいだけど〜?」美優ちゃんはスマホの画面を親指と人差指でズームアップしながら言っていた。


 「え...昨日...?」私はそこで初めて美優ちゃんの脳内に派手で映る、厄介な誤解にようやく気が付いた。

「あ...?あぁ、まさか昨日図書室で話してた人の事を言ってるの!?いやいやいやいや...あの人は彼氏とかそういうのとは全然違うから!!あの時はその...私があの人の相談に乗ってたっていうか...」私がぐずりながら言うと、美優ちゃんはスマホに映っている私と元氏さんのツーショット写真を見せつつ、グイグイと迫って私に言う。

「え?相談〜?この全く知らない年上の人が正華に相談を投げかける事なんてまずあるの?図書室で二人きりの密談...ますます怪しいわ...何か色々隠してる事があるんでしょ?私にも教えてよ〜!」

「いや...その、そういう話じゃなくて...(美優ちゃんに元氏さんの悩み事をあれこれ言うのは違うもんな...)と、とりあえず、その人は私の彼氏じゃないから!!」私は美優ちゃんにやや押され気味だったが、何とか言い切ってその話を強引にまとめた。美優ちゃんは首を傾げてまだ怪しんでいたが、渋々頷いて納得してくれた。

「う〜ん...まぁ良いわ。じゃあまた今度でいいからこの人に会わせてよ!私も一応、正華の一番の友達だしさ。私結構そういう友達の交友関係とか、色々気になるんだよね。」


 その時、私の後ろにいた亀吉が突然素早く振り返って正門の外を見た。何かの気配に気づいた様子の亀吉に、私はそれとなくつられて見たが特に何もいなかった。私は険しい表情をしている亀吉に小声で訊ねた。

「ん?亀吉どうしたの?」

「...いや、何でもないか...あぁ、気にするな!別に大した事はない。」亀吉はそういって私にはにかんで見せた。私はさっきの瞬間、亀吉が右手を一瞬刀の鞘に持っていこうとしたのを見て少し違和感を感じたが、鳴ったチャイムでそれは綺麗にかき消された。私は美優ちゃんと一緒に、滑り込むように構内へ走って入っていった。


 ___暫くした後の頃、元氏さんは自分の銀フレームの自転車に乗りながら、交差点の信号を眺めて待っていた。長めの信号なので、元氏さんはポッケからスマホを取り出して開く。ヒビが一筋入ったスマホのホーム画面には、家族で撮った旅行の写真が飾られてあった。

「(...一応昨日は警察の窓口に行って事の内容は伝えたけど、まだ母には素直に言えないよなぁ...まぁ良いか。とりあえずこれで大事にはならずに済みそうだし...)確か今日は3限の授業からだから、どっかでご飯でも食べてから大学に行こうかな...」元氏さんは自分のスマホの時計を見ながら一人でぼそっと呟いていた。信号が青になったタイミングで、元氏さんはスマホを閉まってペダルを強く踏み込み、そのまま大通りから少し外れた道に入っていった。しかしその時、元氏さんはまだ背後から追ってきている不審な車に気が付いてなかった...


 2限の授業が終わった私は一人で中庭に出ていつものベンチに座り、また誰もいない事を確認してから亀吉にお弁当を渡した。亀吉は中に入っていた串付きのタコさんウインナーを見てハッと驚く。

「む...何だこの赤くて小さいのは?小さな楊枝が刺さっているが...?」亀吉は爪楊枝を摘んでウインナーを取り出し、それを恐る恐る口の中へと入れた。すると亀吉は目を見開いて再び驚く。

「むっ!!こ、これは驚いた!少々奇っ怪な形をしているが、噛むと口の中で弾けてとても香ばしい風味と味わいが溢れ出てきている!これは...美味い!」

「あー、シャウエッセンで作ってるやつだからパリッとしてて美味しいんだよね。私もこれ好きなんだよね。昔、お母さんがこの形にしてよく作ってくれてたんだ。」私はタコさんウインナーを一つ取って懐かしそうにしんみりと語る。それを他所に、亀吉はお弁当をガツガツと美味そうに頬張っていた。


 その瞬間、亀吉は背中に唐突な気配を感じて、一気にベンチから飛び上がる。私はビクッと反射で驚いてしまい、膝に乗せていたお弁当をベンチの下にひっくり返してしまう。

「あぁ!!ちょ、ちょっと亀吉、何してんの!私のお弁当が...!」

「せ、正華殿、後ろだ!!」亀吉が鋭い声を上げる私の背後には、さっきまでいなかった深紅色の着物を着た背の高い男性が立っていたのだ。私は目を白黒させてベンチから立ち上がり後退りする。その男性は私ではなく、亀吉を見て声高に言った。

「フフフ、相変わらずの頓馬とんまな男だ!不思議だ...死して300年が経ち、なお泥亀すっぽんのお前に会えるとはな...」その声を聞いた亀吉は目を見開いて言う。

「っ!私を見下すその言い草...さ、さてはお主、私の同門の紅間脆月くれま もろずきではないのか!先程入口で感じた只者ではない気配はお主の物か。な、なぜ今ここにお主がいるのだ?」すると紅間と言う男は後腰に携えた、自分の胴体と同じぐらいの大きさを誇る大太刀の柄に手をかざしながら言う。

「何、かつての同門の士に幾年を超えて再び会うのにそんな大層理由がいるか...?」


 すると亀吉は白鞘を抜く臨戦態勢の構えを取りながら眉間にシワを寄せて言った。

「ま、待て、お主ここで私と交えるつもりではなかろうな!よせ、ここには正華殿を含め、他の民も多く居る。周りに大きな飛び火を飛ばすのは武士の道に反するぞ!」すると紅間は唖然としている私の事をギロっと暫く見てから、亀吉に訊ねた。

「...この女、我々の事が見えているようだな?お前の事を酷く心配しておるようだ。...フン、女たらしな所も変わっておらぬようだな。」すると紅間は大太刀から手を離し、不敵な笑みを浮かべながらケラケラと言った。


 「ハハハ!案ずるな、別にお前如きとここで交えようとは毛頭思ってもいない。久し振りの会合なんだ、少しは腹を割って、サシの話でもしようじゃないか?」亀吉はその言葉に少し間を置く。

「話?...成程、ならばお主と二人きりの方が都合が良かろう。正華殿、すまぬが暫く私は側を離れる。少しして、必ず戻って来るから安心してくれ。」亀吉は私に少し険しそうな表情を見せながらそう言った。私は困惑しながらも、首を縦に振って亀吉に言う。

「わ、分かった...亀吉、気をつけてね...」亀吉はコクンと小さく頷いてそれに応えた。そのまま紅間と亀吉は消えるような速さで何処かへと行ってしまった。


 私は未だに高鳴る鼓動と呼吸を抑えながら、地面にひっくり返ってしまった2つのお弁当を黙々と片付けていった。その時、ズボンのポッケに入っていた私のスマホの着信が鳴った。私は鳴っているスマホを取り上げて送り主を確認する。送り主は元氏さんだった。

「(あ、そういえば最初に出会った時に連絡先交換してたっけ?何だろう、警察に相談して何か進展でもあったのかな...?)」私は呑気にそんな事を考えながら送られてきたメールを見る。送られてきたのは、『助けて』の三文字だったのだ。


 「は?な...え、ど、どういう事?」私は一瞬頭がフリーズして、スマホを持っていた手の指がピクピクと勝手に痙攣してしまった。 私は震える手を抑えつつ、必死に落ち着きを装いながら返信を送る。

「『大丈夫ですか?何があったんですか?』」私がそう送ると、元氏さんはすぐに返信を送ってきた。

「『闇バイトの人に追いかけられてる』『警察に連絡して』」私は何が何だか分からずに混乱しながらも、何とか返信を送った。

「『元氏さんは今何処にいるんですか?』」すると少ししてから返信が返ってきた。

「『日野市』『近くに女子大がある』」私はそれを見てから、直ぐに大きな荷物を持って校門の外へと走り出した。


 「(まずい、早く急がないと...!!)」私は次の講義や剣道の練習を一切気にせず、大学の外へと走って出ていった...



 

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